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定年女子の実家終い 夜に爪を切ると……

夜に爪を切ると……

「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」という言葉がある。
迷信だと思うけれど、夜に爪が伸びているのに気がつくと、ついこの言葉が思い浮かんで、今切ろうか、いや明日の朝にしようか、などと迷ってしまう。もうすでに両親はいないのに。いや、どちらの死に目にも会えなかったから、今でも気になるのかもしれない。

母の死

母は90歳を過ぎても身の周りのことはすべて自分ででき、認知症の父の介護もしていた。年相応に持病はあったが、叔父と私たち夫婦が通院や買い物をサポートして、自立した生活を送っていた。しかし、高齢なだけにいつ何時、何があるかわからないと覚悟はしていた。

ある日曜日、いつもどおり母を買い物に連れて行った。出掛ける前に庭でラベンダーを摘んで持っていこうと思ったが、まだ花穂が半分緑色だった。来週には見頃になるだろう。そんなことを考えながら買い物を終えて「また、来週ね」と実家の前で母と別れた。

いつもと変わらず元気そうだったのに、月曜の夜、入浴中に意識を失ったらしく、火曜の朝に発見された。私は看取ることができず、第一発見者にもなれなかった。でも、もし浴室で母が亡くなっているのを発見したら、パニックになっていたに違いない。母は自分で美容院を予約し、叔父に送り迎えを頼んでいた。最後の最後まで人に迷惑をかけないように自分で段取りしていたように思えてならない。

父の死

父が亡くなったのは5カ月ほどあとだった。いつも年賀状を買ったり印刷したりするのは年末近くになってからなのだが、喪中欠礼が遅くなってはいけないと思い、早めにネットで注文した。注文してから数分後、私のスマホが鳴った。父が入所している施設の施設長からだ。夜更けのこんな時間に連絡が来るってことは……。

母が亡くなる2、3日前に父は施設に入所したが、転倒して頭蓋骨にヒビが入ったり、胃腸の病気になったりして、そのたびに入退院を繰り返していたので、今回も体調に異変があったという話だろう。しかし、少し前に、今すぐどうということではないが、あまり栄養を摂れなくなっているので、死期がだんだん近づいているという主旨の話があった。スマホに出ると、急変でも危篤でもなく、父が亡くなっているのを、夜間に巡回していたスタッフが発見したという知らせだった。

親の死に目に会えなかったこと自体は仕方がないと思うが、父母を誰にも看取られずにひとりぼっちで逝かせてしまったことを、本当に申し訳なかったと思う。

迷信とわかっているのに

夜に爪が伸びているのに気がつくと、今切ろうか、明日の朝にしようか、などと考えてしまう。迷信とわかっているのに、家族の死に目に会えなくなるのではないか、という思いがふと頭をよぎるからだ。しかし、忙しい朝は爪のことなんか忘れている。爪が伸びているのに気がつくのは、やっぱり夜だった。


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