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【漫遊後記】陸前高田 浄土寺で見た!「 奇跡の一本老松 」

 此度は、去る出張の延長戦で訪れた陸前高田市で出会った愉快な発見について備忘よろしく綴らせて頂きます。毎度の如く乱文ではありますが、お時間のある方はお付き合い下さい。

 ※スマホ(3:4の画像)とデジイチ(2:3の画像)で撮影した写真を掲載しているので画質が微妙に異なります。


 そんなこんなの ” 慌ただしい一日 ” を経た翌朝。
 太平洋に面した快闊な海辺の町 陸前高田市 は、朝も早くから太陽の光が燦々と降り注ぎ、まるで高性能バッテリーにエネルギーが充填されたかの如く、町全体が動き始めるのです。
 こうした気配に影響されたのか、寝不足で疲労が抜けきらない僕も、気分転換よろしく宿泊地の近隣を散歩してみることにしたのでした。

 向かった先は、厭離山欣求院 浄土寺
 当地における創建は天正2年(1574年)との事ですが、来歴を辿ってみると、元々は奈良時代に採掘が始まった玉山金山(現・陸前高田市竹駒町)に設けられた寺院にルーツがあるようです。※玉山金山について触れるには紙面と時間が不足するので、そこはWikipediaにお任せしましょう。

威風堂々とした佇まいの本堂

 因みに、宮城県の涌谷町(日本で最初に金が採取された場所とされ、東大寺の廬舎那仏にも使われた。)から岩手県南部に繋がる地域には、金を筆頭に様々な鉱物を産出する山が散在しています。
 されば、宮城県北部から岩手県中南部地域において近似した文化慣習(鹿踊り・かま神・切紙 等々)が多く遺されているという事実にも合点がいくというものです。

玉山金山(青丸)と浄土寺(赤丸)の位置関係

 さて、私的嗜好の沼へ嵌る前に、古刹 浄土寺 を散歩先に選んだ理由について触れておきましょう。
 今春、陸前高田市内に点在する避難場所を巡っていた折に、浄土寺の境内に植えられた立派な老松おいまつの存在を知りました。
 その時は、余裕がなくて車窓から眺めただけになりましたが、此度の ” 出張延長戦 ” が、絶好の機会になってくれたわけです。 

向拝には鮮やかな山号額と質実剛健な趣の格天井が

  浄土寺の界隈に入ると、参道の入口を示す素朴な造りの山門(入母屋の八脚鐘楼門)が出迎えてくれます。
 この山門の状態からして、相応の年月を経ている事は明らかで、去る震災で被災して再建されたような印象は全くありませんでした。

 そして、その山門の奥に大きな本堂が鎮座しているわけですが、この本堂もまた震災を機に再建された風もなく、「ここに昔っから建ってますよ。」といった面持ちで静かに佇んでいるし、更に右方へ目を移せば、件の老松が立派な枝ぶりを披露しているといった具合で、過去の理不尽な自然災害の気配を微塵も感じさせないのです。

 津波被害が広範囲に及んだ陸前高田市にあって、この境内だけが時空を超えた空間に存在しているような感覚に陥りました。 

気仙大工の手による本堂に負けない「老松の豪壮たる立ち姿」

 正気を取り戻しつつ「もしかして、ここまで津波は来なかったのかな?」とも考えたのですが、境内脇の傾斜面に目をやると「桜ライン311」と思しき桜が植えられおり、その桜の木と本堂や山門のグラウンド・レベルを比較すると、確実に津波の被害を受けていることが推測されました。

 となれば、件の老松もまた海水に浸かっているということになるわけですが、この老松の豪放磊落たる枝ぶりからは、そんな悲劇を感じ取ることはできません。そのくらい、生命力に溢れているのです。
 実に不思議な光景でした。

素晴らしい枝ぶりよ!

 そんな感慨を胸に抱きながら境内を歩き回っていると、何処からともなく、噴霧器を手にした人物が現れました。
 その御仁は、手際よく防毒マスクを装着すると、本堂脇に祀られてある石碑群の周辺に防草剤を散布し始めました。朝のお勤めにしてはケミカルに過ぎますが、頭は丸刈り、そして貫禄のある体躯と物腰 … とくれば、ご住職に違いあるまいと判断し、手前勝手を承知でお声掛けさせて頂きました。 

津波に耐えて転倒も流出もしなかった本堂脇の石碑群

 結果的に、その御仁はご住職であられました。
 お勤め中に申し訳ないとお詫びを入れつつ、震災時の様子について教えて欲しいとお願いすると、ご住職は快く聞き入れて下さいました。
 
 ご住職の話によれば、浄土寺の境内が津波の最終到達地点に近かったこともあり、本堂や山門が倒壊するまでには至らなかったとのこと。
 但し、津波が本堂の広縁を越えたことから、本堂の壁や開口部は抜け落ち、海水の浮力にって畳が浮き上がるといった被害を受けたそうです。(山門も同程度の被害)

 とまれ、主要構造部を除く壁や床(他に内装・調度品等々)などの復旧は必須だったわけですから、一概に損害が小さかったとは言えないでしょう。加えて、地域の仏事を担っていた寺院であることを鑑みれば、市民の皆さんにとっても大きな痛手であったことは想像に難くありません。

巡礼堂の脇に置かれた「改修前の本堂の棟を飾っていた銅製の鬼飾り」

 また、参道脇に設けられた納堂(浄土寺は、気仙三十三観音霊場の三十三番札所であるため、巡礼者が使用した網笠や草鞋を、この納堂に奉納して巡礼を締め括った。)は、津波によって礎石から浮き上がり、お堂の向きが変わってしまったそうです。

 震災直後は、納堂を解体することも考えたそうですが、前出の通り ” 巡礼の最後を締めくくる札所 ” であることから保存を願う声も多く、再建を決めたとのこと。(今では由緒ある札所を示す案内の看板が設けられている。) 
 ※因みに、本堂の屋根の改修は震災に関係していない様です。

納堂の前には素朴な趣の慈母観音像が

 そして、忘れちゃならない  老松 ” ですよね。
 前出の通り、津波が本堂の広縁の高さに達していたことから、この老松も海水に浸かってしまいました。よって、震災から程なくして、老松の状態が芳しくなくなったそうですが、時間をかけながら復活を果たしたとのこと。
 あっぱれ見事な老松です。ご住職のお話を拝聴しているうちに、疲労困憊していた僕の体にも力が漲ってきました。

 このお話を受けて「それでは、この老松こそが正真正銘 ” 奇跡の一本松 ” じゃないですか!」と伝えると、ご住職は「私も予てから同じことを言っているのですがね … 。あっちの一本松の方が、やっぱり通りが良いみたいで。」と苦笑い。
 まぁ、仕方がないですよね(微笑)。

屋根の改修時にバランスを考えて鬼飾りを小さくしたそう

 ご住職に御礼を伝え、暫くの間、老松を愛でさせて頂きました。
 見れば見るほど、こちらが元気になってきます。
 そんな老松です。
 「 奇跡の一本松 」を名乗ることが許されないのなら、せめて「 奇跡の一本老松 」と呼ばせて頂きましょう。

 ここ 陸前高田市の古刹 浄土寺 には、津波に負けなかった老松があります。この悠久の時を生き抜いてきた一木もまた、忘れ難き 震災の記憶 になっているのです。

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