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ひらいてくる | ちろ

先週のやすみ、六甲山の牧場に行ってきた。
毎日のように隙あれば「牧場に行きたい」と駄々こねていたもんだから、同居人も大変だったんだろうなと思う。「牧場に行きたい」というよりは「広い草原を見に行きたい」という気持ちのほうがつよかったのだけれど、ともかく牧場という場所に行きたかったのはたしか。区切られた空間の中で、見世物のように過ごす動物たちがいる横で人々がわーわー喜ぶことに若干の居心地のわるさを感じているが(自分も行きたがってたくせに)、いざ行ってみると人も少なくて、羊たちがあちこちで好き好きに草を食んでいたのでよかった(おもっていたよりみんな窮屈じゃなさそうだった)。おおきな動物はやはり立派で格好いい。馬や牛のまつげの長さ、蹄や骨格のたくましさ、言葉が通じない生きもの特有の格好良さがあるとおもっている。

ぐるっと牧場内を一周し、おきまりの流れでソフトクリームを食べ、併設のお店を覗き(わたしは地元などの、細々と営業している小さなお土産ショップがほんとうに好き)、チーズをふたつ買って帰る。ひとつは自分ら用に、もうひとつは梨をお裾分けしてくれる友人への御礼に。いちいちこうしたことで物思いに耽ってしまうので面倒だけど、動物たちがいて今の暮らしが持続できていること、しみじみありがたく思う。あらゆる事象に感謝の念を向けるのは大変だし実際じぶんは大雑把な人間なはずなんですが、ついついこういったことを思ってしまいますね。

帰り、高速に乗るかどうかで延々と悩み、何故か「近くに伊丹空港があるから寄って帰ろう」という流れになった。別に用事もなく飛行機に乗るわけでもない日に空港に行くのは初めてだったかもしれない。
ふだんLCCにしか乗らないので関空にばかりお世話になっている。たぶん大学受験時ぶりの伊丹空港。行き交うサラリーマン、スーツケースを引きずる人々の中に紛れる「立ち寄っただけの」わたしと同居人。こんな手ぶらで来てよかったのか…(?)と背徳感を覚えつつも新鮮だった。昼ごはんなのか晩ごはんなのかよく分からない時間に551のイートインで焼きそばを食べ、3階の展望デッキに向かう。着陸したばかりの飛行機に向かって手を振る老夫婦、はしゃぐこどもと隣で見守るお母さん、ただただ風を浴びる人。デッキにいるそれぞれの人の背景や物語をつい考えてしまいひい、となる。飛行機っていつ見ても意味の分からない物体だなと思う(あんなに重くて人もたくさん乗っているのに空を飛べるのが意味不明)。夕日が山の奥に沈んでいく様子をはじめて目で追えたような気がする。

かなりの出不精なので、一日中歩き回るだけでくたくたになった。運転もしていないのに。わたしは運転してくれる同居人になけなしのカフェオレを奢ることしかできない。
22時近くになってもお腹が空かず、洗濯物を畳んだり風呂場を掃除したりちょっとおやつをつまんで、寝る。こういう日はなんぼあってもいいと思うけど、日に日に体力の衰えを感じている気がする。友人がくれた21世紀梨はみずみずしくて美味しかった。皮ごと食べられるときいたのでそうしてみたけど、ほぼほぼ林檎の親戚みたいなもんですね(そうでもないかもしれない)。
ただの日記になってしまいました。冬服を身に纏う日が待ち遠しいですね、では。


ちろ
本を読んだり台所に立ったりする人

恵文社一乗寺店書籍部門の人。家での晩ごはんを楽しみに日々生きています。

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