「大人が知らない教科書の違い」【手奇塾】 学び舎は南京以外に「日清戦争旅順大虐殺も教える

学び舎では、「1894年7月23日に、日本軍は、朝鮮王宮を占領し、その2日後、清の軍艦を攻撃し、平壌で清軍を破り、国境を越えて清に侵入しました。さらに旅順、遼東半島一帯を占領し、北京にせまる勢いをみせました」と記述しています。日本は、台湾を侵略したという学び舎らしい教育です。もちろん都合の悪い長崎事件は記述しません。これでは、両国が戦争をした本当の理由がわかりません。生徒諸君は、日清戦争とは、日本が朝鮮半島を一方的に侵略し、さらに清国まで攻め入った戦争と理解するのではないでしょうか。ここで学び舎は、またしても195Pに「旅順虐殺の時事新報のスケッチ画を載せています。これも731部隊や南京事件同様、日本は侵略した、日本は悪いことをしたという、政治宣伝(プロパガンダ)です。
 証拠の写真がないのでしょうか、スケッチ画です。この日清戦争には内外の通信員も同行していました。支那事変の南京攻略戦も同様です。彼ら記者たちも旅順戦をその目で見ていたはずです。タイムス戦地通信員やジャパン・メールの記者たちです。実は南京戦も同じで、支那の兵士は、退却する時、兵服を脱いで、一般人に紛れて逃げるそうです。一般人のように見える死体が多かったのですが、死体の中には腰に弾薬入れを帯びているもの、軍靴を履いているもの、服の下に軍靴を隠しているものあったそうです。学び舎の「旅順虐殺」とはこれらのことを言っています。平服をどうやって清国兵は、手に入れるのか。答えは言うまでもありません。学者を同行させて、国際法を常に意識して戦争をした日本軍です。外国の軍隊を、日本軍のように、軍律厳しい軍隊と同じと考えると、こういうことは理解ができません。学び舎で学ぶ生徒には同情します。

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