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無気力だった私へ、人生の目的を

無気力に包まれ布団から出られなかった半年前の私は、「どうせ死ねば全てなくなるのに、何かをすることに意味があるのか?」という問いに答えられずにいた。色々な答えがあると思うけれど、本を読んだり経験に照らし合わせて考えた答えを、当時の私に返してあげようと思う。

平凡すぎるかもしれないが、私の答えは「生物として自然なことだから」になった。この世に生を受け、時間が経って寿命になれば去っていく。それが自然の理だから、従っておくのがよい。今までの私は人間の理性を過大評価していたけれど、人間も生き物だ。考えれば考えるほど、体がここにあるということを無視できなくなってきたのは不思議だった。

この考えから、生きる方向性のようなものも見えてくる。生物の中でも人間として生まれたから、人間としての役割を果たせばよい。人間の特徴は何かと言えば、社会的であることと、理性的であることの2つに分けられると思う。つまり、他の人と一緒に過ごしたり、誰かと協力して役に立つ必要がある。「必要がある」と書くと義務のように感じられるけれど、必要としているということでもある。そして、理性を発揮し、心を磨き、正しい行いができるように努める。

ホモ・サピエンスが誕生したのは30万年前で、農耕や定住が始まったのは1万年前らしい。つまり、人間は97%の時間を狩猟採集をして過ごしていたことが分かる。この時から私たちのハードウェア(体と心)は変わっていないから、生きるために必要なものも変わっていないはずだ。それはおそらく、食べ物、住む場所、自然、仲間と、それに付随するものだと思う。もちろん狩猟採集の生活に戻ればよいという訳ではなく(それも面白そうだけれど)、これらに還元できればいいのだから、答えはたくさんある。

この間読んだ本に「あなたは人生にどれぐらい満足していますか?(10段階評価)」という質問があって、思わずギクッとした。自分に問うて正直に答えてみると、6点か7点かなと思った。また、最も幸福だった時期を振り返ってみると、9.5点くらいつけられそうだった。それは人とよく話をしていた時期で、人間関係の中で自身の役割を全うしていたときだった。

今はあまり人と関わっていないのもあり、点数は高くはない。他人といるより一人でいる方が心地いいから、気がついたら一人になっていることが多い。でも一人だと寂しくなって、人との関わりを求めているのが、面倒くさい人間だなと思う。でもそれは人間だから仕方のないことなのだ。私は面倒くさくて、人間らしい。

人生を終えるときに、「あのときこうしていればよかったな」と後悔したい人はいない。誰しもが満ち足りた状態で最後の眠りにつきたい。私たちは毎日眠りにつき、意識を失い、いつかやってくる死の練習をしている。だから、まずは一日の終わりに満足することから始めなければならない。

布団に入って、一日を振り返り、うまくいったことを考えてみる。いくつか見つかり、満足感を覚える。「人生にどれくらい満足していますか?」という質問には決して高い点数をつけられなかったけれど、一日に限って言えばそれより高い点数をつけられる。今日も頑張って生きたし、世界はいつだって美しい。そういうとき、生きていてよかったなと思う。

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