「知能の物語」を読む:その1

ちょっとご縁あって読み始めました。馴染みのないジャンルなのでノートがわりにセクションごとに要約を書いてみます、noteだけに(≧▽≦)。


1.知能の探求


1.1 人工知能の立場

人工知能の研究にはおおむね2つの共通項がある。

1.知能解明を目的とする
2.知的な振る舞いをするプログラム構築を目的とする

この本では、両方一緒にやりたい。

そのために、「人間は大変よくできた機械である」という立場で知能に関する工学的分析を試みる。工学的分析とは、単に説明原理を追求するのではなく動作原理を追求するという意味だが、道具的に役に立つ人工知能(intelligence amplifier)をつくるという意味ではない。

どのようにすれば知能の様々な現象を生み出せるのかを考察し「知能とは何か」の問いに迫ることが本書の目的である。

1.2 意識

知能について考えるとき、ひとつの謎なるテーマとして「意識(あるいは自我)」がある。たとえば、朝起きたとき「昨日の自分」と「今日の自分」が同じ自分であることを認識する手がかりは記憶にある。記憶がなければ、昨日の意識と今日の意識が同一である確証がなくなる。

また、茂木健一郎氏が主張する意識的感覚「クオリア」も大きなテーマである。クオリアとは人間が感じている暖かさ、痛み、色などの特有の質感のこと。クオリアは、ひとりひとり固有の感覚であって、自分が「赤」と言っている色に関するセンス・データと他者が「赤」と言っているセンス・データが同一であるかどうかはわからない。すなわち、意識を構成している高次元の差異、あるいは識別がクオリアである。

知能を論ずるとき、このクオリア、個人固有のセンス・データが関与しているはずだが、人工知能の文脈から論ずるにはまだ難易度が高すぎるので、この考察は脇に置いておく。


1.3 知能

知能とは何かという定義はまだ定まっていないが、ここでは便宜的に知能は以下の7つの能力の総体であると考えてみる。

1.環境に適応し自己を保存する能力
2.環境を自己に有利に変更する能力
3.学習能力
4.未来予測能力
5.計画立案能力
6.伝達能力
7.抽象的記号操作を行う能力

アメーバ、ミミズ、ビーバー、ネズミ、ダンゴムシ、さらには粘菌までがこれら7つの能力のいずれかを持っていると推測できる行動をとることがある。が、それらは、種の特徴として遺伝子に組み込まれている、あらかじめプログラムされた動作であると考える。だから、想定外の環境や事態には適応できないのではないか。

ホーキンスは未来予測能力を知能の中心能力に据えており、これには賛成する。ほかに高度な記号操作によって他者に伝達する能力もまた、未来予測能力の延長線上にあるだろう。結果を推論する能力が記号操作に発展したと考えると自然だから。

以上は生存能力に関連するものだが、身体性を持たない純粋知能というのは存在しうるのだろうか?


1.4 考えるということ

機械は考えられるか?という問いに対して「チューリングテスト」がある。チューリングテストとは、2台のテレタイプに人間がさまざまな質問をすることで、どちらがコンピュータでどちらが人間かわからなければ、そのコンピュータプログラムは知能を持っているとみなすというテスト。

しかし、このテストに通っても通らなくても「機械は考えられるか?」の議論は収束しない。その理由は、この議論はおおむね次の4つの意見に大別されるからである。

1)「考える」ということそれ自体がよくわかっていない。人間より構造が自明の機械についての「考える」を議論すれば、その意味が正確にわかる
2)所詮、機会は馬鹿である。最新コンピュータですらプログラムされたことしかできないのに、機械に考えさせることなどできるのか?
3)人間は万物の霊長であり特別な存在だから、機械が同じことをできるはずがない、考えてほしくない。
4)機械が考えるなんて想像できない

3)は非科学的だし、4)は機械が考えるための必要条件ではないので本書では除外する。研究者のあいだでは、人工知能には次の2種類の定義が採用されている。

a)機械を使って人間のモデルをつくる
b)機械を知的にする

1)の考え方はa)に、2)の考え方はb)に対応するので本書ではこの2点の立場から議論する。

機械は考えることができないと主張する人達は、人間は生物学的メカニズムの総体以上のものであると考えている。だから、思考は物理現象や信号処理システムには還元できないという立場にいる(非還元主義)。

いっぽうで、知的活動は神経細胞の言葉で表現できると主張する人がいる(還元主義)が、神経細胞の働きによって実現されていることと、それによって知的活動が説明できることとは別のことである。

人工知能の研究者は物理的還元主義ではなく、知的活動は抽象的な記号操作などのモデルで説明できると考えるので、そのモデルをプログラム化して機械に考えさせようとする。

現段階では機械は考えることはできないが、将来は考えられるようになってほしい。


1.5 考える機械に向けて

考える機械が現段階でつくれない理由は以下3つである。

1.考える機構が不明なのでコンピュータをプログラムできない。
2.機械には意識がないので、プログラムされた以外のことができない。
3.人間の豊富な入力チャンネルに比べて、コンピュータは貧弱な入出力チャンネルしか持っていないために、単純なモデルしか持てない。いずれはできるようになるだろう。

1の考える機構の解明は、考える機械をつくることによってしかできないかもしれない。とくに意識にのぼらない部分は、人間自身が自分で考えてみてもわからないので、プログラムを作って作動させる試行錯誤によって明らかになる。

2の意識については、意識を「自分の思考に関するメタレベルの思考」と定義することで、コンピュータにひとつのプログラムとそれを監視するもうひとつのプログラムを走らせることで実現できるだろう。

3の入出力の問題については、自立して行動できるのであれば入出力をどんどん増やしていくことができる。

1.6 人工知能研究者の知能観

以下の3つの立場で発展して研究者に受け入れられてきた。

1.知能の本質は記号処理にある(人工知能創始者たちの立場)
2.知能の本質は環境認識にある。環境の生データを記号に分類することが知能の本質である。
3.知能の本質は環境との相互作用にある。オートポエイシスに代表される。




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