RRRのセリフをテルグ語で



sarōjinī.. nēnu aṃṭē nā pōrāṭaṃ.. aṃdulō nuvvu sagaṃ

「サロージニ、私とは 私の戦いだ..そのうちの 半分がおまえだ。」私の半分はおまえだ...

batuku, pō!

「生きろ、行け。」ラッチュの縄をナイフで切って解放するときのラーマ。「殺すつもりはない」という意味なんでしょうが、あと1時間で毒が回ると宣告されてからの「生きろ」です。日本語では「生きろ」と言える場面が思い当たらない。ここでは「命を大事にしろ」ぐらいでしょうか。

nī baṃcen dorasāni, nī baṃcen dora

小銭を与えられたマッリの母親の総督夫妻への感謝の言葉。直訳すると、「私はあなたの奴隷です、女主人様。私はあなたの奴隷です、ご主人様。」ハイダラーバード藩王国(ニザーム)では封建的な農奴制が残っており、農奴は地主に対してこのように挨拶していました。

koḍitē ēkaṃgā ēnugu kuṃbhasthalānni koṭṭāli

 「叩くならまず一息に象のひたいを叩かねばならない」独立派の集会でスコット総督暗殺を提案してラッチュを引っかけたラーマのセリフですが、終盤、もう一度繰り返されています。今度は本気。Bhīm, ī nakkala vēta eṃta sēpu. kuṃbhasthalānni baddalu koḍdāṃ, pada「ビーム、この狐(ジャッカル)狩りをいつまで(やってる)?象のひたいを粉々に叩こう、行くぞ」象を倒すなら額、つまり頭蓋骨の少し出っ張った部分を叩け、というのは、要所を狙え、という決まった言い回しです。マハーバーラタの戦闘でも、敵将バガダッタの乗った象の額をアルジュナが弓で射て振り落とす、などインドでは馴染みのある部位。バーフバリは乗っかりますが。(ちゃんと象の額の防具があります。この防具の上からの一撃でバーフバリの兄バッラーラ・デーヴァはカーラケーヤ王を地面に落とします。)kuṃbhaṃは水瓶ですが、総督府のドームは水瓶をひっくり返したように見えなくもないかも。

māṭa ivvu

 直訳は「言葉をくれ」。ヴェンカタラーマ・ラージュが少年ラーマに迫るところが圧巻ですが、「言葉を与える」は約束する、誓うという意味でほかでもたくさん使われていた表現です。放った言葉が借金証書のように相手の手元にあって、破ってはならない感じ。日本語の「言質を与える」とは発想がだいぶん違います。iccina māṭa dorakadu 「(村との)約束が守れない」は直訳すると「与えた言葉が手に入らない」。ラーマに叔父さんが橋の上でdorakaḍu「(ラッチュは)捕まらない」と言っているあたりのセリフ。
 māṭaと言えば、『バーフバリ』の idi nā māṭa. nā māṭē śāsanaṃ 「これ我が言葉、我が言葉こそが法なり」も強烈です。シヴァガーミといいタッカッパといい、自分が発してしまったmāṭaのために苦しむことになる、こういう重たい展開がラージャマウリ作品には多いのですが、māṭlāḍaṭaṃ「(ジェニーと)しゃべる(直訳:言葉を遊ぶ)こと」みたいな軽い意味でももちろん使われます。

dāri dorakaṭaṃ lēdu.

dāriは「道」ですが、「入口」という意味にもなります。ビームの「話すきっかけが見つからない(直訳:手に入らない)」。ラーマはこれに対して、dārlu vetukkōkūḍadu, dārlu vēsukōvāli 「きっかけは探してはだめだ、仕掛けなきゃいけない」と釘を撒くのです。

tappu, bhayyā, alā anagūḍadu.

 「よせよ、兄貴、そんな言い方はしちゃだめだ」ラームがジェニーについて「恋人」という単語の語彙力でマウントをとりながらどうだったかと聞いたのに対するビームの応答です。tappu は「間違い、失敗、落ち度、過失」の意味で、このように親しい相手を軽く非難する場面だけでなく、「俺は何も悪いことはしていない」「俺が悪かった」などシリアスな場面でもよく出てきます。動詞としては「避ける」「のがす」などさらに多様な意味の用法があり、tapp-aka「必ず」、tapp-ani 「避けられない」など頻用語、他動詞形の派生語 tapp-incu-kō 「脱走する」も映画で使われています。
 bhayyāはヒンディー・ウルドゥー語の「兄貴」で、テルグ語 anna との切り替えで仮の姿アクタルからビームへの変身が示されています。テランガナのイスラム教徒はテルグ語ではなくほとんど南方(デカン)訛りのウルドゥー語を話しているはず、という突っ込みは忘れて、bhayyā と呼んでるときは実はヒンディー・ウルドゥーの会話のテルグ語吹替なんだと思ってやってください。

mā bāva

シータが「許嫁」を「私たちの(うちの)bāva」と呼んでいますが、ラームのことを 幼いシータもbāvaと呼んでいるのにお気づきでしょうか。幼時に結婚の約束をしていた、という可能性もないわけではありませんが、この呼び方は、結婚相手(または義兄)になる可能性のある親戚関係で使える「お兄ちゃん」です。anna は結婚相手にできない同族の兄、従兄、又従兄・・・。ラーマの母を呼ぶときもatta 「(義母になる可能性のある)おばさん」です。父親同士、母親同士が血縁の(平行)従兄はannaですが、自分と異性側が血縁の場合、つまり、嫁のやり取りをしたことのある一族の場合は、交叉従兄と言って、結婚相手になるのです。
 RRRの幼いシータとラーマのエピソード、シータがラーマを唆して射撃の腕前を試す、とか、bāva がいるから家には帰らない、といっているのはたぶん、ビーマ役を演じたJr. NTRの祖父にあたるNTR主演の māyābazār (1957) へのオマージュです。NTR演ずるクリシュナ神が、兄の娘と妹の(アルジュナとの間の)息子の幼馴染み同士の結婚を助ける、というストーリーの、南インドのマハーバーラタ・スピンオフ民話で、幼い頃に婚約を許された二人が、パーンダヴァ一族の没落で結婚できずカウラヴァ族との縁談が進んでいる、という、神話系ファミリードラマです。アルジュナJr.は弓の名手で、こん棒の使い手で大食漢のビーマJr.とのanna tammuḍu 関係が出てくる、という点もRRRと似ています。

白黒作品が着色再販され、1000万以上の再生回数を誇る超有名作品ですが、実際働いているのはビーマJr.なのになぜ主役がクリシュナなのか、とか、それまでバトッていた二人が、なぜ兄弟だとわかった瞬間にデジタルに親密関係に切り替わるのか、とか、我々には文化の違いの教科書といった感があります。ビーマJr.は、母親が魔神一族のため魔力を使える、という設定なので、当時の特撮シーンもけっこうある(火と水の対決も!猛獣は顔だけ)のですが、ラージャマウリ監督のCG背景にアクション動画を絶妙に組み合わせる実写アニメ風作品をみるにつけても感慨深いものがあります。バンガロールに追いつき追い越せと、ハイダラーバードにIT企業を積極的に誘致した チャンドラバーブ・ナイドゥ州首相(Jr. NTRの伯父にあたる)の政策が関係しているのでしょうか。

 『マヤバザール』のエンディングでは、みんながクリシュナ神に手を合わせます。ふと思ったのですが、RRRでクリシュナ神にあたるのはひょっとしてラージャマウリ監督では。クリシュナ神は筋書きを仕組んでビーマJr.をけしかけただけですもん。それとも、ラーマがアルジュナならその一番親しい友達はクリシュナだ、ということでJr. NTRをじいさんのポジションに置いたのかもしれませんが。

āyudhaṃ tayārayiṃdi, veṃkaṭēśvarlu.

「武器が仕上がってるぞ、ヴェンカテーシュワルル」ラーマ少年の射撃の腕前を見せられてのヴェンカタラーマ・ラージュのセリフですが、字幕ではこの長い人名が出せないのでラーマに向かってのセリフになっています。実はこれ、「武器がないじゃないか」という前のシーンでの弟との会話の続きなんです。「武器は絶対集まる」と強気の発言をしたヴェンカタラーマ・ラージュですが、本人もこれ、信じてないだろう、というのが私個人の感想です。というのは、どうも、よくないことを口に出して言ってしまうとそのためにそれが起きてしまう、と信じてる人がけっこういるんです。「縁起でもない」の対象が幅広い。これが元のインド人への文句はよく聞かれます。No problem と言ってたのにproblem だらけじゃないか、なんて。でもこれきっと、No problem であってほしいと願っています、と解釈すべき発言なんだと思っています。

tapassu

 ビームを救うためにせっかくの武器強奪のチャンスを棒に振ろうとしているラーマを思いとどまらせようと、叔父ヴェンカテーシュワルルが今までのtapassu「苦労、苦行、荒行」を思い出させます。このtapassuは、本来は、宗教的な目標を達成するための一心不乱の瞑想・苦行です。たとえば神話では、阿修羅ヒランニャカシプは、弟ヒランニャクシャの仇であるヴィシュヌ神に対抗する「不死」をブラフマ神から授かるために、長いtapassuに入るのですが、往年の神話映画Bhakta Prahlada (1967) ではこんな感じです。

 映画では、43: 30ぐらいにブラフマ神がやってきて、「incumincuだいたい不死」のご宣託をくれるのですが、その穴をついて、ヴィシュヌ神がナラシンハ(ライオン頭の半獣半人)の化身で現れて最終的に成敗する、というインドらしいお話です。

vīḍi ākaliki adi saripōtunnaṃtavā, rāju.

 コメントでリクエストを頂戴したのでヴェンカテーシュワルル発言からもう一つ「この男の 食欲に あれが 十分な量かい、ラージュ」。通常はそれほど肉食をしないので、肉の買い物の量として適量かどうかを不審に思わない高位カースト同士の会話。確かに多いんだけど、マハーバーラタのビーマは、一人でsēna「軍団」の働きをするものの、必要な糧食もパーンダヴァ族全体の半分、という燃費の悪さなのと引っかけて、ビーマみたいな奴だな、で済ませている、という場面です。
 あのサイズからみて牛肉か水牛肉じゃないかと思うんですが、北インドではムスリムヘイトで牛肉運搬まで禁止して騒ぎを起こしているヒンドゥー原理主義者から難癖つけられなくてよかったよかった。(鹿肉と言い逃れできそうではあります。)

pānamu kanna viluvaina nī sōpati nā sontaṃ, anna.
garvaṃ tō ī mannu lō kalisi pōtānē.

 直訳しにくいセリフです。とりあえず「命より価値のあるあんたのsōpatiが俺のsontaṃだ、兄貴。garvaṃをもってこの土に還って行けるよ。」の感じが直訳です。

ここ、間違いです。
sōpatiとsoṃtaṃは、サンスクリットのsvapatiとsvaṃtaṃの訛った形でしょう。svapatiが「自ずと首領となること」

 sōpatiは、ウルドゥー語の sohbat からの借用で、「友情、友人」の意味で使われていたテランガナ方言の語だそうです。今はdōst, dōstīのほうが普通。ということは、「弟分」とはいえないですね。ビームはほかでも1箇所使っていたと思います。ムスリム一家に対して、だったかな。総督邸にはいる手段としてジェニーとsōpatiを作りたい、というところでした。

 svaṃtaṃが「自分のもの」なので、「あんたの友達になれたことは命より価値のあることだった」
 garvaṃはサンスクリットgauravaṃの訛った形で、よく使われる語なのですが、日本語にうまく当たる言葉がありません。「誇り」とはちょっと違う気がします。ātmagauravaṃ = self-respect は、英領時代に英国人や英国文化に対して卑屈になるなというスローガンとしてよく使われた語です。「胸を張って、晴れ晴れとして死ねる」という感じでしょうか。拷問に際してビームが切々と歌うのは、大地の女神の子としてのgarvaṃを守りたいということなのですが、ラーマとの関係はもうgarvaṃの源からは消えています。
 prāṇāla kanna viluvaina は、終盤のラーマの発言に繰り返されています。「(我々茶色い人々の)命より価値のある(弾丸)」!ここの複数形prāṇāluは複数の人の命だからですが、ラーマは一人の命についても複数形を使っている場面がいくつかあります。たとえば、malli prāṇālu pōtāyi, bhīm「マッリが死ぬ(直訳:命が逝く)ぞ、ビーム。」命というものは複数(たぶん5つ)のprāṇāluから成り立っている、という考え方の反映でしょうか。 
 シータに対しラーマはビームをprāṇa snēhituḍu 「命の友」と書いていますが、ビームは pānamu iccina dōst「命をくれた友」と呼んでいます。

nēnu malli kōsaṃ vaccinā.... nī bāva maṭṭi kōsaṃ vacciṃḍu. aḍavimaniṣi-ni, talli, ardhaṃ kālēdu.

「俺はマッリのために来た。あんたの(交叉)従兄さんはのために来たんだ。森の住人の俺は、(「母」だけど女性一般への呼びかけ)、わかっていなかった。」シータの説明を聞いたビームのテランガナ訛りのセリフですが、maṭṭiはあくまで「土」であって、「村」や「国」ではありません。ましてや英国人を追い出すなどとは言っていません。シータはいったいどんな説明をしたんだか。しかし、実在のコムラム・ビームのスローガンにzamīn(ヒンディー語「土地」)が入っていることからもわかるように、ビームにとってゴーンド族の土地を平地の地主の手から守ることは「大義」だったはずではあります。
 よく考えてみると、ラーマの父が警察を辞めてゲリラ活動を行っている事情はほとんど説明されていません。もしも映画内でのラーマの父が実在のアッルーリ・シータラーマ・ラージュ本人をモデルにしているとすれば、訓練されているのは、ゴーンド族と同様の山地先住民でしばしば反乱を起こしているコーヤ族であって、「土(地)を守るための武器調達」というビームの理解は正しいことになります。ラージャマウリ監督が実際には会っていない二人がもし会っていたら、という着想をもつきっかけとなった共通点というのは、テルグ語地域の山地先住民の土地を守る活動だったのです。
 aḍavimaniṣiが「森の人」で、niはbance-nのnと同じく1人称形であることを示します。主語なら「森の人である私」、述語「森の人だ」なら主語との一致形になります。aḍaviは、「ジャングル」の語源ともなっているヒンディー語のjaṅgal(コムラム・ビームのスローガンの一つ)と同様、「森」を指しますが、必ずしも「密林」である必要はなく、耕作されていない土地であれば岩山にパラパラと灌木がある程度のものも指します。「森の人だから無知だった」という言い回しが流行っているようですが、このテルグ語の文は「森の人なのにわかっていなかった」とも読めることを指摘しておきます。

rāmayya kōsaṃ sītamma dēvulāḍagūḍadu. sītamma dānikē gā rāmayya rāvāli. vastaḍu. nēnu tōḍuku vasta.

「ラーマをシータが探し回ってはいけない。シータのところにラーマが来るんだ。ラーマは来る。俺が連れて来る。」ビームのハヌマン宣言です。ayyaとammaは単独だと父さんと母さんですが、それぞれ男性・女性への親しみを込めた敬称としても使われます。ここでは、oṭṭu「誓い」を使って約束していますが、こちらは、守れなかった場合の「~にかけて」が指定できるタイプです。

rāmayyani tōḍuku vastānani sītammaki māṭa iccina. ī telōlla laṃka tagalabeṭṭi ainā ninnu tōḍuku pōta. rāvē.

「ラーマを連れて来るとシータに約束した。この白人のランカーに火をつけてでも連れて行く。来いよ」ハヌマンはシータが囚われているランカー島のラーヴァナの都に火をつけてラーマのもとに戻ります。

nā akkara koraku ninnu vāḍukuṃṭunna, tammuḍu. manniṃcarā.

「俺の必要のためにお前を利用している、兄弟。許せよ」ビームが捕まえた虎に向かって発するセリフです。これをわざわざ言わせているのは大事なところのように思えます。まず、ビームはこの後、ラーマに利用されたことを許せるか、という問題に直面することになります。一方、ラーマはラーマでイギリス側に利用されるわけですが、ラーマはそのことは納得ずくです。
 このラーマの姿勢は、植民地時代のイギリスとインド人支配層の関係によく似ていると思います。東インド会社の植民地支配は「徴税権」を獲得することからはじまります。収入源となった税収を上げるために、インフラ整備・産業振興(アヘン栽培とか)等の施策を行う行政ビジネスへの転換ですが、そのためには在地の支配層の協力は不可欠でした。在地支配層側は、利用されていることには納得ずくで、逆にイギリスを利用するノウハウを蓄え、最終的にイギリスと自分たちが作り上げた行政組織を無傷のまま乗っ取った、というのが史実としてのインド独立ではないでしょうか。今でもインドの「県知事」相当の役職は、「コレクター」(徴税官)という東インド会社時代と同じ名称のまま、司法や警察も統括するという当初からの機能を引き継いでいます。
 このような非暴力の独立運動の主流で用いられた戦術が大衆動員、つまり「人を武器とする」ということなのですが、これはつまり、「利用した」ということにならないでしょうか。少なくともラーマはそう思っているふしがあります。拷問後に叔父と交わす会話で、ラーマは革命のためにsamidha 「生贄を捧げるための薪、燃料」は必要だし、ビームもそうなんだと納得していた、と語ります。しかし、ビームが誰かが使うときに火をつける燃料ではなく、agniparvataṃ 「火山」つまり、制御不能の火だと気づいたラーマは、人を利用する闘争を潔しとせず、これ以降、ビームの制御不能な大暴れに「乗っかって」共に復讐戦を戦っていくことになるのです。

 史実としてのアッルーリ・シータラーマ・ラージュのコヤ族武装闘争は、2年余りで鎮圧され、その場で銃殺ということになります。映画での乗馬と、いで立ちを含め神がかり的な言動があったことは史実に近い描写です。これに対して、コムラム・ビームのゴーンド族抵抗運動は、インド共産党が指導した農村解放「テランガナ蜂起」に合流していきます。独立インドへの参加を渋ったハイダラーバード藩王国の苛烈な弾圧は、インド軍介入の口実となり、わずか5日間の抗戦で藩王国はインドに併合されました。その意味では「利用された」運動とも言えるのですが、制御不能な「火山」としてのテランガナ蜂起はインド映画のテーマにもなっていますので、2作品紹介しておきます。

Maa Bhoomi 「我々の土地」(1980)

 いわゆるインドのエンタメの対極にある映画です。土地を失って農奴化した家に生まれた少年が、インド軍の鎮圧活動で命を落とすまでをドキュメンタリータッチで淡々と描いています。主人公が共産党に接触してテランガナ蜂起に関わっていく部分は後半からで、前半の生活描写はたいへん丁寧です。歌や踊りは、非識字層への革命プロパガンダが歌や踊りで伝えられていった、という描写としてのみの登場です。エンディングの歌は「掲げた旗を下ろすな!」

Nishant「夜の終わり」(1975, ヒンディー語)

 ハイダラーバードで学生時代を送ったシャーム・ベネガル監督の作品。スター俳優を起用しているという点ではボリウッド映画ですが、ダンスはありません。テランガナの民衆蜂起を地主側からの視線でも見ています。妻を地主兄弟に拉致され、その解放のために蜂起を呼びかけた学校教師も、制御できない蜂起のために妻を地主と共に惨殺されることになります。

Jandyam 聖紐

 セリフではありませんが、ラーマの冒頭のサンドバッグ・シーンで左肩からタスキのようにかけている紐のことです。これを見せている、というのはラーマが高位カーストの出身である、という演出になります。
 バラモンをはじめとする高位カーストの男子には、文字を習い始めるときなど「入門式」upanayanam という通過儀礼があって、この時以降、この紐を身に着けることになっています。カースト制度というと、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、スードラという4つのヴァルナがよく言及されて、士農工商と結びつけて考える人も多いと思いますが、南インドではクシャトリヤやヴァイシャはほとんどいません。ヒンドゥー教の儀礼はヴァルナによる違いがありますが、祭祀を司るバラモンが認めない限りクシャトリヤやヴァイシャにはなれないのです。そこで、スードラの中で有力になったグループは、バラモンの習慣を取り入れることによりステータスを示す、という方策をとりました。南インドの有力カーストに菜食主義や、女性の再婚禁止などが一般的なのはこのためですが、upanayanamと聖紐の着用もその一つです。ちなみに、テルグ映画界を握るカンマも男子が聖紐をつけるカーストで、自前の祭司階級も持っています。
 ラージャマウリ監督は、なぜラーマが高位カーストの出身である、ということを明示したのでしょうか。バガヴァッド・ギータ―をサンスクリット語で引用できるほどの学識があり、英語もペラペラならば高位カーストでないと不自然、ということなのかもしれませんが、イスラム教徒と共に肉食するような開明的な行動をとっているラーマですし、ここで敢えて聖紐を見せる必要はないようにも思います。むしろ、カースト・ヒンドゥー(バラモンとスードラ)ではない差別される側のビームと、支配層に属するラーマの対比を強調する演出なのではないか、と疑っています。

 ところで、激しい運動のときも着けていなければならない、というのだと、汗(と血)でどろどろになってしまわないか、と気にもなりますが、インドではアマゾンでも買えるようですし、交換はするようです。ただし、交換するときはそれなりの儀礼をしなければいけません。祭司を呼んできて、というのが本式なのでしょうが、在外インド人が一人でできるように、というハウツーもののビデオもいろいろあるようです。

これはタミル語地域のバラモンのようですが、唱えているマントラはサンスクリットですからインド汎用でしょう。新しいのを先にかけてから古いのをはずす、ということは、やはり、肌身離さずつけていなければならないということなのでしょう。「異カーストの女と寝るときははずせばいいんだ」という発言を聞いたこともありますが。

Gaddar

 「コムランビームよ」などの民謡系の曲のインスピレーション元という説のある革命歌。歌っているGaddarは、(毛沢東派)共産党の娯楽宣伝部隊で長く活動していた人で、上の『我々の土地』にも出演してテランガナ蜂起時代の革命歌 baṃḍenaka baṃḍi kaṭṭi 「荷車を連ねて」を踊りながら歌っています。(1:56:10あたり)。70歳をこえた現在も現役で、RRRのキーラワーニ氏編曲で「女たちよ、立ち上がれ」なんて曲を出していたりしますので、信憑性のある説だと思います。イェッタラ・ジェンダも『我々の土地』へのオマージュの可能性高いかも。テルグ語州山岳民地域の(毛沢東派)共産党(ナクサライト)武装闘争は、テロリスト認定されていたものの、テランガナ蜂起の記憶のあるテランガナでは(ナクサライトがヒーローの大衆映画がヒットするほど)シンパも多く1990年代にはピークを迎えていましたが、2000年代に入って鎮静化し、Gaddarは今は、被差別アウトカースト(ダリト)解放運動家を名乗っているようです。
 「ナートゥ」のルーツにある民謡リズムはこんな感じかなという革命歌をもうひとつ。

 繰り返されるコドゥコー・コムランナがちょっと気になりますが、このコムランナは、コムラヴェッリ村にある寺院に祀られているMallanna神(シヴァ神と同一視される南インドの神)のことでしょう。ほかの神々同様、男性名にも使われるので、人間かもしれませんが、いずれにしても、「テランガナの息子よ」という呼びかけだと思います。

8月6日 追記
 Gaddar(本名:グンマル・ヴィッタル・ラーウ)は、持病の心臓病の治療のために2023年7月20日に入院、8月3日にバイパス手術を受けたのですが、8月6日容体が悪化して亡くなったと報じられています。74歳でした。同日ハイダラーバード市中心部のラール・バハドゥール・スタジアムで行われた市民弔問の中継録画。今は埋葬まで実況中継しています。


 このMallanna寺院には、Mallannaにまつわる物語を歌い踊るOggu katha という伝統芸能が知られているようですが、その内容を映画風に演じて見せているヴィデオを見つけました。民謡というよりは現代フィルム・ソング風にアレンジされてはいますし、女性を女性が演じているという点も映画に近いのですが、半分以上は歌で物語が進行していく、というところは伝統芸能の形を残しています。南インドの人たちにとっての映画は、本来、歌や踊りのほうがメインであって、間の小芝居やコントが休憩時間だったんじゃないかと思います。

mādi viṣākhapaṭnaṃ daggara.

「私たちの(村、出身地 ūru)はヴィシャーカパトナムの近くです。」例によって長すぎる地名は出せないので、字幕ではシータは「南の方」から来ましたとビームたちに名乗るのですが、ここは突っ込みどころです。ヴィシャーカパトナムはゴーダーワリ河から200キロ以上離れている海に面した港町です。好意的に解釈すると、実在のアッルーリ・シータラーマ・ラージュの母親の実家がこの町だったようなので、シータ本人はラーマの母方の親戚が実家でそこを言っているのかもしれません。となると、bāvaの運動を助けるために、おじさん・おばさんも亡くなった村で、シータは一人bāvaの帰りを待っていた、ということになりますが。
 デカン高原は、西海岸沿いの西ガーツ山脈のほうが標高が高いので、ここを水源とする川が東に流れて、東ガーツ山脈を貫いてベンガル湾側に流れ込む、という地形になっています。シータが待っているのは、この東ガーツ山脈を横切る地点でしょう。2022年に山地先住民地域として新設されたアッルーリ・シータラーマ・ラージュ県は、ヴィシャーカパトナムの背後からゴーダーワリ河に達する広い県です。山地先住民地域(manneṃ)と言うと、ヴィシャーカパトナムの山側が代表的ですが、実際のアッルーリ・シータラーマ・ラージュの抵抗運動はゴーダーワリ河地域に及んでいました。
 東ガーツ山脈を抜けたゴーダーワリ河下流のデルタ地帯は、南に隣接するクリシュナ河のデルタ地帯と合わせて、豊かな穀倉地帯として英領時代も先進地域でした。早く父を亡くしたアッルーリ・シータラーマ・ラージュは、親戚のラーマクリシュナム・ラージュの後見で育つのですが、この人はゴーダーワリ河デルタのtehsildār「郡徴税官」、つまり植民地時代のエリート・インド人官僚(もともとの領主かもしれませんが、任地は東インド会社が貿易会社だったころからの拠点だった沿岸)でした。

Vandē Mātaram

 コメント欄で頂戴したご質問ですが、「耳で学ぶRRRのテルグ語」の20番のセリフの最後のところだと思います。「ヴァンデー・マータラム」は、前半の橋での子供救出で使った旗(その前にデモ隊が使っていたもの)に書かれている言葉です。エンディングでたくさん出てくる旗も同じものです。サンスクリット語で「私は母を讃える」という意味ですが、独立運動ではこの「母」を、RRRのJananiと同様、インドを女神として表わす表現として使っています。旗に書かれている文字は、細かくいうとmātaramaなのですが、ヒンディー語(やオリジナルのベンガル語)では最後の短いaは落とすのでmātaramになります。RRRの時代には禁止されていましたが、独立運動中にインド国民会議派政府が国民歌に指定し、独立後には準国歌とされている詩の出だしで、インドではよく知られているフレーズです。
 ラーマを見送るシーンでこれを使っているのは、ひょっとすると意味があるかもしれません。深読みかもしれませんが。
 このサンスクリットの詩は、もともと19世紀のベンガル・ルネサンスの作家チャタルジーのベンガル語小説『アーナンド・マット(僧院)』で使われていたものですが、タゴールが歌として会議派に紹介したものが、20世紀初頭のベンガル州分割(1905)への反対運動として独立運動が盛り上がったときに、スローガンとして定着したのだと思われます。1911年まではカルカッタ(コルカタ)が英領インドの首都ですし、海岸沿いのアーンドラは、ベンガル州ではなくマドラス州だったとはいえ、カルカッタからそう遠くはありませんので、1920年頃のアーンドラでこのスローガンが使われていておかしくないです。
 問題は、この小説の中味です。『アーナンド・マット』は、18世紀後半、東インド会社のベンガル支配がはじまって間もなくの「サンニヤーシ(遊行僧)の反乱」を題材にしています。サンニヤーシというのは、巡礼しながら乞食(こつじき)によって生計を立てるのですが、それまで収入源だった領主層からの喜捨が、東インド会社の厳密な徴税や飢饉であてにできなくなり、集団での移動を警戒する東インド会社によって弾圧を受けた、ということのようです。こう書くと、乞食坊主軍団と東インド会社の上納金の奪い合いか、とも見えてしまいますが、ヴァンデー・マータラムが愛国歌になっている、ということは、『アーナンド・マット』では敗れはしたものの英国支配に抵抗した信仰心の篤い集団としてサンニヤーシを描いているものと思われます。
 ここで気になるのが、実在のアッルーリ・シーターラーマ・ラージュが、学校をドロップアウトして、15歳でサンニヤーシを志している、という点なのです。サンニヤーシというと、ヒンドゥー教の理想的人生観として、学生期(独身時代)、家住期、林住期に続く、死ぬ準備ができてからベナレスあたりで一生を終えるための時期、かと思っていたので、「15歳」に驚いたのですが、ひょっとしてアッルーリ・シーターラーマ・ラージュは『アーナンド・マット』を読んでいたのではないでしょうか。彼のほかにも独立運動期に武闘派サンニヤーシもいたらしいですし。
 『アーナンド・マット』は、ラージャマウリ監督の父でRRRはじめ多くの作品の脚本担当としてクレジットされているヴィジャエーンドラ・プラサードの脚本で、「1770: Ek Sangram」というタイトルで映画化されることがアナウンスされています。『少林寺』的なアクション映画になるのかどうか。

Alluri Seetarama Raju (1974)

 アッルーリ・シータラーマ・ラージュの伝記映画。1974年のナンバーワン・ヒットです。主演のクリシュナは、現在のテルグ映画界の大スター、マヘーシュ・バーブの実父。ヴァンデー・マータラムがけっこう使われています。部族民・英兵・インド兵が服装で(ややイージーに)分けられています。英国側警視補は、インド人が演じているから、でもないでしょうが、RRRのような完全な悪役ではなく、けっこう対話が多いです。
 長い映画なので、インドのナショナル・アワードで最優秀歌詞賞を受賞した Telugu vīra lēvarā 「テルグの勇者よ、起て」に時間を合わせました。(この曲は踊りません。行進曲風)作詞のシュリー・シュリーは、現代詩で人気のあった詩人ですが、映画主題歌もかなり書いています。テルグ語を勉強するのに小説でも読もうかと思っても、作家の名前が出るだけで誰も読んでないのでおススメが出ないのに対し、詩はよく出てきましたし、映画の主題歌の作詞が誰かはけっこう誰でも知っているのです。インドの古典文学は基本韻文、というのは現代まで続いているようです。(韻文と散文のいちばん大きな違いは、韻文は記憶できる、という点です。歌は記憶されるためのものとして、今も農村の保健指導や政治家の選挙戦術で活用されています。)


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