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定年女子の実家じまい 母はひとりで旅立った

実家の母が自宅の風呂で亡くなった。

前の週の金曜に、父を開所したばかりの新しい老人ホームに入所させ、日曜日に母を連れて行った。職員の目が行き届いてよい施設だと、母は安心した様子だった。

いつもどおり「また来週」と別れたのに……。


突然の連絡

火曜日の朝、会社の内線電話が鳴った。よその部署からで、至急連絡するように私の夫から電話があったとのこと。携帯があるからと、今職場で使っている最新の電話番号を夫に伝えていなかったことを思いだした。デスクの引き出しに入れてあるバッグから携帯を取り出して見ると、夫と叔父から何度か着信があった。

あわてて夫にかけなおすと、実家の母が自宅の風呂で亡くなっているのを叔父(母の弟)が発見したという。あまりに唐突すぎて現実のことと思えない。

2日前は元気だったのに

前の週の金曜日に、父を開所したばかりの新しい老人ホームに入所させ、日曜日に母を連れて行った。「これまでの施設と比べてここは職員の目が行き届いてる」と安心したようだった。そのあと、食料品の買い物に行き、いつもどおり「また来週」と別れた。

検死を終えた警察の鑑識担当者によると、月曜日の夜、入浴中に何等かの疾患で意識を失い、浴槽の中だったので結果的に溺死したと推察されるとのこと。顔の半分が水中に沈んだ状態で発見されたが、先に意識を失っていたので、苦しみはさほどなかっただろうというのがせめてもの救いだ。叔父は、浴槽の水を抜いて母を引き出そうとした感触が、ずっと手の中に残っていると言っていた。

その日、美容院への送迎を頼まれていた叔父が母を訪ねて行かなければ、発見はもっと遅くなっていたかもしれない。私たち夫婦がサポートしきれない分を叔父がいつもサポートしてくれていたが、本当に最後の最後まで世話になりっぱなしだ。

検視後やっと対面した母は、お湯に浸かっていたせいか顔がむくんで顔色も悪かったが、時間が経つにつれてむくみはなくなり、死に化粧を施してもらっていつもの母の顔にもどった。

父と母のお別れ

通夜が始まる前、入所したばかりの老人ホームから父を連れ出して母に会わせた。認知症で多動な父は、儀式の間じっとしていることができないからだ。

祭壇は設営中で母の遺影はまだなく、棺は控室にあった。なるべく近くで顔が見られるようにしたが、父が母の死をどの程度理解したかは定かではない。ただ、ロウソクと線香の前に座らせると手をあわせて拝んでいた。

父と母の出会いは、お見合いだったと聞いている。二人とも30歳を越しており、当時としては遅い結婚だった。嫁姑問題や親戚つきあいなど、それなりの苦労はあったと思うが、60年近く連れ添ったのだから夫婦仲は悪くなかったと思う。遺影に使う写真を探していたら、京都、沖縄、九州、東北など旅先での夫婦一緒のスナップ写真がたくさん出てきた。

一足先に母が旅立ってしまった。2月半ばに父がはじめて施設に入所したとき、気が抜けて病気になりはしないかと心配したが、母は「夜ぐっすり眠れるようになって体調がいい」と言っていた。

でも、やっぱり父が終の棲家となる予定の老人ホームに入所して、肩の荷がおりたのだろう。しばらくはそちらでゆったりと一人旅を楽しんでほしい。父を迎えに来るのはもう少し先でよいから。




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