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第2話 多重人格の人と付き合う少し前のこと

多重人格。今は、解離性同一性障害という。

多重人格の人って大変じゃない?

大変だよ。今までの常識が通用しないんだから、本当に大変。さっきまで相方さんと普通に会話していたのに、いつの間にかふらふらしていて、まぶたが落ちて、倒れて。それから目を覚ますまでの時間はとてもドキドキする。特に、私が疲れているときは、「激しい人でありませんように」って天に祈りたくなる。いや、多分、祈っている。

今回は、相方さんと付き合うようになる少し前の話。

全速力で死に向かう「ソラ」

1年くらい前のこと。相方さん(当時はまだ相方さんではない)が出かけたいと言うので、車で迎えに行くことにした。この頃は特別な感情なんて何もなくて、「友達からの頼み事は基本的に断らない」という私のポリシーによって、何となく迎えに行っていた。

家に着いたとき、相方さんは少し飲酒していたようだった。

「お酒飲んだ?」

「1杯だけね。」

それにしては顔が赤いような気がするけど、1杯だけと言っているならきっとそうなんだろう。気にしないことにした。相方さんを車に乗せて、農道のようなところを走っていた。右も左も田んぼ。車はそれほど走っていない。

相方さんと話をしていたはずだったけど、返事がなくなった。助手席を見ると、うなだれている。寝ているように見える。

多くの人は「酔って寝ちゃったかな?」って思うかもしれないね。でも、私はそうは思わない。念のため、車をロックして、そのまま走ることにした。

相方さんが目を覚ました。と、思ったら、勢いよく起き上がって、車のドアを開けようとしている。私の車にはチャイルドロックは付いてないから、すぐに鍵を開けられて、シートベルトを外されて、ドアも開けられてしまった。

今の状況、わかる? ちょっと想像してみて。

車は走行中。私は運転中。ドアが開いた。そこから飛び出そうとしている。

「マジか!!!」

独り言を叫んで、自分のシートベルトを外す。右手でハンドルをつかんだまま、体をできるだけ左に寄せる。左腕を相方さん(しつこいけど当時はまだ相方さんではない)の胴体に絡める。しかし、ダメだ。相方さんの力が強いので、片腕では抑えられない。私の体が左に引きずられる。このままではダメだ。右手でハンドルを大きく左に回しながら、思い切りブレーキを踏む。何とか止まった。しかし、安心する暇はない。車から降りて走っていく人影が視界に入る。

「ああ、もう!」

今日はなんて日だ。叫んでばかりいる。ギアをパーキングに入れて、車から降りる。追いかけて捕まえる。

「離せ!」

ずっと無言だった人が、低い声を出しながら振りほどこうとする。相変わらず力が強い。捕まえようとしても体が引きずられてしまう。仕方ない。倒そう。

主人格に申し訳ないと思いつつ、足をかけて倒した。そして、両肩を抑え込む。

「離せ!」

「誰?」

「離せよ!」

「だから、誰?」

「ソラ。離せよ!」

「ソラかー。離したらどうするの?」

「死ぬんだよ。」

「じゃあ、離せないなー。」

「いいからほっとけよ! こいつは死にたいんだよ!」

ソラには会ったことがあった。そのときも全力で死のうとしていた。今だって、手を話した途端に車に飛び出そうとするだろう。近くに川があるから、そこに飛び込もうとするかもしれない。近くに線路もあるけど、幸いここは田舎だ。電車の本数は少ない。

ソラは、主人格の「死にたい」という願望を実現することが自分の役目だと思い込んでいる。だから、私には、ソラを責めることはできなかった。ソラは、自分の役目を果たそうとしているだけなんだ。そんな真っ直ぐな人を責めることなんてできない。しかし、死なせない。これは、死にたいソラと死なせたくない私との勝負なんだ。

「どうして死にたいと思っているんだろうね。」

暴れるソラを押さえつけながら聞いた。

「お前になんか教えるかよ!」

「えー。教えてよー。」

「離せよ!」

「やだ。教えてー。」

「離せ! 死なせてやれよ!」

「死なせてやれ」というのは、悲しい言葉だな。どこにも進む先がなくて、希望を失った人の言葉のように思えた。

「私は力になれるかわからないけど、聞かせてくれないかな。」

「言っても無駄だ。今までだって、誰もこいつのことをわかってくれなかった。」

「これまではそうだったかもしれないけど、これからもそうとは限らないよ。」

「これからも同じだ。だから、終わりにさせてやれよ!」

いや、そういうわけにはいかない。このまま死んだら、絶望のまま人生が終わってしまう。生きれいれば意外といいこともあるって、教えてやりたい。死ぬなら、それからでもいいじゃないか。

「ソラはいいやつだな。」

「お前、何言ってるんだ?」

「ソラは、死にたくなるくらいつらいこととか、みんなわかってるんだよね。理解者がいるというのは、ありがたいことだよ。」

「お前の言葉なんてどうでもいいから、離せ!」

うーん。何を言っても無駄か…。どうしたらいいかな。頭の中をいろんな思考が駆け巡る。あとどれくらい押さえつけていたらいいかな。そういえば、私たちのそばをときどき車が走っていくけど、この光景は視界に入っているかな。ただの痴話喧嘩だと思ってくれたらいいけど、警察に通報されたら嫌だな。お腹空いた。

そのうちに、私の両腕を動かそうとする力が消えた。どうやら、ソラは眠ってくれたようだ。ああ、終わった。安心して、力が抜けて、涙が出てきた。目を覚ましたら、文句を言ってやろう。

「どうしたの? 泣いてるの?」

思ったより早く目を覚ましたようだ。

「誰のせいでこうなったと思って…!」

文句を言おうとして、言葉を飲んだ。なんだか様子が違う。

「…誰?」

「レイだよ。」

「あーもー! 何でもないよ!」

私の気持ちはどこに持っていけばいいのだろう。きょとんとしたレイちゃんを車に乗せて、ドライブの続きを始めた。

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