ダウントランスの必要性は

  話してしまうと、頭の内圧がさがる。

外山滋比古氏の本を読んでいて気を引かれた一文。

ふいに思いついた、目も覚めんばかりのアイデアについて
思いついたその時は素晴らしく輝いているその案をひとに話すこと、という話の中で出てきた文章

その後の事態を考慮せず話してしまうとどうなるか?
なるほどメモしておこうすぐに忘れてしまうからとスマホをタップしたところが

離してしまうと、頭の内圧がさがる。

と誤変換された。

そこでふと
ああ確かにね。

日々湧くように増える面倒ごとも
声に出して話してしまうと離れてゆく
誰かに話すと軽くなる。

頭のなかに巣食っていた、重苦しい塊を手離してしまうと、頭の内圧がさがる。
心を圧していたものも軽くなる。


頭で考え続けていること
心でつい思ってしまうこと

自分の中で随分以前より答えが出ないこの問題
どれほどの違いがあるのか、未だよくわからないままでいる

けれど確かに
話してしまうと、内圧がさがる。
目に見えている自分自身の形から、見えない気体がすうっと抜け出るように

まるで天啓のように閃いたアイデアが話すことで離れて行ってしまう
素晴らしい思いつきは頭の中を占め続けていなければ、その圧を手離した途端に輝きを失ってしまうけれど
心を潰す重圧は早めに手離した方がいいに決まってる



心の中にあるさまざまを放つために書きながら今
考え考え、行きつ戻りつする文章

相反する頭と心
圧が下げることの良し悪しは
どちらに在るかによるような

未だわからないままなりに。


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