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【遺す物語】第三話:THE BEATLES FOREVER

序:「遺す物語」について

 「遺す物語」の意味は、読んで字の如し「遺す物を語る」です。
 さしたる財産を持ち合わせているわけもない僕ですが、死ぬまで自分の傍に置いておこう、若しくは、息子たちに託そうと考えている物と、その後ろ側にある物語を、この「遺す物語」の中に刻んでいこうと思います。



第三話:THE BEATLES FOREVER

 なにを隠そう、僕は THE BEATLES マニアだ。
 否・・・現役の熱心なファンに申し訳が立たないから「~だった」と過去形にしておこう。とかなんとか言っておきながらも、中学の卒業文集の人物紹介欄に「ビートルズと言えばこの人!」と書かれているくらいだから、少なくとも卒業文集の実行委員界隈の友人達には「かなり痛いファン」として認識されていたに違いあるまい。

 取るに足らぬ前提はこの位にしておく。
 去る冬期休暇に行った大掃除の最中に、我が家に散在する幾つかの押入から、数々のビートルズ関連品が幾つか出土してきた。されば、これを機会に「遺す物語」として認めてしたためておこうと考えた次第。
 これといって目新しい物があるとは思えないが、これらは、僕が小学5年生の頃から高校1年生にかけて収集してきた青春の遺物でもある。
 稀有で酔狂で賢明なる読者の中にも、懐かしいと思う同志同輩、或いは、懐古趣味の心を有する若人もおられよう。我が愚息たちの目に触れるより先に、そんな方々の慰みになれば幸いだ。 

1:黒船の名は「Sister」

 幼少の頃から、姉の「金魚の糞」よろしくピアノ教室に通っていたこともあり、レコードを聴くことはTVを見るのと同じくらい「当たり前の日常」だったように思う。(ソノシートの存在も大きかった。)
 と言っても、両親が買ってくれたレコードの多くは、ピアノ教室の横田先生が推奨していたA・ルービンシュタインやI・ヘブラーのピアノ演奏、そしてウィーン少年合唱団の様なたぐいであったから、比較的「お行儀のよい音楽」ばかりが家の中を流れていたことになるだろう。だが、この ” シックな音楽環境 ” は、2歳上の姉によって激変させられるのである。

Star Wars の「宇宙大戦争」も凄いが、この邦題も負けず劣らず。

 或る日のこと。
 中学1年生になったばかりの姉は、同級生の兄貴が熱狂しているというイギリス人4人組のロックバンドのレコードを借りて帰ってきた。
 手も洗わずに居間に入ってきた彼女は、緊張した面持ちで「これは、〇〇ちゃんの兄ちゃんから借りてきたレコードなんだから、あんたは絶対に、絶対に、触っちゃ駄目だからね!」と鋭い目で弟の僕を威嚇しつつ、ジャケットから慎重に取り出したレコードをプレイヤーの上に置いた。

 折しも、英語の歌に興味を持ち始めていた僕(当時小学5年生・10歳)は、神妙な面持ちでステレオの前に座る姉に習って正座した。(平日の夕方に放映されていた THE MONKEES のTVドラマの影響が大きかった。)

何もかもが英語で、あたかも大人の愉しみを味わっているかの様な気分になったものだ。

 プレイヤーは静かに回り始めた。
 「ジャカジャーン!いっびな はぁーでぃぃず ないと!」
 この突然の始まりに、姉弟二人は完全にノックアウトされたのである。 

2:姉と弟の共闘

 日本コロンビア製の大きなスピーカーから鳴り響いた「A Hard Day's Night」は、姉弟にハレーションの如き衝撃と欲求をもたらした。
 完全に冷静さを失った姉は「伝吉!私と二人でビートルズのアルバムを揃えていかない?」と持ちかけてきた。聞けば2500円もするというレコードである。小学5年生の私にとっては国家予算も同様だった。

 しかし、姉が言うには、お年玉で2枚、誕生日プレゼントで1枚、即ち1人で3枚/年のペースでアルバムを買えば、3年足らずでビートルズのオリジナル・アルバムが殆ど揃うだろうとの事だった。
 この都合の良い誘いに、純真無垢な弟は見事に引っ掛かったのである。今更ながら振り返ってみれば、あの時の姉は「世間知らずの老若にワンルーム投資を勧める詐欺まがいのデベロッパーの如き顔」をしていたと思う。

全てのアルバムを揃えることは出来なかった。
姉が購入した分は、彼女が所有しているはず。

 かくして、商談は成立した。この出来事がきっかけとなり、当時の私がイの一番に熱中していた釣りに費やす予定だったお小遣いの全てを、アルバムの購入に充てる羽目になったのである。

 姉の目論見通り、順調にアルバムの数は増えていった・・・のは、最初の2年に限った話であった。
 がしかし、当初は半分騙された様な気持ちになっていた僕も、それなりに楽しむようになっていったことは事実だ。新しいアルバムを買ってくる度に、二人揃ってステレオの前に座って聞いた。そして、各曲について熱く評論しあった場面は、懐かしい思い出として消し難い。

こんな変わり種(トークや企画もの)も買った。

 その間、忘れることができない悲痛な出来事もあった。
 時は1980年12月8日。私が小学6年生の時分である。
 かのジョン・レノンが殺害されてしまったのだ。本当にショックを受けた。TVに映し出される暗鬱とした現場の風景、そして涙と困惑が綯交ぜになったファンたちの合唱の様子を目にした少年の僕は、ただただ茫然としていた。(未だに、その時の心境を表現する言葉を持てないでいる。)
 いずれにしても、この悲しい事件を境にして、更にビートルズ熱が過熱していたことは記すまでもないだろう。

3:地方都市 福島 における洋楽事情

 そして、悲しい出来事を経た翌年の夏のこと。僕たち家族は、父の転勤によって、東京から福島市(福島県)に引っ越しすることになった。
 高校受験を控えていた姉は、反抗期とあいまって憤懣やるかたない苛立ちを両親にぶつけていた。一方、彼女の「転校に対する嫌悪や不安」を理解していた両親とて無策でいたわけではない。最善策を見い出すべく必死に動いていたと僕は思う。

中学時代に手に入れた本の一例。
家の中を探せばまだあるはず。

 家庭内がそのような状況であったから、両親の目は一時的にではあるけれど、僕から完全に離れていたはずだ。正直な話、寂しさはあった。
 しかし、隠密活動がし易くなったことに気付いた僕は、むしろ清々しい感覚を得ていた。注目されないからこそ、自由に振舞えるという「利」を見い出したのである。そこに味を占めた私は、殊更に静かに、そして目立たずに、自分の目的を効率よく完遂させていく術を身に着けていった。

お世辞にも上手とは言えないジョンの絵
「絵本 ジョン・レノン センス」より

 そんなこんなの末に、家族4人全員で福島へ引っ越しすることになった。
 当時の福島は、地方特有の土着傾向が色濃く残っており、中学校の校則は勿論のこと、教師自体も排他的で且つ暴力的であったから、心理的に不安定になりがちな転校生にとっては、何かとストレスが溜まる環境であった。転校の手続きで訪れた校長室で、頭を丸坊主にしなければならないと初めて知った時には、ある種の絶望を感じたものだ。
 だからこそ、ビートルズの存在は、僕の中で大きさを増していったのかもしれない。

遅れて出土してきた「なんたってビートルズ」は座右の書。

 転校して直ぐに、僕は親しくなったクラスメイトからレコード店を教えてもらった。初めての街だったけれど、繁華街の規模が小さかったので、お店を見つけるのは容易だった。しかし、流通事情が悪かったことに加え、需要の問題が影響しているのか、レコードの品揃えが演歌に偏っており、落胆の色が隠せなかった記憶がある。

 そんな環境に閉口したのは言うまでもないが、僕は諦めずにビートルズのアルバムを買い足していった。その一方で、姉の「ビートルズ熱」は既に冷めており、流行のけつを追うことに血道をあげていた彼女は、速やかにニューミュージックの方向へ移行していった。その節操のない変わり身の早さに驚くばかりの弟なのであった(苦笑)。

横尾忠則は、この本の装丁も担当していた。内田裕也が芳ばしい。

 時間の経過と共に、新しい友人たちのお陰もあって中学生活は充実していったが、それとは別に「解消し難い悩み」も少なからず残った。
 何しろ、男女を問わず、同級生の殆どはアイドルの熱狂的なファンであり、教室の話題は「ザ・ベストテン」に始終していたのだから。

 早い話が、洋楽の類を聴く人間はいなかったのである。
 故に、この中学に通っている間は、音楽の話で盛り上がることは期待できないと観念した私は、更なるアンチテーゼよろしく、更にハードなロック(レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、AC⚡DCなど)を聴くようになっていった。それ即ち、音楽的な孤立を深めていったのである。 

この本の挿絵には、本当に影響を受けた。

4:THE BEATLES が与えてくれた恵み

 今もなお手元に残ったビートルズのレコードやグッズを眺めていると、あの「A Hard Day's Night」から受けた衝撃や、福島在住の時分に感じていた「やるせない孤独感」が色鮮やかに蘇ってくる。
 こうした少年時代の孤独が、時の経過や人間関係、そして環境の影響によってルサンチマンに変質しなかったことに、ある種の奇跡を感じている。

この本は、ビートルズの世界観やメンバーのメンタリティーを解する一助になってくれた。

 誰かを強烈に恨んだり、広い社会を憎んだりせずに済んだのは、ビートルズという情緒的な存在(楽曲の素晴らしさだけではなく、彼らが遺してくれたゴシップや確執といったエピソードの数々)が、不安定な少年の心にカタルシスを与えてくれたのだと、今ならば分かる。
 改めて「音楽」と「音楽が有する背景」の素晴らしさを想う。

エリナーリグビーの「お米の謎」は、この本で解決した。

5:遺した物の行く末

 少し前のことになるが、「音」に拘りだした次男坊が「俺はね、社会人になったら真空管アンプを自作するんだ。」と口走るのを耳にした。
 どうやら、そっち方面に嗜好が傾いたようである。とは言え、その言葉にちょっとばかり嬉しさも感じた。それは、これらのアルバムやグッズの引き取り手が見つかった様な気がしたから・・・。

未使用の缶ペンケースは、高田馬場の「GETBACK」で購入した。

 まぁ、親の欲目もあるのだろうけれど、次男坊なら丁寧に扱ってくれるに違いない。とまれ、遺す側の人間としては、過分な期待などせずに、ただただ、良い状態を保つように心掛けて保管していきたいと考えている。


余録:伝吉的アルバム・ベスト5

 折角なので、オリジナル・アルバムのランキングを遺しておきましょう。

姉に持っていかれた「STG.~」だけCDでお茶を濁した。

1位:REVOLVER
2位:STG. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND 
3位:RUBBER SOUL
4位:ABBEY ROAD
5位:BEATLES FOR SALE

 リボルバーは、楽曲は勿論のこと、ジャケットから何から全てがハイクオリティで、絶妙なバランスを保っていて、伝吉小父の音楽史の中で出会った全てのロック・アルバムと比較しても、TOP10には入ると思います。
 皆さんは、どのアルバムがお好きですか?

一番最後に買った「PLEASE PLEASE ME」は、エバークリーン(赤盤)を買う羽目に。

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