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俺たちはどう生きるか

悩める大学生、俺たちはどう生きるか、そんなことばかり考えては、不安に押しつぶされそうになって、ひとまず筆をとる。

わざわざ2浪もして入った大学だ。就活で不利だとか、そんなことはハナから分かっている。そもそも、私は大学選びに関して、とにかくただそこに入りたくて、あとは「なんとかなれーッ!」の精神だったりする。人生設計も大学に入るところまでしか考えていなかった、というのが本音だ。ようは学校という制度の外のことを一切考えてこなかった。ごく幼い頃は一番偉い職業は大学教授だと思っていたので、「音大の先生になりたい」とか言っていた時期もある。(当時はピアノをやっていた)

私は実際高校までは順風満帆の人生で、中学では学年トップの成績に加えて吹奏楽部の部長、高校ではトップまで行かずとも学年順位は上位20%をキープしつつ、美大受験の準備をしていた。現役のセンター試験は得点率92%。もう怖いものなしである。これだけ勉強ができて、あえて美大に行く私、という自分に完全に酔っていた。

専攻として美術、日本画を選んだのは、単純に「なんか面白そうだったから」である。逆張りしたい性格なので、マイナーなものを突き詰めるのがカッコいいと思っていた。今も思っている。だから、よくよく考えてみれば、私が美術で成功「しなければならない」理由はないのだ。面白そう、絵がうまくなれたら楽しいだろうな、それが根本にあるはずなのだ。人生の中で、めちゃくちゃ絵に打ち込んだ時間があり、その技術が私の身体に刻まれる、ということが、私にとっての美大にいる意味、美術をやる意味なのだ。

私は考えすぎていたのかもしれない。さまざまな素敵な作品をみて、「こんなのが作れるようになりたい」と、心の底から思う。それだけが私の原動力であり、理由である。そして得た技術で、お金を稼いで生活ができるなら本望だ。だから、まずは作品をつくるための技術が欲しい。アイデアは自然に湧き出るものだし、理屈っぽすぎる作品はつまらない。私が見たいものを、私が作る。それができてはじめて、他人が見ても面白いものができる。

失敗はただの失敗ではなく、技術を獲得するための通過地点である。気にしすぎてはいけない。

そうだ、そうだった。私はこういうメンタリティの持ち主だった。

お金が稼げるかどうかは心配だ。でもそれは一旦置いておいて、ただ打ち込むべきなのだ。下手でもなんでも、手を動かすことだけが、自分を前に進ませるはずだ。

だって、ここからの人生、無計画なのだ。それを私は忘れていた。まるで計画があるのにそれを実行できていないかのように思っていたが、そうではない。ハナから無計画なのだ。無計画の人間がやるべきことはただ一つ。手を動かすことだ。手元だけ見て船を漕いでいく。気づいたらどこかに漂着しているだろう。その場所に住み着いてもいいし、また海に漕ぎだしてもいい。

最近気づいたのだが、私は文章を書いていると思考が整理されるようだ。思ってもみなかったことが書かれていて驚くこともある。やっぱりいい習慣かもしれない。毎日ではないかもしれないが、週2くらいの更新を目指してやっていこうと思う。



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