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2024.03.15~18中国横断旅行 番外編

1 数奇な毛利氏

「鎌倉殿の十三人」でも活躍した大江広元という人物がいます

彼は鎌倉幕府の重鎮ですが武士ではありません
「脳筋」タイプの武士だけで東国経営はできないので
書類仕事を担うために京から招かれた下級貴族です。
この大江広元の子は相模国毛利に所領を得て毛利氏となり
さらに安芸国吉田にも所領を得たことで
本来は関係が無い「安芸国と毛利氏」が結びつくことになります
大河ドラマ「北条時宗」を見たときに出てきた
毛利季光と毛利元就って何か関係あるのかな?と
小学生なりに気になっていたことが
あとになってわかり、歴史の面白さを改めて感じたものです。

2 教育参考館

江田島には教育参考館と呼ばれる施設があります
旧海軍時代から海軍関係の資料を展示した施設になっていますが
まさに宝の山、書籍で読んだものの実物を間近で見ることができます
10年前に来たときも、今回もそうでしたが
「山口多聞中将の戦闘帽」を前にして涙が止まりませんでした。
山本五十六などと比べると山口多聞は知名度は高くないですが
あのミッドウェー海戦において空母三隻が戦闘不能になる中
残った空母飛龍のみで反撃を行い、米空母に一矢報いたのち
壮絶な最期を遂げた名将です。
子どものときに読んだ伝記には
形見の品として部下に戦闘帽を預けて空母飛龍と共に
海底に沈んだと書いてあったわけですが
まさにその現物が展示されているわけです。
本を読んでいるだけでは感じられない何かが
やはり現物にはあると感じさせられます。

3 高杉晋作という人物

長州藩士・高杉晋作を知ったのは「その時歴史が動いた」だったと思います
放送日は今から24年前。
ぼくは小学生でしたが、その生き様に惚れて
家族旅行の行き先を萩にしてもらったほどでした。
高杉晋作は松下村塾で吉田松陰に学び、
後にこのような言葉を受けたと言われています
「生きて大業を成す見込みがあれば、いつまでも生きよ。
死んで不朽の価値があると思えば、いつでも死んだらよい」
高杉は逃げ回る人生を余儀なくされます。
特に幕府が長州征伐を開始すると
藩内は戦うのか、降伏するのか意見が割れます。
幕府軍15万人に対して長州藩は3000人とも言われ
次第に降伏派が主流となっていき、
抗戦派の高杉は身の危険を感じて九州へ逃亡しています。
しかし、いよいよ長州藩の降伏が現実のものとなると
危険を顧みずに長州に戻り、奇兵隊をはじめとする
諸隊に挙兵を促します。
しかし、主導権を握る降伏派に対して
少数の抗戦派で挙兵することに賛同する者はおらず
ついに高杉はわずか84名で功山寺において挙兵するわけです。
高杉は自分が決死の姿を見せることで
後に続く者がでることに期待したんだと思います。
まさに「死んで不朽の価値があれば死ね」という
吉田松陰の教えに忠実だったのだと思います。

結果、わずか84人の同志は諸隊の隊士、民衆の気持ちを動かし
それは長州藩、ひいては日本を動かす原動力となっていきます
高杉は寡兵で降伏派を打ち破ると
長州藩の方針を幕府との対決姿勢へと転換し、
続く幕府との戦いにおいても数において圧倒的に劣る
長州藩兵を指揮して九州に上陸し、幕府軍を破り、
直後に結核で命を落とします。
維新のために生まれ、維新のために死んだ生きざまには
子どもの時から変わらず感動を覚えます。

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