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#65 こんなことがあった(3つの震災・前編 2024年1月1日飛騨高山)

2024年1月1日午後に発生した能登半島地震。
この時は飛騨高山のホテルにいた。

日頃住んでいるところは太平洋側の海に近い場所ということもあって、雪が積もることは年に数度あったら良い方ということもあって、雪景色を楽しみたい子どものリクエストで、海外に行きづらい時は子どものリクエストをきいてホテル滞在の正月を楽しんでいる。

ただし今回は、名古屋から高山駅に至るまで、そして駅を降りても雪はなく、あるとしれば向こうの山に見えるかなという感じの雪には恵まれない状況で、雪景色を楽しみにしていた子どもは少しがっかりしていた。天候を操作することはできないので、こればかりは仕方がない。

15時少し前にホテル到着、チェックインを済ませて荷解きをし、
部屋でコーヒーを飲みながら、子どもと予定チェックなどをしていた。
ゆらっとした。
ゆらゆらっとした。
ゆらゆらゆらっとゆれが続き、あ、これはそこそこ大きいなと思った時、
スマホから緊急地震速報アラームの、あの、居心地のわるい音が鳴った。

3.11の後に生まれた子どもにとっては、大きな揺れと、スマホからのアラーム、そしてかけ流していたテレビのアナウンスは、この時が初めて体験するものだったらしく、タブレットでゲームを楽しんでいたままの姿勢で固まって、「これ、どうしたらいい?」と私に尋ねた。

「じっとしておきなさい」と言って、そのまま視線の先にあるテレビを見ていると、ひどく切迫した声でNHKのアナウンサーが何度も何度も震源地に近い人たちに向けて津波避難を呼びかけており、状況の深刻さがじわじわと伝わっていた。その間にも小さ目とはいえ余震が続き、子どもの顔はしばらくこわばったままだった。

飛騨高山 震度5弱。
ドアを開けて出入りを確保したついでに、廊下に出てみると、同じように部屋のドアを半開きにした部屋がいくつもあった。エレベータールームは扉が閉まっており、これまで使ったことがない非常階段の扉が開いていた。エレベータールームの扉のところにある通用門みたいなものを開けると、エレベーターが停止していた。震度5弱だから当然そうなるよな、と思った。

エレベーター停止

部屋にもどり、テレビやインターネットで情報を集めた。
乗ってきた特急などに一部運休などが発生していることを知り、今日はもう外出はしない方がいいとして、明日以降はどうするかな、帰宅予定日には交通状況は元に戻っているかな、などと思った。

その後、夕食会場でホテル側から地震に関して心配をかけて申し訳ない、といった簡単な説明があった。設備にダメージは発生せず、お土産屋さんの棚に置いていた軽いものが落ちた程度の被害があったそうな。なお、飛騨高山でこのクラスの地震は数十年ぶりということだった。

翌日には、ニュースでは震災や被災地の情報が繰り返し流れていた。珍しく雪が少ない状況なのに、被災者の保護や救援物資配布が遅いのは何故なのだろう。能登半島という地理上の問題なのだろうか。「72時間以内」の初期対応が重要なことは多くの人が知っているにもかかわらず、何かしらそれがスムーズにいっていないことがうかがえ、そちらに気をとられつつも、子どものリクエストを受けて市内を散策した。お店の人との会話にはやはり「昨日の地震はすごかったね」という話が出た。

行ってみたいと思いつつも未だに行くことが叶わなかった輪島の朝市一帯の火災報道を見たりして、気が重くなったりした。ウクライナやパレスチナの状況が伝えられる中クリスマスムードを楽しむことなんてできなかったが、お正月も同様で、何かしら鬱々としつつ、何としたもんだかという気分が昨年からずっと続いている。もちろん、被害にあった人や被災地の人からするとぬくぬくとした安全な場所で何を言っている、と言う感じだとは思う。

数日後、飛騨高山‐名古屋‐津については何ら問題はなく交通機関を利用して帰宅し、その頃には報道としてはお正月気分を醸し出そうとしていたのだろうか、むやみに騒がしいお正月特番が多数を占めるようになり、それに耐えられずテレビを見ないようにしていた。

後編にまとめる予定だが、私は未だ震災の直接的な被害を受けたことはない。1995年1月17日の阪神淡路大震災の時は大阪南部の自宅にいて大きな揺れは感じたものの、壁にひびがはいったという北摂や明石の親戚たちと比べると何も被害はなかったに等しい。2011年3月11日の東日本大震災の時は職場で揺れを感じたし、関東にいた知人が交通網の混乱に巻き込まれて帰宅困難になった余波は受けたがその程度の、被害とはいえない状況だった。

東南海地震に備えよと言われている地域に住んでいるので、いつか震災の直接的な被害を被ることもあるだろうとは思っており、備蓄品には気を配っている方だとはいえ、完全に予測され、想定内の被害ですむ、ということはないとは思っている。

今回の能登半島の震災について、避難所運営などに女性の目線が欠けていると生理用品や性被害の問題や、人員配置の面などで大きな問題が発生することが既に指摘され、注意喚起がなされていることは、過去の震災を踏まえたものだと思って報道を見ている。それでも被害を完全に防ぐことは難しいだろうし、全壊となった家に住んでいた人、数か月とはいえ集団避難を決意した子どもたち、二次避難を決断した人たち、避難所に留まっているひとたち、そういった人たちが願うであろう「震災前に戻す」ことには時間がかかるだろう。

直接の震災被害に遭っていない者で、現地での直接的支援に参加しない者ができることは、まずはお金だということで、赤十字や、これまでに利用したことのあって信頼できそうな各種NPOに寄付や募金を少ししているし、これは継続しようと思う。