「性差を認めることは、女が劣っていると認めることだ」という恐れについて考えてみよう。

わりと自認主義の女性にはこの↓「恐れ」があるのではないかと思われます。
「性自認主義にくみさないのは、家父長制を強化することにつながる!」とかいうのも、これでしょうね。

「性差を認めることは女は男より劣ってると認めること。
それより(私はそれなりに男並みのことができるから)男女平等パンチ喰らう社会のほうが良い」‥‥と。

これは、そういう感覚になるのも無理はない面はあります。
健常成人男性が絶対正解!の社会では、女性特有固有の能力を評価する目も基準も言葉も持たされてませんものね。


フェミニストの失敗

これは、多分ずっと古から「フェミニスト」が失敗してきたことだと思います。

昔のフェミニストは、男女の違いは子供を産むことができるかできないかという点のみにあって、それ以外の差、職業や文化などいわゆる社会的性差だけでなく、体格差や運動能力までもが社会的に作られたものだと考えていて、医学者や生物学者の失笑を買った。女子選手の記録が男子選手に劣るのは、女子はスポーツに熱中すべきでないという社会通念や、その通念の副産物である貧しい練習環境や栄養状態が原因であって、それらが解消されれば女子の記録は男子に並ぶはずだというのが、当時のフェミニストの言い分だった。

『TERFと呼ばれる私たち』⑦ #SaveWomensSports ハラキリムシ

かつての「フェミニスト」の願望が「私たち女も男となんでもかんでも同じことができるはずだ!男の姿が人間の正解なんだ!」
だからこうなったんですよね。
スポーツに関してはいったんこれを試したかった気持ちもわからなくはないのですが、いや、やってみないと本当に理解できなかったことなんでしょうかね。

そして現在、女男に分かれていてもなお、生理が止まって身体をこわすほど過酷な鍛錬が存在しています。
それは成果を上げたい女性の「自己決定」「自己責任」ということにはなっているのでしょうが、「女も男と同じはず」「男と同じが正解のはず」からあまり抜け出せていないからでは?とも思います。

男とすべて同じ。は実際に「酷」という事実

さて、スポーツはさておき、女性がいなければ企業も社会もまわらないのですが、とはいえこの「健常成人男性絶対正義」の構造は一朝一夕には変わりません。
よって、そんな社会で実際に男性と絶対に同じ条件で働くのは酷だから(「いじめ」とイシゲさんは表現していますが)生理休暇という制度を設けています。不十分なありさまですが。

また、薬品曝露する業務なら女性は不向きだったり、就いても性別で特化した検診が必要になるでしょう。
妊産婦には労働基準法で定められた重量規制もありますね。

第 64 条の3 使用者は、妊娠中の女性及び産後1年を経過しない女性(以下「妊 産婦」という。) を、重量物を取り扱う業務、有害ガスを発散する場所にお ける業務その他妊産婦の妊娠、出産、哺育等に有害な業務に就かせてはならない

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001263j-att/2r985200000126hg.pdf

(ちなみに。生理休暇を有給にしている企業は少ないです。現時点でも生理が重くて男と同じ時間働けない女性には、現状、たいてい賃金格差が発生するのです。また、たとえ生理痛や不調がどんなに軽くても生理用品の費用負担は発生しますね)

厚生労働省によると、令和2年度に生理休暇を「有給」にした事業所の割合は29.0%、「無給」にした事業所の割合は67.3%でした。

https://topics.type.jp/womantype-all/menstrual-leave-system/#:~:text=%E5%8E%9A%E7%94%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%9C%81%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%80%81%E4%BB%A4,%E5%89%B2%E5%90%88%E3%81%AF67.3%25%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

「だから同賃金にはできない」?

女性には女性の身体特性にとって適当な対応・不適当な対応があるため、
健常成人男性の身体特性にとって適当な対応をし、不適当な対応を排したこの社会に
女性をあてはめようとすれば、女性には無理が発生するのは、避けようのない事実です。
(逆に女性にとって適当な対応でできた社会では男性にすごく無理が発生するかというと、意外とそうではない面もあったり。後述します★1)

この事実を言うと、「だから女は同賃金にはできない」という理論になっちゃうじゃん!という「恐れ」が発生するわけですね。

多分イシゲさんのような女性は
「私は生理軽いから休暇なんて取らない。薬品暴露がある仕事でも重量のあるものを持つ仕事でもない!なのに、女だからって、生理がきつくて休暇取る女とひとからげにされて、同賃金にはできないとされるなんておかしい!不公平だ」
と言いたいのではないでしょうか。

だけどこの言い分、最後の「だから女は同賃金にはできない」の扱いがおかしいんですよ。たとえ生理休暇が必要な女性であろうと、です。
不公平なのは女と女の間で起きる休暇の必要性の有無ではなくて、
不平等に生まれてくる女男に対する、その扱いの差です。
(これは障害をもっても同じ。だから生活水準を保つための施策が存在する。生理休暇も同じ。そしてだから本当は有給とすべきであるよね)
その扱いの差がおかしい、と指摘できる理屈を
「だって男と同じ仕事ができる私だって居るんだから!私は男並みにできるもん!!」ではなく、
しっかり構築する時期に来ているのではないかと思います。

でも、著名な「フェミニスト」たちはこの構築をしません。
口を揃えて、性別は自分で選べる!社会的構築物だ!なんて言っています。

「なぜって、こんな地位を築けたんだから私は”ちゃんと男並み”だ。だから他の女と同じように”女並みの扱いなんか”されるなんておかしい!不公平だ」ということなのでしょう……

そして、女男の違いの指摘をされることは自分が「男並み」から引きずり降ろされることなので忌避します。
これの何が「フェミニスト」なのだろうと思います。
フェミニズムに関心のあった女性の多くが、自認問題をとおして彼女らの欺瞞に気づき、著名フェミニストや、フェミニズムっぽいことをかかげていた政党・議員を見限ったのではないでしょうか。

「個としての私」方式は、男絶対評価社会で地位・賃金を築ける女を増やせるか

イシゲさんの主張に戻ります。
「一人の個としての私」方式なら女性ははたして「男と同賃金以上を得られる」可能性や人数が増えるでしょうか。

たしかにそれを本当に徹底できるのだとしたら、
点数が悪くても男というだけで合格でき、無能でも男というだけで要職に就け、性加害をしても男だから仕方ないよねで済まされ、男だから冷静で理論的で有能だと言って国をすら牛耳る、
などといったことは減らせる面はある、ように思えるかもしれません。

しかしたとえば、性差つまり身体に実際に存在する差異について。
生理の軽重や、更年期障害の軽重、の個々の度合と仕事でのパフォーマンスを誰かが個別具体的に判断して、休暇付与したり賃金に反映させるのでしょうか?
それで、生理が重い女性は?
「低賃金にされても当然の個人」となるのでしょうか?
そうされたくなければ、薬で抑えても抑えきれない苦痛を隠して笑顔を貼り付け、男と同じはたらきをしてみせろって?
……今多くの女性がそうしているように。

(ああ~そしてこれ、まさにあれじゃん。
「俺はワタシじゃない。あんな扱いを受けるべき”女なんか”じゃない。だから俺は男だ」じゃん)

生理や妊娠や更年期や女性特有の疾患で女性が「低賃金で当然の個人」へどんどん脱落していく中で、
男性はその点、さくさくドストレートに進んでいけるのが「個としての私」方式。

そして、
男がまた性犯罪をおかして仕事に穴を開け、企業の社会的信用も落としたけど、これは今回もなぜだかたまたま「男」な個人のやったこと。不思議だね、偶然だね。
だけど個々の男性の問題ではないから、誓約書とか研修とかそもそも雇わないなど男を雇うリスク対策については考えないでいいですよね。

これが「個としての私」方式。

女性に生まれついたがゆえに男と違う、しかも身体的苦痛とともに生きる、という
個人ではどうしようもなく、そもそも評価基準がなぜか男に設定されている不公平なレース。
その構図の問題は今とまったく同じままに置かれて、
さらにそこでの生まれついての差異は「不出来なこと。劣ったこと」と低評価され、しかもそれを個人の能力や努力の問題に堕されてしまうことで
「それは女性差別だ」とグループ全体が不公平に受けている不利益としては言及できなくなります。

結局「点数が悪くても男というだけで合格でき」云々を是正し
個として評価を受けるべきところは受けるという公平公正な社会にするのにも
この「男性優位社会」があることを指摘し弱体化させていかないと声が通るわけもないのですが
それは、性差は個人差でーすとしてしまってはそもそもがまず叶わない話です。

よって
「個としての私」方式は、男絶対評価社会で地位・賃金を築ける女を増やせるか?
については、
増やせないどころか、

え、こんなの、より地獄じゃない?

という状況をうみだします。

同一労働同一賃金ではない現状

そしてさきほど書いたように、
現実には女男は同一労働してても、同一賃金、同一昇進ではないですよね。
男というだけで受験でも昇進でもゲタを履かされてますよね。
個々評価方式にすべきところこそを性別によって評価されるため(つまり性偏見であり女性差別)、
いま現在どんなに無理も無茶もして身体を壊して女性が頑張ったところで男性と同条件は得られていないんですよ(無理も無茶もして身体を壊してる時点で同条件ではないし……)。

逆に女性しか就けない職業、女性が多くを占めている職業は低賃金・非正規が多いんですね。
女男すべての人間の生活の生命線を確保するための、重要な仕事がその多くを占めているにもかかわらず「女がしている=誰にでもできる簡単で価値の低い仕事」と酷評されているわけです。
これは「女ができること」を実は(おそらく無意識に)、男が有利な点、腕力骨格筋力体力で評価しているのだと推測できます。
「ビンのフタ誰が開けるんだ」「30kgの物持てるのかよ~」
と言いに来る男性アカウントがあるでしょう。

そこで、さきほど後述すると書いた★1の話。

(逆に女性にとって適当な対応でできた社会では男性にすごく無理が発生するかというと、意外とそうではない面もあったり★1)


「ビンのフタ誰が開けるんだ」「30kgの物持てるのかよ~」

それに対して言うべきは「私は女だけど30kg持てる!😡」ではないことは明白です。
それを言いたくなるのってつまりは「私は”ちゃんと男並み”だし!」という価値観なんですよね。

⇧めっちゃ同意です。

さて、実際に、「テクノロジーと知性で解決」は実行されていて
たとえば
砂糖や小麦粉や小豆の業務袋は、30kgから、より軽量な小袋へ変更されているようです。

30kgの袋は、別に「すべての男性」にとっても決して軽いものではありません。
それを日に何度もいくつも運搬するのはかなりの負担です。
そこで、20kgの小袋に変更したり、機械や方法を工夫することで負担を軽減する取り組みは、すべての男性にとってもおおむねメリットがあるんですね。
(持ち運ぶ回数が増えて面倒になった、と言っている男性もいますが、それを今の感覚で持ち運べるのは残り何年、もしかしたら何日?)

下記はハード面ソフト面どちらにも取り組むことで、女性も高齢者男性も誰もが「腕力骨格筋力体力」に無理なく働ける環境を作っているという、
「ひかり製菓会社」の研究発表。

https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F10305556&contentNo=10

恐れているのは誰だろう?

このように、女性の平均的な腕力骨格筋力体力に合わせた社会設計は、
「健常成人男性」のままで生涯を終えるわけではない男性にもメリットがある、はずなのですが
この基準に合わせようぜ、テクノロジーと知性で乗り切れるように改革しようぜ、と多くの男性は言わないのはなぜでしょうね。
普段「男は冷静で理知的で」と言ってるわりに、
「ビンのフタ~」「30kg持てるのか~」と腕力骨格筋力体力の点ばかり持ってくるのはなぜでしょうね。
30kgを、たとえ子供の時期を省いても、ずっと絶対軽々と持ち続けられる自分でいる可能性は低いのにも関わらずです。
今後は高齢者になっても働き続けなければならない、つまり「男性だけど重いものを持てなくなった自分」も働いている可能性は高いのにです。

そこには、テクノロジーと知性を持ち出されたら
「男が絶対に女に勝てるもの。”ちゃんと男並み”の基準」を失いそうだ、という「恐れ」があるのではないかと思います。

冒頭の、自認主義者や昔の「フェミニスト」の女性の「恐れ」はこの男性の恐れと同じ根源から発し、そしてしかも
そんな男性の恐れを「そんなことないよ~男の人はすごいよ~女は普通やっぱ女並みだも~ん」とケアしてさしあげる作用をもつものなのではないでしょうか。

今回は以上です。

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