見出し画像

楽しんでいる人に対してできることは何もない

困っている人がいて、その人が助けやアドバイスを求めているのだとしたら、何らかの形でサポートすることができる。一方で、何かを楽しんでいる人がいたとき、その人に対してできることは何もない。楽しんでいる人に「こうすれば効率がいいよ」「社会はこうあるべきなんだ」と言ったところで、「ふーん」で済まされるのがオチだろう。楽しんでいるというのは、これ以上改善する余地のない一つの状態だ。

楽しんでいる人といったときにどういう人を想像するだろうか。私がイメージしたのは小学生だった。多くの小学生は、常にワクワクしながら過ごしていると思う。授業を受け、休み時間に友達と遊び、家に帰って宿題をし、残りの時間は遊ぶ。授業や宿題が苦手な人はいるかもしれない。小学生のとき、登下校をする中学生や高校生の顔を見て「何でこんなに暗くて楽しくなさそうな顔をしているんだろう」と疑問に思ったことがある。今になって振り返ってみると、これは未来に対する不安の有無だったのではないかと思う。

楽しむということは、楽しいことをしようと思うことではなく、今やっていることを楽しむことだ。どうしても受け入れられないことからは逃げるしかないが、たいていのことは楽しめるのではないだろうか。未来の意義のことを考えなければ、池を泳ぐカモを眺めることも、歯磨きすることも、ぼーっと寝転んで何もしないことも楽しめる。楽しむというよりは、心に平安があると表現した方が近いかもしれない。

客観的なデータは示せないけれど、今の日本に住むほとんどの人は衣食住に満たされて生活している。それ以上に何を求めることがあるのだろうか。今に意識を向けずして計画と実行を繰り返していると、いつまで未来を追いかけ続ければいいのだろうという気持ちになる。十分なものは今に揃っているのではないだろうか。ここ十年くらいを見てみると、物質的な面はミニマリズムが、精神的な面はマインドフルネスが、このことを説明しているのではないかと思う(横文字を並べるのは少し恥ずかしい)。

私の目に見える範囲で課題があるとすれば、衣食住を維持するために多くの時間を労働に使わなければならないことや、環境問題などがあるだろうか。いずれにしても、楽しんでいる人に対してできることは何もない。一応、楽しんでいる行為が悪影響を生んでいなければと付け加えておこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?