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結城神社「梅まつり」と石水博物館「創建200年記念特別展 結城神社の至宝」

梅に桜に桃と、春に咲く花は人をのどかにさせる力を持っていて素敵ですが、香という点では梅に勝るものが無いように思います。

「天も花に酔えりや」(田村クセ)は、桜の清水寺を詠った一節ですが、梅園を散策すると梅の色と香りに酔うような気もします。

三重には、いなべの梅林、なばなの里のしだれ梅、鈴鹿の森庭園、赤塚レッドヒル、かざはやの里といった梅の名所がいくつかありますが、結城神社の梅もそのひとつです。今年は花の開花が早いので既に散り始めているということを知り、晴れた日に一番近くにある結城神社へ行ってきました。

津駅からバスで行くこともできますが、駐車場が200台(休日などは400台)分あるので車でも気軽に行くことができます。駐車場に到着すると観光バスが数台停まっていて、この時期の結城神社の人気を理解しました。

境内の奥にある梅園に入るには大人1人800円払います。


ピンクの枝垂れ梅がメインですが白色の梅もあります

梅園は三重の基準ではそれほど広くはありませんが、来場者でにぎわっていてもそれぞれが写真撮影などを楽しめる程度に余裕がある広さです。小学校の運動場程度かそれより少し小さ目といった感じです。「広くはない」と思ってしまうのは、過去に訪れたことがある鈴鹿の森庭園やかざはやの里とつい比べてしまうからで、梅園としては十分な広さなのだと思います。


散った花びらが絨毯のようになっていました
梅園の奥の方

こちらでは数十年前からしだれ梅を植え始め、今では約300本の梅があるそうです。来訪者を増やそうとした企画としては十分成功していると思われます。


紅梅も咲いていました

散った花びらと枝に残る梅や紅白の梅が混然一体としている感じの構図の写真を撮りたいと、スマートフォンで写真撮影を楽しみました。ここは花の蜜を吸うメジロが数羽、苑内を飛び回っていて来場者を楽しませてくれます。「梅に鶯」という光景も見てみたいですが、ピンクの梅とメジロのグリーンは色合いが綺麗です。


花の蜜を吸うメジロ

望遠鏡のようなカメラを手にしたひとたちから私のようなスマートフォンで写真を撮る人まで、互いの間合いに気を配りながら写真撮影を楽しむことができます。そういったゆとりのあるところが良いなと思います。


休憩所

今回は他に用事があったので利用しませんでしたが、休憩場所ではお抹茶セットなどが楽しめるようでした。花を眺めながら甘いものや飲み物を楽しむのはいいですよね。

駅などで既にポスターを見かけていた「結城神社の至宝」展(2月3日から4月7日)が近くの石水博物館で開催されており、結城神社のチケットを持参すると100円引きとなるキャンペーンをやっていたので、1時間ほど梅を楽しんだ結城神社の後に石水博物館に向かいました。


石水博物館入口

石水博物館は、三重の文化人としても有名な川喜田半泥子ゆかりの博物館です。

2011年に移転開館したという石水博物館はうちっぱなし風のコンクリートとガラスで構成されたあっさり目の建築物です。1階と2階それぞれにひとつずつ展示室がある小規模な博物館で、部分的に茶室を復元している2階の展示室は半泥子の茶碗などが展示されています。個人的に焼き物が好きで、また、ユニークすぎる銘がつけられているので、2階の半泥子の作品は楽しいです。


石水博物館外観

今回は「創建200年記念特別展 結城神社の至宝」と題されているように、結城神社の歴史と収蔵品を学ぶ機会となっていました。チラシには結城宗広佩刀とされる「名刀 銘 盛重」が社外初公開とあるのでそれがメインなのかなという印象を受けていたのですが、2階で4振展示されていた刀よりも14世紀以降の文書類がメインだと思いました。「後醍醐天皇の綸旨」など貴重な品物が展示されていることには驚きました。

1階の展示室はそういった結城神社が今の結城神社になるまでの歴史がざっとわかるような展示になっていて見ごたえがありました。キャプションは桑名市博物館風を採用している感じでしたが、あえて軽めな説明にするのも、生真面目な説明にするのも、私はそのどちらも好きだったりします。いえ、軽めなものの場合マンガやアニメを知っていないとわからない場合があるので、正直なところ生真面目風の方が助かることもあります。でもそのあたりは博物館の学芸員さんが試行錯誤してこの博物館ならでは、この学芸員さんならではのものになっていけばいいのかなと思います。

1階の展示を通じて、三重に移り住んで20年弱とはいえ、未だに前近代の三重の歴史がよくわかっていないところがあるので、鎌倉末期から戦国時代あたりまでの伊勢地域の有力者である結城氏や北畠氏の生き残り戦略みたいなものを思ったりしました。

また、江戸時代に津坂東陽が結城宗広の墓が津にあることを主張しようとしたり、「創建200年」とあるように1824年に津藩の藩主によて”後醍醐天皇を奉じて「建武新政」の樹立に貢献した結城宗広”を祭神とした結城神社の社殿が造営されたこと、明治に窮乏状態に陥るものの、天皇もしくは天皇を支えた人を祀る神社として再興していったところなどの中で、私は特に近代史に関心があるので、明治政府や明治期の国家権力と神社の結びつきの流れとしてとても面白かったです。創られる伝統という観点では、土俵(相撲)などの伝統行事みたいな位置づけにあるものも戦後になって始めていて、「伝統」の定義のあやふやさや、良くも悪くも「伝統」と言う言葉でなんとなくまとまってしまう怖さみたいなものが興味深かったです。

さて、石水博物館は小振りでお洒落な建物で稚気にあふれた半泥子の作品などを楽しむことができます。今回も英語などの外国語に漢字を当てはめてみた謎な墨書や、そういう銘をつけましたかと言う感じの茶碗(真面目な銘も勿論ある)があって、ここまで伸びやかに趣味上の好奇心を発揮しできた人の強さみたいなものを思ったりしました。私が博物館を訪問した時は前と後ろに老夫婦が1組ずつという来館者状況なので、平日ならば少し待てば貸し切り状態を楽しむこともできると思います。展示室がこじんまりしている割にソファなどが適度に置かれているので、のんびり作品を鑑賞できます。

石水博物館は、アクセスとしては車が主な手段になると思います。千歳山という場所の事情からちょっと細い道を進むところがあるので注意して運転する必要があります。


千歳文庫

そしてこの博物館で実は私が一番興味をもっているのは、千歳文庫(1930年建築)です。設計者は前田健二郎で三重県で当時2台目だったらしエレベーターが設置されているそうです。「収蔵庫として使用しているため内部は非公開」なのですが、博物館に入る時にその素敵な建物が視界に入る度に、「あの建物の中に入ってみたい」と思うのでした。