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ギバー・テイカースケールから恋愛&結婚適性を考える

 結婚に際しては、ギバーな男性を選びなさいとか、テイカ―女性はやめなさいみたいな話はあるけど、なんか漠然としている。しかし、これは結婚適性や相性の本質の一角をなしており、可視化するとそれがわかりやすいので、考察してまとめてみる。


ギバー・テイカーとは特性というより関係性 

 ギバーやテイカー気質というのは、誰に対してもそれ一辺倒な人というのはあまりいない。多くの人は距離感に応じて気質を使い分けていると思う。自分の身内になるほどギバー気質になり、無関係になるほどテイカー気質になっていくように、関係性に応じたスケールがある。

 例えば、子供に対しては多くの親がギバーだ。ただ子の存在そのものを肯定し、愛情を注ぐことに対して見返りを要求する親は少ない(と思う)。
 親族や友達のような中間距離の相手に対しては、人はマッチャーになるだろう。与えて、お返しを受けて、心地よいから関係を続ける。逆に、ただの友達にギバーすぎると気持ち悪がられる。
 距離感が遠くなると、人はテイカーになる。誰しも、知らない人に対しては無自覚なテイカーだ。例えば我々が飲むコーヒーは、遠方の人々に対する搾取により格安で提供されているが、我々はそのことに心を痛めずにコーヒーを飲む。

 このように、ギバーかマッチャーかテイカーかというのは流動的な為、「個人の特性」として見るより、誰に対してこの面を使い分けているかにこそ注目すべきだ。つまり人間関係のうち「どの範囲をギバーにしているか」「どんな優先順位でギバーなのか」のスケールとして見る方が、人物像としてリアルである。

 そして、この『人間関係のギバー・テイカースケール』がどのような順列なのかに、結婚に足る価値観や成熟度が現れると考える。自分のスケールのどこに異性から不満を抱かれやすいか、考えて改善していく事で、結婚適性のある人=本命の相手に愛される人になれると思う。

大人になるとは、高位のスケールを身に着けていく事

 この人間関係スケールについてもう少し掘り下げて考えてみよう。
 このスケールは生まれつき持つ物ではなく、子供から親に成長していくにつれて変わっていくものだ。人は、無条件のテイカーから、マッチャーを経てギバー気質を持った大人へと成長していく。

例えば、赤ちゃんにとってのギバー・テイカースケールはこれだけだ。
ギブ :
マッチ:
テイク:親>知らない人

これが成長して一般的な小学生になると、こんな感じになるだろう。

ギブ :
マッチ:友達
テイク:親>知り合い>知らない人

 誰に対してもテイカーだった赤ちゃんは、学校という社会で友達という対等な相手に相対する。このミニチュア社会で、与え与えられるという人間の原理を知り、コミュニケーションを学んでいく。一方で、家族や他の大人には、赤ちゃんの延長で単に甘えており、無限に手助けを求める。
 子供はこんな環境で大人から愛情をテイクして自分の心にためていき、友達相手には愛情を与えることも学びながら、成長していく。

 反抗期を通して高校生くらいになると、個人によってスケールはどんどん多様化していくが、一例としてはこんな感じだろうか

ギブ :
マッチ:友達≧恋人>知り合い
テイク:親>知らない人

 高校生の時の恋愛って、友人の延長というか、極めてマッチャー的だと思う。可愛いから付き合う、セックスしたいから付き合う、みんなが付き合ってるから付き合うと。自分の得たいものを提供してくれるかどうかで考えており、相手を人間として無条件で認めるような愛情を抱く人は少ないと思う。
 こんな本能的で損得勘定な恋愛観から、失恋などの様々なイベントを経て成長していき、結婚に足る人に成長していき、親に足る大人の人間関係スケールになっていく。

結婚適性のあるギバー・テイカースケールとは

 高校生のようなマッチャー的な恋愛観では、男女で長期的な関係を築くことは難しい。男女は生物としての構造も、思考回路も違うのに、性欲という強烈な感情が向き合う。そんな中で、男女の交際では二人きりで時間を過ごすのだ。
 そのため、男女がお互いにマッチャーなままでは、交際は非常に不安定だ。男女では脳の構造が違うから、男は自分がやってあげたことを、女性がやってくれたことより高く見積もるし、逆もしかりだ。だから、お互いに相手に不満を持ち、マッチさせるために相手にもっと自分に尽くすことを求め、それがお互いに自己中(テイカー)に見えてしまう。
 故に、マッチャーとして恋愛に挑んだら男女は幸せになれない。ギバー性を身につけて発揮できるようになっていかないといけないのだ。

 人との間でこのような事を体験しながら、徐々に自分のスケールをより高位な物に修正していくことが成長だ。その先の、幸せな結婚生活を送れるようなバランスの良いギバー・テイカースケールは、こんな感じだと考えている。

ギブ :子供≧配偶者
マッチ:自分実家=相手実家>友達>知り合い
テイク:知らない人

 家族の中で子供を最優先にし、奥さんにも無条件で尽くす。そこから明確に優先順位を落としたうえで、親族には差別なく接し、更に外側として友達や知り合いとも距離感に応じた付き合いをしていく。

 価値観は人それぞれのため、このスケールが正しい!と言うわけではないが、一般的に広く受け入れられやすいスケールなのではないかと思っている。

ギバー・テイカースケールのおかしい人々

 一方で、異性に受け入れられづらい、いわゆる各種クズ男・ダメ男もパターン化されている。彼らは一様にギブする気がなかったり、優先順位がおかしかったりする。
   こういうのが、ギバー・テイカースケールを使うと一目瞭然でわかるので、いくつか例を挙げてみよう。

1.しょうもないヤリモク
ギブ :
マッチ:友達≧自分実家>知り合い
テイク:知らない人>女性

 女性に対するテイカー気質。女性を搾取対象としか捉えていない人たち。
彼らは「自分はモテるからいつでも結婚して幸せになれる」と思ってるんだろうけど、こんな歪な気質が体に染みついちゃったらスケールを変えることは難しいだろうし、当然に結婚しても幸せにはなれないだろう。

2.実家離れできていないマザコン
ギブ :子供≧自分実家
マッチ:配偶者>友達>相手実家>知り合い
テイク:知らない人

 親を配偶者よりも優先しちゃう人。何かと両親の顔色をうかがう。
 結婚に際して人間関係を再構築しなければいけないのに、それを怠って自分にとって居心地の良い関係を引きずり、配偶者にも両親への尊重を求める。女性に多いけど、女性だと許されちゃう傾向(甘えだと思うけどね)。男性になると痛すぎる。

3.独身気分が抜けてない高校生おじさん
ギブ :子供
マッチ:友達≧配偶者>自分実家>相手実家
テイク:知り合い>知らない人

 友達大好き人間。人間関係の再構築をする気がなく、配偶者を友達の延長だと思っている。居心地の良い学生時代の人間関係に引きこもっており、子供みたいな理由をつけて同じ友達と遊び歩く。地元に残った男に多いパターン。外から見たら悪い奴ではないんだけど…。

4.自己愛型の毒親
ギブ :
マッチ:子供>自分実家
テイク:配偶者=友達>知り合い>相手実家>知らない人
 テイカー気質のヤバい人の例。子供に対してすら純粋なギバーではなく、自己顕示のための道具や、自分の老後不安のため=投資だと思って育てている。当然配偶者はATMだし、友達は承認を集めるための取り巻きである。人からエネルギーを集めるだけ集めた上で自分は不幸だと嘆く、穴の開いたバケツ。

5.モラハラ
ギブ :子供
マッチ:自分実家>友達=知り合い>相手実家>結婚相手
テイク:知らない人

 モラハラ夫・妻の定義はこんな感じでできる。
・誰に対しても平等にマッチャーである。
・「マッチしているかどうか」を決定するルールが、マイルールや社会的規範である。
・個人の相手の感情を配慮しない
 彼らは誰に対してもマッチャーであることが賢い事であり、自分の長所だと思い込んでいる。そのため、関係性の薄い(マッチャーでいるべき)相手とはやけに関係構築が上手なのだが、大切にすべき身内になるほど、マッチしない部分が増えてきて関係性が築けない。

 こんな感じで、結婚適性のない人間は人間関係スケールがずれている。男女の間では、これが耐えられない「価値観の違い」の一面として表出する。
 逆に、自分のギバー・テイカースケールを自覚し、これをすり合わせ・修正出来れば、好きな相手との望まぬすれ違いを予防できる可能性があるのだ。

失恋がギバー性の最良の教科書

 ギバー・テイカースケールの有用性はわかってもらったと思うが、ここで出てくる問題が、「優先順位付けは努力できる。しかし、"ギバー"って何なの?」って話だろう。

 これはなかなか難しい。飴ちゃんあげればギバーって訳ではないから。
 ギバーになるとは小手先のプレゼントをすることでも、貢ぐ事、奴隷になる事でもない。相手に何かを与える事それ自体は表面的な現象であって、ギバー性の本質は相手に対する心構えにあるのだ。
 この心構えを何となく言語化してみるとこうだ。

・ありのままの相手を尊く思い、求めないこと
・相手の喜びを自分の喜びと、自然に思えること
・相手に依存せずに、自分は自分であること

これは割と的を得ている自信があるのだが、共感できない方には宗教問答みたいでフワフワしているのではないだろうか。なかなか血肉をもって受け入れがたいだろう。

 思うに、普通に生きていて、ギバーでいるということを学べる場って少ない。学校はマッチャーを学ぶ場だし、仕事はともすればテイカー気質になる。友達間で一方的にギバーなのも不健全だし。ギバー精神は道徳の教科書とかドラマの中とかに出てくる、リアリティの低いものになりがちだ。

 これを唯一実体験しうるのが恋愛の場だと思う。
 相手に真剣に向き合って、相手と自分が一体化し、結果、相手のために自分のエネルギーを使う事を幸せと感じられる。こういう経験が徐々に人にギバー精神を芽生えさせていく。

 そして、その最大のイベントは失恋のように思う。
 失恋は、誰しもに衝撃的な精神ダメージを与える。その衝撃を受けた時人は、あの時相手は何を考えていたのか、自分の考えと何がすれ違っていたのか、ということを真剣に考える。その悩みの末に、自分と違う者の存在を理解し、肯定し、ありのままで大切にしなければならない事を知る。ギバー精神はそうやって成長していく。

 「初めての恋人とは結婚できない」というジンクスは的を得ている。失恋を経ないと人はギバー精神を手に入れられないし、幼いマッチャー的恋愛観では、結婚したとしても人間関係のスケールを誤ってしまい、男女は上手くいかないのだ。

男性が婚活で見られている事

 恐らく、ギバー性を得ることの困難には男性の方がぶつかりやすい。

 女性の場合は(恐らく)妊娠期を通して自然に母性と言うギバー性に目覚めていくからだ。この期間に子供という絶対的なギブ対象ができ、それを軸にして本能的にギバー・テイカースケール全体が見直される。
 一方で、男性の場合は肉体からの信号がないため、自分の頭を使って身に着けていく必要がある。これには、価値観、感情配慮、合理性、想像力、涵養した愛情の総量というような、今まで培ってきた人間性の総量が問われることになる。

 これはなかなかに厳しい試練である。一定数の男性は女性に取り残され、残念な夫になってしまう。そして、こんな困難がある以上、離婚率3割という数字も非常にリアリティがあるのである。
 「ヘタレ」や「甲斐性なし」という旦那への悪口は、この構築がまともにできない頼りなさ、想像力の低さに対する、一歩先に行ってしまった女性視点からの呆れなのだ。

 逆に女性視点で考えると、このような失敗を犯さないために、婚活では下のような男性を選ぶと間違いがない。

・既にギバー性を持っていそうな男性
・環境変化に前向きに対応してくれそうな男性

 婚活における女性の上から目線のフィルターは、この選考の表れだったりする。
 例えば、割り勘NGだとかエスコートだとかは、ギバー性を持っている男性なのかどうかの類推(非常に荒が多いと思うけれどね。)であり、実家住NGだとか長男NGみたいなのは、環境変化に弱そう(スケールの新構築が下手そう)なことの類推なのだ。

 表面的な所を見れば、男性視点ではアホくさ!婚活なんてばかだ!となるのだが、裏には女性達にも言語化できていないこんな意図があり、それは恐らくDNAに刻み込まれていることなので、生理的に受け付けてもらえないのである。
 故に、男性諸氏におかれては牙をむき出しにせず、それはそんな物なんだなと受け容れるしかない。

最後に

 とはいえ、これを突き詰めると恋愛弱者は結婚できないよ、って結論になってしまう。恋愛観とギバー性がどの程度かという事を女性は見極めており、その素質は恋愛経験によってのみ身についていくっていう話だから。
 だけど、世間には恋愛経験がなかったけど、家族を作りたいからがんばって婚活をしているという人はたくさんいる。そういう人にも救いがなければならない。
 恋愛初心者に対して結婚相談所は「デートでは奢りなさい」「連絡はまめに、スケジュールを立てなさい」、みたいな表面的なテクニックを助言するけど、これは本質ではない。それ故に、婚活は不毛でつまらなく感じられる。

 では恋愛弱者はどう考えれば良いのか、ということを論じていきたいと思うのだが、さすがに記事が長くなってきたので、また別途で。

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