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死者からのアドヴァイス(柳田国男と女子教育)

女性の日らしいから、それにかこつけてこんな話を引っ張り出してみた。

父親の口にしたことばで特に印象に残ったものとして、柳田国男の長男が次のようなものを挙げている。

何か重大な決断の機に際会するごとに、自分がまず思うのを常としたのは、古人ならばこのような際いかにしたかということだった
(柳田為正『父 柳田國男を想う』)

人によってはいかにも柳田らしいと思うかもしれないが、自分は意外に思った。なぜかというに、柳田は主体性を重んじた人だからである。主体的であるには自分自身のうちに基準をもっていなければならない。昔から伝えられてきたことに従順なのは伝統主義者であって、柳田はその種の伝統主義には批判的であった。

だが、以前話をしたレヴィナスなどの開かれた自我のに照らしてみると、このことばの意味もちと変わってくる。

女子教育の問題

例えば、自分の娘をどのような学校に送るか決断を迫られた場合である。柳田には四人の娘がいたので、これが結構悩ましい問題であったろう。男親であると女の子にどのような教育を施すべきか戸惑うものである。

それに、彼が娘たちを育てたのは、女子教育のあり方が問題化された時代であった。大きく分けて、男に好かれて助けてもらえるような良妻賢母型か、イプセンの『人形の家』のノラに象徴されるように男の助けなど借りずとも生きられる自立した女性か、という選択がある。伝統的女性像と近代的女性像の衝突である。娘の母親は一時代前の教育で育てられた人であるから、そのままモデルとはなりにくい。

自分では判断しかねることに決断を下さなければならないとき、人はどうするか。一つには、自分の周囲を見回して、自分と同じような人がやっていることにならう。要するに人並みに育てる。そうしておけば、まず間違いないし、かりに間違ったとしてもみんなで間違うのだから、自分の子供だけが不利にはならない。自分が咎められることもない。安全策だ。

しかし、自分に自信のある人はもう少し野心的になるかもしれない。人にならうのではなく、自分の頭で、近い将来求められる女性像を推測したり、娘の長所のうちものになりそうなものを見つけて、それを伸ばすような教育を施せるような学校を選ぶ。そうして群から一つ頭を出し抜こうとする。つまり、自分の道具的理性を使って合理的な解決を見い出すのである。

近代的個人としてはこちらの方が一段エライような感じもするが、リスクは高いし、失敗したときに自分だけが責任を負う。そもそもとして、そんなことが道具的理性だけで可能なのであれば、科学者や数学者こそがもっともすぐれた教育者であって、教育者など別に育てる必要はない。

そうならないのは、道具的理性というものが価値判断とか質的判断というものには役立たないからだ。「よき生」「よき人間」とはどういうものかを考えずにひとりの人間をどのように教育すべきか決めてしまうとき、まさに人をモノ扱いすることになる。男にとっても難問であるが、これが女となると今日でも周囲がやかましい大問題である。

やはり、多くの人は、事情をよく知っている第三者に助言を求めるということになる。柳田の場合は、この第三者が想像上の「古人」なのである。昔から人々は女子を教育してきた。その際にいったいかれらは何を基準にしていたのか。これを知ることができれば、自分の問題にも応用可能かもしれない。

死者にいかに語らせるか

だが、待てよ。自分自身の頭のなかにある「古人」に助言を求めても、それに応えるのはやはり自分自身じゃないか。しかも、「古人」に相談したにしては、柳田は娘たちをみんなキリスト教系の女学校に入れて、外国語なんぞを学ばせている。えらくハイカラな「古人」もいたものである。

結局、柳田は娘の教育については「古人」の助言ではなく、一ブルジョアの平均か、個人的に作られた基準にしたがったのかもしれない。しかし、自分はそうは考えない。なぜなら、柳田は古い女性教育・教養について広汎に調べて書いている。しかも直接女性に語りかけるかたちで発表されたものも多い。確かに、柳田は女子教育について「古人」に相談して、それを多くの女性にも伝えようとしたのである。

しかし、「古人」とはもう死んでいる人たちである。いくら相談しても返事はしてくれない。しかも、かれらが「女子教育」にかんする体系だった理論を準備して教育していたはずもない。そもそも時代がちがう。今のご時世に沿った助言なんてものはかれらの口から決してでてこない。降霊術かなんかで呼び出してもらったところで、対話はちんぷんかんのものであっただろう。

だから、柳田は自分で「古人」の教育方法を掘り起こし、再構成しなければならなかった。貝原益軒の「女大学」などに書かれたものだけでなく、読み書きのできない人々がどのように女子を教育したのか、文書以外の断片的な史料を拾い集めて、一つの思想として組み立てなおしたのである。この「古人」〝を〟学問的探究の対象としたのが民俗学である。

しかし、民俗学がそこで終わってしまったら、何のための学問だかわからなくなる。なぜにわれわれはわざわざ「古人」のことについて研究する必要があるのか。柳田は科学としての民俗学は過去に関わるものであり、未来については何も言うことができないとしている。しかし、将来の役に立たない過去〝を〟学ぶ意味はどこにあるのか。

「に」の関係が「私」を作る

自分が考えるのは、柳田の「古人」は、自分がブラジルで遭遇した乞食のような「顔」の性格を帯びているということである(以下リンク参照)。

「顔」はいかなる問いかけにも応答しない。だから対象としては無視しえる。しかし、あえてそれを「顔」として迎え入れる、つまり〝に〟の関係に立つとき、閉じられた自我を他者に開くことになる。自分自身を中心から外して、自分の内にはない基準で世界を眺めることが可能になる。

しかし、これは自我の放棄というものともちがう。「古人」の顔に促されながらも、やはり応答を構成するのは自分自身なのである。女子教育において柳田の出した答えは、良妻賢母でも有島武郎の『或る女』に描かれるような「新しい女」でもない。理想の女子教育とは家庭や共同体での生活を改善していく主体を育てる教育である。これが柳田が「古人」〝に〟向き合って出した答えであった。

やはり「古人」と一緒に考えて出した答えであるからか、柳田特有の折衷的な答えである。女性の主体性を認めながらも、公的な場ではなく家庭や地域共同体という「私的」な場においてこそ、その天分が発揮されるという考えがその背後にはある。今日の平等論者からみると柳田の進歩性に限界が感じられよう。が、真の進歩の歴史は、かえって近代において「私的」とされるようになった領域に見出されるという柳田の史観に鑑みると、むしろ近代平等論者の盲点を突いているとも受けとれる。

柳田が娘たちをキリスト教系の学校に送る決断をしたのは、一個の主体的な人間として育てる教育を受けさせたいという希望と関係があると思われる。当時は良妻賢母型ではない女子教育というのがキリスト教系の学校にしか期待できなかったのである。

女性を文化の担い手として重視する柳田は、女性を民俗学の担い手として温かい声援を送るのであるが、同時に自分の社会的役割を意識するよう戒める。温かくも厳しい柳田の「顔」に、今日の解放された女性たちがどのように向き合うか興味あるところである。

柳田自身は近代的自我を確立した近代人そのものであった。だが、近代に内在する基準ではなく、近代の外にある基準を参照して考えたが故に、近代の保守主義者も進歩主義者も考えつかないような発想が生まれてきたのでもある。

それがあるから、柳田の思考は近代主義対伝統主義の枠に収まり切れず、ときにポスト近代、超近代的な人々からも評価されるに足る視点が見られるのである。柳田の個性はこの歴史上の他者との対話にあるといってもよい。自分とは異なる他者と、「を」ではなく「に」の関係に立つから、個性的な「私」が作られる。

紙数が尽きたので端折るが(なるべく3ページ以内に収めたい)、この話も柳田礼賛のつもりでない。およそ人間〝を〟知ろうという人文系の学問はまた、人間〝に〟向き合う学問でもある。研究者とモノとしての自然が主体‐対象関係を結ぶ自然科学とは異なるのはその点である。これが役立たずに見える人文系学問の存在意義の欠かせない根拠の一つであり、この人文教育をおろそかにすると人間は自分を見失う。そう自分などは考えているのである。

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