見出し画像

#39 こんなことがあった(カンボジアの空港で)

2000年を少し過ぎたころ、ツアーでアンコール・ワットに行った。
ノストラダムスの大預言や月刊ムーの影響を受けた世代なので、アンコール・ワットは死ぬまでに一度は行ってみたい場所のひとつだった。

ツアーは、何か経営している男性とその娘夫婦、鉄道会社勤務を定年退職した夫とその妻、ひとり参加は私といった6名が参加していて、小回りが利く人数だったので、割と快適にいろいろ見ることができた。

アンコール・トムのスケールの大きさや施された彫刻の精密さ、日本人は何故か好きだよねと言われたアンコール・ワットの朝日鑑賞、遺跡で結婚写真を撮影していた若い男女、オールド・マーケット、家内作製のパームシュガー、初めて食べたドラゴンフルーツ(食べるまではチーズか何かと思った)、復活させたアプサラダンス鑑賞、バンテアイ・スレイなど、個人で手配するには手間と安全面でちょっと心配があったので、ツアーで来て良かったと思った。

ツアーの場合はガイドさんの人柄や話も旅の印象に影響を及ぼすことが多いと思う。この時のガイドさんはもしかしたら私よりも若いかもしれない20代の男性で、身内にポル・ポト政権下で殺害された人がいたらしいこと、土地などを持つ裕福な家庭ではない者が手っ取り早くお金を稼ぐ手段としてガイドになることを決意して日本語を勉強したことなどを率直に話しつつ、東南アジアの気候に不慣れな日本人観光客の体力に配慮しながらポイントをおさえた案内をしてくれた。もう20年近くたった今、経済的にも家庭的にも幸せになっていることを心底願っている。

また、ツアーの場合は同行者も大事だったりする。これまで参加したツアーの中で、定年直後なのだろうか妻を部下扱いするだけではなく添乗員さんやガイドさんにも横柄な態度をとり、さらにツアーの他の客に対して「自分はお前たちとは違うんだ」というアピールをしてくる男性や、楽しそうなのはいいけれども集合時間に遅れる常習者、そして移動中の無駄話においてことごとく会話が噛み合わない人などがいたが、そういう人がいるとやはりせっかく訪れた場所の思い出の中にマイナスの記憶が付け加わってしまう。他方において、ツアーで意気投合してしばらく交流が続いた人や、その場限りではあったとはいえ楽しかった思い出を付け加えてくれるような人もいた。だから、ツアーに参加する場合は、次はどんな素敵なに会えるだろうかということも、要素としては少な目だが、楽しみにしている。

この時のツアーだと、経営者とその娘さん夫婦は、マーケットでの買い物やオプションのマッサージを頼む様子を見る限り、金回りが良くて少し独特な雰囲気があったが、他のメンバーに対しては特に父親がそつのない気配りをしてくれていたので、いい感じの自営業者という印象を受けた。全員が初カンボジアだったが、時期が仕事の閑散期だったので、日程と価格で彼らはそのツアーを選んだという感じで、アンコール・ワットに特に思い入れは無いようだった。

他方、鉄道会社退職者夫婦はその夫がアンコール・ワットにどうしても行ってみたかったそうだ。話を聞くとその夫婦は、夫の定年退職後にようやく海外旅行などを楽しめるようになったということで、今からいろいろな国に行ってみたいと言っていた。彼らはツアー後半は「離脱」という形になるのかどうかは確認しなかったが、マレー半島の鉄道旅行(いわゆるオリエント急行系)をするそうで、もう少しお金があれば私もその鉄道旅行もしてみたいと強く思った。鉄道趣味がある人たちは打ち解けやすいこともあって、ツアー後半は異動中のバンの中でその男性から日本の鉄道旅および路線のおすすめ、これから乗ってみたい海外の鉄道についての話を聞くことができてとても楽しかった。私も少しだけだがヨーロッパの鉄道に乗って楽しかったことについて話したりした。

なお、その時のおすすめは「夕方の宍道湖」だったが、未だにその「夕方の宍道湖」の鉄道旅も実現していない。もう人生の後半に差し掛かっているのに、まだまだしたいことがあるのは強欲だからなのだろうか。

そんな感じで、アンコール・ワットのツアー内容を終え、乗り継ぎ地であるバンコク行きの飛行機に乗るために空港まで運んでもらって、搭乗手続きの手伝いもしてもらってからガイドさんや運転手さんと別れて、後は出入国管理を経て搭乗前の最後のカンボジアでのショッピングという流れになった。出入国管理はツアー旅行客には甘めだし、特に出国の方は「はいはい、出て行って、良かったらまたね」という感じであっけないほどすぐに終わった。搭乗待合室ロビーにあったお店は小さ目だったが、アンコール・ワットにちなんだどういうお土産を売っているのだろうかと思って見始めたところのことだった。

ツアーメンバーの経営者さんが、「ちょっとさ、〇〇さん(鉄道会社勤務だった人たち)困っているみたいだから、助けてやってくれない?」と私を呼んだ。

基本、ツアーメンバーは不干渉主義というか、互いに適度な距離を保ってそれぞれが楽しむという感じだし、この時はツアーもほとんど終わりという時期だったため、正直なところ「そんなの知らんがな」と思った。既にガイドさんたちとは別れた後で立入が可能な人が限定されている場所なので、その夫婦がどうにかして対応するしかない、当時の感覚からすると、日本人でいかにも定年退職後の夫婦ですという場合は、英語などで意思疎通ができなかった場合、「もういいです」と言う感じで見逃してくれる場合が多いので、「面倒なことにはならないんじゃないですか。すぐに通してくれるでしょうから本人たちに任せましょうよ。」と返したのだが、出入国管理のあたりを眺めていると、出入国管理の前(手荷物x検査→出入国管理だったような気がする)どうも対応している係員が勤務熱心というか少ししつこいと言うべきか、要はその夫婦を引き留めていて、出入国管理のところまで進めずにいた。

とはいえ、私がその夫婦の荷物を詰めたわけではないし、特にすることもないだろうし、ということで、私はお土産チェックを続行しようとしたのだが、経営者の方は私よりも優しい方だったみたいで、「いや、あれはあの夫婦じゃ無理だ。あなた行ってくれないか。」と言い出した。えー、私はあの人たちのサポートをする義理もないし、私も初めてこの国に来たところなので空港のスタッフの傾向なども知らないので、かかり合いたくないなと心底思った。しかし、そのおじ様の熱意に負けた。断り続けるめんどくささに負けた。

普通、出入国管理で出国手続きを終了させた人が逆戻りすることはない。そんなことは許されない。無理だろうなと思いつつ、そのおじ様の手前があるので、係員の男性に「すみません、無理だと思うのですが、そこで困っている人が同じツアーのメンバーです。あの人たちは英語ができないので係員さんが何を言っているかわからないみたいです。もしよろしければちょっとあそこに行ってサポートしても良いでしょうか。」という趣旨のことを言った。

ーいやー、無理ですよねー。そう言ってくれて全くこちらは困らないんですけどねー、と思いつつ。

係員はじろっと私を見た。カンボジアの人は、と大きな主語にしてしまってはいけないと思うが、その旅の印象としては、目つきが鋭い人が多かったし、この人も職業柄もあって目つきが鋭かった。「それは無理です。」と言われたので、そうですよねーと思いつつ、「ええ、無理だということはわかっているのですが、ただ、そうでもしないとあそこのトラブルが解決しないような気がします。」と続けて行ってみたところ、係員はちらっとその夫婦たちの方を見て、「わかった。少しだけなら。」と言った。

ー許可が下りちゃったじゃないか。いや、断固拒絶してくれても良かったのですけれど。

内心はどうであれ、ルールを曲げてくれた親切に感謝して、その夫婦のところに行き、「どうしましたか。彼らは英語はちょっとわからないので、私が説明します。」と係員に言ったところ、なんと手荷物に奇異な印象を与える程度に多い電池があったので、何のためにそんなに電池をたくさん持ち込み荷物に入れているのか、一定量の電池は持ち込めないので放棄しろという感じの話だった。

その時の持ち込み荷物のルールは知らないし、今にして思えば本当は足止めするような理由でも無かったかもしれないし、電池のピンハネや賄賂の請求なども考えられなくはない。しかしながらその時は、その説明を日本語で夫婦に説明して、トラブル回避のためには係員の言う通り多すぎるとされている分の電池を諦めた方が良いと告げ、夫婦はそれに従い、無事に出国手続きまで進むことができた。

ちなみに電池をたくさん持ち込んでいた理由は、デジタルカメラの電池として持ってきた、電池切れになった時に旅先で電池を確保できるか不安だったので日本から持ってきたのだそうだ。当時のバッテリーや電池状況を考えるとその理由は納得できるものだった。また、日本を出国する際には何も注意はされなかったそうなので、やはりその時のカンボジアの空港の係員に何らかの思惑があったのかもしれない。そのあたりは私の関知するところではないのでどうでもいいことだったが、夫婦を足止めしていた係員の説明は横柄なものではなかったし、落としどころも許容範囲内だと私は思ったし、そもそもその程度の対応は頑張って夫婦でやって欲しかった。

なお、電池問題が解決し、一足先に出入国管理の私の逆行を見逃してくれたところに行って、「無事に解決しました、どうもありがとう。」と告げたところ、強面っぽかった係員が、表情を崩して「それは良かった。良い旅を。」と言ってくれて、ああ、世の中って割といい人が多いなと思ったものだった。

なお、さらに少し続きがある。足止めされた夫婦は、その後出国管理も無事に通過して搭乗待ちエリアに来ることができた。経営者の方は、「良かったね、心配だったからこの人に行ってもらったんだけど、良かった。」とその夫婦に声をかけていた。こちらの人もちょっとお顔はどちらかというと強面だったのだけれど本当に人柄は良さそうだった。夫婦の内、夫の方は、「ごめんね、迷惑かけちゃったね、英語はわかると思ったんだけど、パニックになっちゃって。」と言っていた。但し、妻の方は、私に聞こえるか聞こえないかの所と声で「でも、たいしたことなかったし。」と言った。聞こえるように言ったのかどうかまではわからないが、私は割と地獄耳の方だったので聞こえた。

—だったら、自分たち夫婦で頑張って対応すればよかったじゃない。私みたいな小娘がしゃしゃり出てきたのが気に食わなかったかもしれないけれど。そもそもこの経営者の人が助っ人を依頼しなければ私は知らんぷりすることもできたんだぞ、と思った。

強面で一見怖そうだったカンボジアの空港の係員さんが、思ったよりはかなり優しかったことが旅の記憶として残っているというお話。

アンコール・ワットは、今度は子どもを連れて行ってみたい。あの掛け値なしの遺跡の迫力を感じてもらいたい。