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写真製版のこと 製版カメラ

 先日書いた記事を意外とたくさんの方に読んでいただいたばかりか、スキまでいただいていて少しびっくりしています。@yamo74さんたちにすごく宣伝していただいたおかげですね。ちょっとプレッシャー感じてたりしてます。版下撮影からフィルム作成までをざっくり通していこうかと思っていましたが、色々思い出してるうちにまとまりつかかくなり少し分けて書いていこうと思います。

刷版時代に「多丁焼きのシートが切れるようになればそろそろ一人前」と言われていたけれど、1年経たないくらいでシートを作れるようになりました。刷版の作業が特別つらかったわけではなかったけれど、焼き付けは単調な作業だったし、レタッチに興味があったので社長にレタッチやらせてくれと頼むようになりました。それまでも刷版が少ない時にはときどきレタッチ作業をさせてもらっていました。当時の工場は社長の父親の自宅で、鰻の寝床と呼ばれる京都独特の細長い敷地でかなり狭かった。ちょうどその頃社長の父親がお亡くなりになり、自宅兼工場を建て替えることになりました。建て替えて工場も広くなりライトテーブルの数も増えてやっとレタッチに。焼き付けもそのときPS版を導入したので、僕がいなくてもそんなに困らなかった。今思えばアルミ刷版作成の貴重な体験ができたのかなと思っています。余談ですが職場で作業靴に履き替えず作業していた僕のスニーカーは、いつも右足だけが染料で真っ青になっていた。身だしなみにわりと無頓着だった僕はあまり気にせず普段靴としてそのまま履いていました。(いまはとても無理)

製版カメラ

当時使っていたのは横型の大型カメラでした。ネットで検索してもその当時使っていたものと同じタイプはほとんど見当たりませんでした。同じようなカメラで「懸垂カメラ」は検索してみると画像がみられます。懸垂カメラが天井から原稿台やレンズ部分がぶら下がっているのに対し、僕が使っていたのはレール状の台の上に原稿台とレンズが乗っているタイプでした。今日見つけたサイト
http://rebornart.jp/case/report/kikuchi_fusuma/
この大型カメラがとても似ています。イラストは似た感じの画像をネットでみつけて、記憶を元にトレス、修正しています。全長で4メートルくらいはあったと思います。A1くらいの版下は原稿に挟めました。ただしフィルムをセットする部分がA2くらいしか入らなかったので、それ以上大きなサイズは半分づつ撮影したネガをつないで使っていました。レンズ収差などでサイズが大きいと結構寸法が狂いました。

製版カメラ-1

光源ライトの位置を確認して原稿台を水平にして版下をセットします。暗室内に入ってスクリーンパネルを下ろしてピント確認。拡大縮小撮影の時などスクリーンにメジャーを当てて測ったりしていました。レンズはニコン製が付いていました。大きなレンズで直径10センチ以上あったと思う。(記憶なので数字はとても怪しい)
絞りはあまり調整した覚えがない。多分忘れてる。そんなに明るいレンズではなかったと記憶しています。

版下写真

写真は「文字と組版印刷展」で撮影させていただいた版下です。
僕は当時版下作成していた人もすごい職人さんだと思ってます。写植文字を丁寧に切り貼りしたり、ロットリングで罫線いれたり。糊の跡を残さないように細かい文字をまっすぐ切り貼りなんて真似できなかった。すぐ剥がれるし。版下の良し悪しで後の作業の手間が大きく変わりました。美しい版下は撮影したネガのピンホール作業がとても楽だし、文字のつぶれや詰まりも起こらない。
後年デジタルデータになってありがたかったことの一つがピンホールが出ないということでした。実はデジタルになっても版下データとして出力してアナログで合成してたりしていた(笑)
網かけや写真分解もできました。僕はカラーの分解はしたことがなかったのですが、先輩がガラスにカラーポジを挟んでそれぞれのフィルターをかけて透過で撮影し、完全な暗室の中で恒温槽を使って現像してネガ分解されているのを見たことがあります。グラデーションもカメラで網かけされていた。グラデーションのマスターフィルム(網点のない濃淡差のフィルム)があり、濃度計で濃度を測定してレンジを決め、目印をつけて倍率計算してコンタクトスクリーンで角度を振って網かけされていました。僕はいまでも濃度計の測定基準とか理屈はよくわかっていません。透過撮影ではフィルムの目伸ばしや目縮め(縮小は少なかった)も行いました。B2のポスターをそのままA1サイズに拡大したりできたのです。
モノクロの網かけやダブルトーンの撮影などは僕も行っていました。網かけ撮影後に弱い青みのある光を照射するフラッシュ露光というのを行うと、全体のトーンをコントロールできました。撮影した後のフィルムに直接光を当てるのです。フラッシュ露光なしが全調、フラッシュ露光が多いほど濃度が落ちるみたいな。

製版カメラ-2
製版カメラ-3

それから、使ったことも実際中身を見たこともなかったのですが、当時社長から「印刷博物館ものだ」と聞かされていたガラススクリーンが置いてありました。
「文字と組版印刷展」で見かけたこれ

ガラススクリーン

よりかなり大きく箱だけで70cm以上あった気がする。ただし古い記憶なのでちょっと怪しい。

後年工場移転する時に大型カメラを廃棄。縦型のコンパクトな縦型カメラ(オートコンパニカ)に変わりました。自動でフォーカスしたり、テンキー入力で倍率合わせたり便利になりましたが、レンズ収差が大きくなりました。

版下カメラコンパクト


会社移転してしばらくして引き抜きのような形で(まあ色々あって)他の製版会社に移籍。そこはさらに小さな会社で受け取り集版をする会社だったけど、いろんな人がやってきていろんな情報を話してくれるので、外部の情報が色々入ってきて楽しかった。そこに置いてあったのもこのタイプでした。ライノタイプヘルのスキャナーも置いていた。エッジがきいてスミ版に調子も入って割と好きだった。何よりネガでの貼り込みが楽だったし。だけど1年くらいでそこも倒産。実は僕が入った当初から資金繰りが厳しかったようでした。仕事をくださっていた得意先の社長が倒産することには気が付いていて、倒産するのを待ってからうちに来ないかと声をかけてくださいました。その会社に置いてあったのは自動現像機一体型のSCREENのファインズーム880でした。原稿を挟んだまま機械の中に吸い込まれるように入っていき、ドラムに巻きつけたフィルムに露光しながら原稿が戻ってきます。露光されたフィルムはそのまま自動現像機の中に入っていき、ネガとして出てきます。寸法誤差もそれまでのカメラに比べてとても小さくなりました。ファインズームも透過撮影ができました。おかしなことに一番新しい機械のはずなのに、ネットで全体がわかる写真がほとんど見つからない。

なんとなくカメラの変遷が僕の職場の変遷と重なっていておかしい。

レタッチの話とかはまた後日(多分)

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