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結果ではなく行為そのものを楽しむこと

「結果を出すためには無理せず継続することが大事」ということを考えていると、ふと、みやぞんさんの努力についての動画を思い出しました。

内容を要約すると、「苦しんでする努力は実らない、楽しんでする努力は実る」ということでした。

結果ではなく行為そのものを楽しむこと

ポイントは、結果を求めるのではなく、行為そのものを楽しむことにあると思います。

個人的な経験ですが、レーティングシステムのあるゲームを、ランクを上げることを目標に取り組んでいたことがあります。数ヶ月の間練習して目標を達成したときは、達成感と喜びを感じました。しかしその感情は、一日もすれば収ってきました。次に浮かんできたのは「次のランクを目指そう」という気持ちでした。始めた頃は、楽しいからやっていたことだったのに、いつの間にか目的が変わっていて、辛くて苦しい活動になっていました。

欲望は特定の内容を求めているのではなく、「何かを手にいれ、その差分を感じること」を求めています。そのため、一度満たされた欲望も、時間が経って慣れれば次のものを求めようとします。この構造を解決しない限り、いつまで経っても未来を求め続け、心に平安が訪れることはないのだと思います。

理想的な活動として思い浮かべるのは、ドライブです(運転免許持ってないけど)。ドライブはどこかに行くことに目的があるのではなく、車を運転することや景色を見ることなど、その道のり自体に目的があるからです。生きることはドライブのようなものなのではないかと思います。

することと、何者かになることのバランス

何かに取り組んでいるとき、純粋に楽しんでいる気持ちもあれば、何かを達成したい、何者かになりたいという気持ちもあります。重要なのはその2つのバランスです。後者の気持ちが強すぎると、今やっていることが目的のための踏み台になり、楽しめなくなってしまいます。

もちろん、結果を出すことが重要な場合もあります。プロとして、仕事として、結果を求められることもあると思います。しかし、全てのことに結果を求める必要はありません。何かの分野の専門家だったとしても、他の分野では初心者です。役割と自分自身を同一化しないこと、こだわりすぎないことが重要なのだと思います。

最近、楽器を始めました。やっている時に注意して観察しているのは、「自分は楽器を弾くことを楽しんでいるのか、それとも楽器の上手い人になりたいのか」ということです。楽器の上手い人はインターネットを探せばいくらでも見つけることができます。しかし、できないことがあったとしても楽しいことには変わりありません。楽しんでいれば、あるいはじっくりと味わっていれば、それ以上のことはありません。

そして、続ける必要があるわけでもありません。気が進まないのであれば、やらないという選択肢もあります。永遠に続くことは一つとしてなく、環境が変われば、考え方が変われば、やっていることは変わっていくものだと思います。

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