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【総括2023’/短歌の巻】旅の記録を濃縮する試み

 もう直ぐ終わりを迎える激動の2023年。
 何の因果か気まぐれか、今年から五十の手習いよろしく挑戦することにした短歌の世界。而して、門外漢の嗜みにもかかわらず、恥ずかしながら十八首の旅縛りたびしばり短歌」を捻り出した次第です。

 此度は、不遜を承知で拙作を振り返ってみようと思います。芸も捻りもない短歌ですが、お時間のある方はお付き合いくださいませ。


2023年 「旅の事始め」は、心の余裕なく詠まず仕舞い。これもまた良き思い出。

序:「旅縛り短歌」を始めるにあたって

 そもそも、放っておけば寿限無のような長ったらしい文章しか綴れない無粋な人間ですから、旅行や見学・鑑賞の類(美術館・博物館など)を備忘しようものなら、ネット空間と電力と時間の浪費になることは必至。
 故に、旅先で得た感慨を短歌で表現するという設定を課すことで、瞬発力と推敲力が養われるのではないかと睨んだわけです。
 それが「旅の記録を短歌で濃縮する」という試みの眼目でした。

 それでは、四の五の言わず、1年分の拙作を振り返らせて頂きましょう。
 ※短歌の右下にある日付と題名の部分にリンクが貼ってあります。


壱:盛岡~岩手沿岸漫遊 「早春」

不来方こずかたを 離れて眺む 鬼ヶ城おにがじょう 君のいくすゑ 無事願ふ父

2023年3月19日:岩手富士よ ありがとう
岩手山の頂上から西方(写真だと左方)に連なる尾根が「鬼ヶ城」

神が棲む 丘より望む 松の原 テンデンコの声 心に刻め

2023年3月19日:不来方から陸前の地へ
津波避難場所から陸前高田の町~高田松原を望む

ビスカイノ なづけし湾の 潮の香を 閉ざす衛兵 無言なるかな

2023年3月20日:大船渡にて サンアンドレアス湾に立つ
大船渡湾を囲む防潮堤

雲霞くもがすみ 木々のまにまに 椿咲く 気仙けせんの山に 槌の音ひとつ

2023年3月21日:広田半島にて 気仙大工左官伝承館を訪れる
リアスの真っ只中! 碁石海岸は養殖ワカメ生誕の地

弐:新潟漫遊「晩春」

置賜おきたまの 季節を分かつ 宇津峠うつとうげ 雪解けの水 笹濁りささにごりけり

2023年4月2日:新潟への往路・宇津峠を越えて
弥彦神社に集う人々の波

荒海の 砂塵を隔てる 伊夜比古いやひこは 民の願いの 波止はとになりけり

2023年4月2日:弥彦神社にて
かつての集落は波の浸食と崖の崩落により消失

毒消しを 売りし娘の 足跡を 消すは角海かくみに 寄せる白波

2023年4月2日:角海浜を望む
この旅で和歌を詠まなかった唯一の名勝 旧齋藤家別邸

潮音する 終の棲家ついのすみかで 万葉の かなとたわむる 秋艸道人しゅうそうどうじん

2023年4月2日:北方文化博物館にて

吹く風の 音を住処に 無頼派を 背負いし人の 姿を探す

2023年4月3日:安吾の地を訪ねて
装飾を兼ねる小舞竹の景色もまた良し 旧齋藤家別邸にて

パタリロと おそ松くんに 奇面組 一同揃って 礼された俺

2023年4月3日:マンガの家を訪ねて

雪冠る 山の彼方に 浮かぶ家 やがて恋しき せんべい布団

2023年4月3日:新潟からの復路・関川村から飯豊連峰を望む
岩手県一関出身の絵師 佐藤紫煙 の筆による板戸絵 旧齋藤家別邸にて

※漫遊後記はこちら


参:岩手沿岸漫遊「初夏」

幕末の 志士を育てた 剣豪の 生まれし郷に 浜風の吹く

2023年5月5日:千葉周作 生誕の地 にて
高田松原に河口をもつ気仙川の巨大水門

潮の香を まとって登る 贄鮎にえあゆの 鱗煌めく 気仙の川よ

2023年5月5日:気仙川 河口 にて

※漫遊後記はこちら


肆:花巻~岩手沿岸漫遊「初夏」

飾りなき 純真無垢の 魂が 悶えた跡に 言葉を失くす

2023年5月26日:花巻 るんびにい美術館にて(アールブリュット)
かつて見たイギリス海岸は何処へ

たゆらかな 流れを誇る 北上の 白亜に光る 岸辺を思ふ

2023年5月26日:イギリス海岸にて

※漫遊後記はこちら
 花巻の後で訪れた陸前高田の浄土寺では、「奇跡の一本老松」に気をとられて歌を詠むのを忘れてしまった分、心を込めて後記にしたためました。


伍:福島漫遊「盛夏」

土用空 痩せても枯れても 勇者は死なず 微笑み誘う オールドニュー

2023年7月22日:ヘタレガンダム
家内制手工業による機動戦士 ヘタレガンダム

陸:盛岡漫遊「晩夏」

正南風まはえ吹く 土蔵のサウナに 並びしは 黄金仮面 伍百なりけり

2023年8月20日:お盆明けの古刹を巡る・報恩寺羅漢堂にて
いつ訪れても同じ顔、同じ格好でいてくれる それがいい

うやうやと 脇侍わきじさしだす 傘の下 幸せの雨 夫婦めおとの上に

2023年8月20日:お盆明けの古刹を巡る・盛岡八幡宮にて
「旅縛り短歌」の締め括りが神前式とは幸い至極

跋:眼目は達成できたのか? 

 それでは「感想以上考察未満」の振り返りを綴ってまいりましょう。

 正直なところ、冒頭で掲げた設定に準じたことで、当初の眼目としていた瞬発力や推敲力が成長したか否かは分かりません。けれども、自身の感受性が反応する瞬間、若しくは反応が促進しやすい状況を感知できるようになったと実感しています。

 加えて、古典の授業を睡眠時間にトレードオフしてきた不埒者が詠んだ短歌であることを鑑み、詠んだ歌に関する能書きや言い訳を一切排したわけですが、この決断は予想以上の副産物を与えてくれたように感じています。それは「解釈は読み手に委ねる」という、表現する者として至極当たり前の姿勢を選択できるようになったことでした。
 とても勇気がいる決断でしたが、遂行して良かったと思っています。(苦手な事に挑戦する時って、自分自身を肯定したいが為に理由付けに走りやすいものですよね。)
 それが、現時点での成果だと言えるかもしれません。

 さて、そろそろPCの電源を落とすことに致しましょう。
 来るきたる2024年も心明るく短歌に興じたいものです。
 また、そうした穏やかな心持ちになれるよう、日常生活の匙些末な事柄を丁寧にこなしていきたいと改めて決意している伝吉小父でした。

 それではお後がよろしいようです。

囲炉裏の煙に燻された調度品 気仙大工左官伝承館にて

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