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人として正しいこと、今やりたいこと

稲盛和夫氏の本に「経営の素人の時は人として正しいかどうかを基準にしていて、その考えはずっと変わっていない」と書かれていた。人として正しいことと言えば、正直、親切、公平、寡欲などが思い浮かぶ。道徳の授業で習うようなことだ。これらは論理で導けるものというよりは、人間の生物的特徴から導かれるものなのではないかと思う。

進化の理論は、人間も生物の一種に過ぎないという事実をまじまじと突きつける。行動を引き起こす欲求の仕組みはかなり原始的で、線虫でさえも周りに餌があるという情報に反応してドーパミンを分泌して行動する。人間の親子の愛情や子育ては、他の哺乳類や鳥類のそれと本質的に違いはないはずだ。人間が親切なのは、親切な個体が生き残るというルールに従って進化してきた(例: 自己家畜化説)からだ。幼児も意地悪な人より親切な人を好む。

人生をどのように生きるべきかという問いに対して、「人として正しいことをする」というのは悪くない方針だと思う。そして、進化や脳の科学はこの疑問に対してヒントを与えてくれるから面白い。学ぶことは面白いけど、ずっと机の前で考え続けるわけにはいかないし、考えるだけで「いい人」にはなれないから、考えながら実践し続けたい。

今やりたいことを一言でいえば、「自然に近づくこと」になると思う。道路や車、家を見るのは飽きたので、木や鳥を見て過ごしたい。そうした方が落ち着けるし、自然に対して壁を作って何も知らずに暮らしていると、大事なものを見失ってしまうような気がする。やりたいことは自分の知っている範囲でしか考えられないけれど、その中でいえば今は農業がしたい。自然農や協生農法に興味がある。利益を考えずにこぢんまりするのであれば、場所さえあれば一人でも始められそうだ。

いずれは日本のどこかに定住すると思う。実家は兵庫県にあって、あまり離れすぎると帰りにくくなるから、関西、中国、四国のどこかに住みたい。なので、直近やることとしては自然があって景色がいい場所を探すことがある。とりあえず今月は四国に行く予定で、6月か7月まではウロウロしながら過ごそうと思っている。

その後はいくつかの方向性がある。無職だとアパートを借りるのが難しいらしいので(ついこの前大家さんにダメと言われた)、パートタイムで働きながらひっそりと農業をするとか、土地を買って小屋を作って暮らすのも面白そうだ。小屋に関しては自作の小屋で暮らそうという本が面白かった。

ネットや本で調べれば色々な知識が得られてなんとかなるけれど、なんとかなっているから一人になっているという面もある。人と会うと何が起こるか分からないので、全然違うことをやっている可能性もある。とりあえずそんな感じでしばらく生きようと思っている。

人が確かに手にしていると言えるものは、今という瞬間に五感が捉えたものだけなのではないだろうか。それさえも、次の瞬間には消えてなくなり、別のものになっている。しかし、それだけで満足して生きることもできる。今という瞬間に満足し、短い一日に満足し、短い一生に満足して人生を終える。

自分勝手だと言われるかもしれないけれど、尊敬する人たちが口を揃えて「まずは自分が満たされること」と言っていたので、自分の心地よさを模索することから始めたい。そして、少しずつ影響の輪を広げていきたい。

遠い未来にあるユートピアを目指すのではなく、すぐそこにある毎日に満足しながら生きる。欠けたものを埋めるのではなく、ただやりたいからする。昨日にも今日にも満足しているし、自然に近づきたいのはただそうしてみたいからだ。欲求とうまく付き合っていきたいと思う。

君の短い人生をまともに送ることで満足できないのか。

マルクス・アウレリウス「自省録」

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