生理用品を希求する男性の内心はニセモノであるか。

生理および、生理用品への言及で、異性自認男性のXへの投稿が話題だ。


■生理用品に心の安定を求める異性自認男性へ集まった批判

議題となっている投稿はこうだ。


ナプキンを得られないなら「刃物を振り回す、刺し○してやる」とまで発信されている。(投稿は現在削除された模様)


対して、主に女性たちから集まった批判はというと

ただでさえ生理用品が不足する、女性にとって死活問題となる災害時に、
「精神的安定」のために血も何も出やしない男性にも分配せよとはいったいぜんたいなにごとか、

といった内容である。
しごく真っ当な批判だ。
(男性は、「生理ごときで死活問題?大げさな」と思う人も居るだろう。しかし実際に死活問題だ。嘘だと思うならまずは一日でも、大量の血液を下着からズボンからそこら中に付けて、ろくに水もなく風呂も着替えもない状態での集団生活をしてみるといいだろう)

■「彼はニセモノだ!」と擁護者は指摘する……が?


そこへ、彼らトランスジェンダーを擁護する立場を自認する、通称「トランスアライ」たちがこう言い始めた。
「あのアカウントは、トランスへの憎悪を煽るために差別者がしかけた釣りアカだ。本物のトランスではなく、女性への性加害をジョークにしている、なりすましトランスアカウントなのだ」

■「本物のトランス・本物の女性自認は生理を求めない」?

それでは、彼らの言っていることの論理性をたしかめたい。
はたして、「本物のトランス・本物の異性自認男性なら、生理および生理用品を求めることはしない」のだろうか?

ここで見てみたいのが、GIDつまり性同一性障害の、診断ガイドラインだ。
GIDはアライたちから「女装してるだけ、とか 心が女性と言っているだけ、とは違って、本物の、真のトランス。狭義のトランス」と言われることの多い存在だからだ。
3つの重大な要素を見てみよう。
(ぜひガイドライン原典にも目を通してみてほしい)

  1. 自分の第一次ならびに第二次性徴から解放されたいと考える。

  2. 日常生活のなかでも反対の性別として行動する、あるいは行動しようとする。

  3. でき得る限り反対の性別の身体的特徴を得たいとの願望をもっている。

いかがだろうか。これが性同一性障害の診断要素であるということなので、
次に、それぞれの要素に、生理および生理用品への希求が当てはまるか否かを考えよう。

  1.  生理は女性の第二次性徴で訪れる。男性の第二次性徴から解放されたい、かつ女性の第二次性徴を得たいなら生理が視野に入り得る。

  2.  生理用品を購入し、持ち歩き、下着に貼付け、トイレで交換することは「女性の行動」の一つである。

  3.  生理は、機能面における、「女性の身体的特徴」の一つである。

    (※くだらない注釈をつけるが、もちろんすべての女性の、すべての人生にわたって生理があるわけではない)

■実際に、生理を求める異性自認男性たち

GIDであり性器整形術も受けている佐倉智美氏は、著書で
陰茎陰嚢の整形手術後の出血を「短期集中生理」と呼んでいる。
そしてそうした女性の(疑似)体験共有できたことにより、女性とのコミュニケーションが円滑化されるのだ、との、私からすると理解に苦しむ独自性の高い解釈を綴っている。

GID特例法を守る会の美山みどり氏は、不妊クリニックで女性として受診し、

勿論、ピンクの紙で...しっかりと「初潮の時期」とか「生理の間隔」とかの質問がある奴。大嘘書いちゃったわ。でも、うれしい...ホント待合室は女性ばっかり。

梢おばさまのトランス日記

また別の健康診断でも、

当然ですが「生理中ですか」とか女性専用の質問項目があります。歳を考えると、閉経してて不思議じゃないから、「閉経している」にチェックをつけます。ごめんウソで~す....けどこれ一番近いですから。

梢おばさまのトランス日記

と、生理関連の項目に嘘をついてでも自分を当てはめたという自身の行動を記録し公開していた。(現在非公開)

乙女塾を創設し、映画『ミッドナイトスワン』で脚本監修、またNHKドラマなどメディアにも出演する西原さつき氏は
「ほぅら私は大人の女なのよ、シンデレラなの、と言わんばかりにナプキン片手に私の横を通り過ぎていった女共。(略)悔しい!」とブログに綴っていた。(現在削除済)

他にも、

・生理用品パッケージに女性器を落書きした画像や、
「血がついた生理用品が見えると、こちとら欲しくても手に入らないものなのに見せつけられてブチ切れそう」の旨をSNSにアップする男性
・女性の使用済み生理用品を漁ってSNSにアップする男性

など、異性自認男性による生理と生理用品に関する言動は、それなりに複数で広範な行動事例を挙げることが可能だ。

女性からするとこのような言動は不快や恐怖をもよおす人が多いと思うが(私も憤っているし本当に怖い)、

それはさておき
GID診断ガイドラインから見たときには、「真の性同一性障害、つまり本物の異性自認男性が、生理および生理用品を希求する場合がある」ことは、文脈として不自然でおかしい帰結だとは考えづらい。
むしろ、あの診断を是とするなら当然こうなるよな、と自然な流れにすら感じないだろうか?

であれば、他に何が「なりすまし、釣りアカウント、ニセモノ」と言わしめる可能性があるだろう。

>女性への性加害をジョークにしている

トイアンナさんのここの指摘だろうか。

なるほど、では念のため、次はその観点から見てみよう。

■「性自認が本物なら、女性への性加害を冗談にしない」?


たとえば……
「女湯はおっぱい桃々天国でした。マシュマロぱいぱい拝んできました」と女体レポート動画をあげた、スザンヌみさき氏。草彅剛主演の映画『ミッドナイトスワン』にも出演した人物である。
戸籍記載を変更したときは「戸籍も女になりまんこ♡」などとポストしているし
「女の子大好き、おっぱい大好き性欲の塊で性格めちゃくちゃ男で考え方も発言も男でも、性転換して豊胸してて、服装・髪型・声・メイク頑張って女性の体型と見た目になってれば、女性として認められるので大丈夫です」と、同じような男性を励ますような発信もしている。

また他にも「キンタマキラキラ金曜日」と書いたり陰茎をアスキーアートで描いた投稿、更には
「私が下ネタ書くとかみついて来るTERFさんたち、たくさんいますけど、女性でヘテロで彼氏か旦那さんがいるのなら、夜はちんぽ咥えて、つっこまれて喜んでいるんでしょ?ネットでは、やたら性的なものを拒否したがる女子中学生みたいな言動をしつつ。ネットカマトトとでも言うのかな?」などと発言している、異性自認男性もいる。

また、GID特例法を守る会の美山みどり氏も
女湯で女体レポをしてあまつさえ乳がん女性の身体のことまであげつらっているし、小学生の女の子と女湯で遊んだエピソードも綴っている。

どこまでが「性加害」「性加害をジョークにしている」と判断するかは人それぞれかもしれないが、
たとえばここにあげた事例が、どれも「性加害」や「性加害をジョークにしている」要素はまったくのゼロだ!と断言できるだろうか?

■他者の内心をジャッジできる超能力者たち

ところで「ヘイター。差別者」と呼ばれるところの私は、彼らのこうした言動を指して
「だから彼らの性自認はニセモノだ。彼らはなりすましのトランスジェンダーだ」などとは全く思っていないし、理屈としてもそう言えないことをはっきりと示しておきたい。
理由は別に彼らが戸籍の性別表記を変更したとか、性器を整形したとか、ホルモンを投与しているとか、性同一性障害の診断書を持っているとか、スカートを履いている、とかいうことではない。

「自認」だからだ。
自認というのは内心だ。だから他人が存在を否定できるものではない。
そうすべきでないというよりも前に、「できない」のだ。
それが内心だから。

よくトランスアライたちは私たちを「トランスの性自認を否定し、存在を否定している」と非難してくるが、
私たちが否定しているのは「自分は女だ、という自認を持っている男は女だ。という言い分」である。
その非科学的な、事実と異なる言い分を否定している。
自認、つまり内心の存在は否定していないし、ましていかなる内心をもつ男性の存在も、否定しているはずもできようはずもない。

だから
>なぜナプキン要求するトランス女性の中身はトランスヘイトの釣り垢だって気づかないの?
とは、なかなかすごい文言だと思う。
逆になぜこの人は、誰かの内心を断定できるのだろう?
内心なんて本人にすら不確定な要素があり、
「そのときはこう思ったつもりだったが、今考えるとああ思っていたような気もする」なんていう曖昧で歴史修正的な感覚だって、よくある。

内心なんて、いくらでも想像・推察し放題なのだ。
「あの男は、性加害するために、心が女だから女に興味ないだなんて嘘をついて警戒心を解こうとしているのでは」
と推察することも可能なら、
「生理用品を精神安定剤にしたいだなんて、そして女性たちに憎悪発言をぶつけるだなんて……そうやって憎んでしまうほどまで本当に女性になりたくて、男である自分が悔しくてつらくてたまらないのではないかな……」
と想像することだって可能だ。
同じ言動に対しても、人によって憤りを感じたり、あわれみを感じることだって、それぞれに可能だし、感じ方自体は他人からは否定できない。
そしてなにが他者男性の、本当に本当の本心であるか、など誰にも確かめるすべはない。

もちろん、私たちはそんな内心などたしかめる必要も想像する必要もない。
たとえばアコ氏の性自認がアライ基準やガイドライン基準の本物だろうとなりすましだろうと
「男が、精神安定のために災害時の生理用品を分配を要求する」ことや
「男を女性専用アパートへ入居させろと議員にかけあい、通させた」ことへの私たちの批判は変わらない。
彼が「真のトランスかどうか」など興味もない。
性別(もちろん生物学的な)がわかれば、それだけで「女性であるか男性であるか」の回答を、私たちは即決即断で差し出せるからだ。
小泉進次郎構文のようで非常にバカバカしいが、
「男性だとわかったら、その人は女性ではない」と回答できる。

だが、トランスアライたちはどうだろうか?

「こういう内心や言動ならトランスではなくニセモノだ。なりすましだ」
「いや、僕はそれは本物の範疇だと思う」
「うーん。私もここまでなら大丈夫だな。あそこまでなると無理だけど」

こんな不確かで傲慢な個々人の「内心」の定義で決められる「本物・ニセモノ」をどう社会全体のルールに反映するつもりであるのか。
そしてそんなものの反映が、いったいどのような意味を持つのか。

このジャッジは生物学的以外の線引き、
「私は性器を整形した男ならOK」
「いやいや女性自認してるなら、その陰茎は女性器でしょ」
といったものも含まれる。
これらすべて生物学的事実で区分した、事実そのものでしかない男女という区分名を、
「私はここまでならいいと思う」というそれぞれの曖昧な「内心」で線引きしなおしたものだからだ。

■性自認をジャッジして否定して存在を切り捨てているのは誰か?


トランスアライは、
身体的特徴および性役割や性表現において、GID男性が「女性らしさ」を身につけたいと願い行動することを支持してきたのではなかったか。

その「女らしさ」の希求の形として、スカートを履きたい!は賛美され讃えられ
生理用品を着けたい!は なりすましだ、と否定されるならその理由は?

もしくは、彼の言い方が悪かったとでも?
たとえばアライたちの気分を害さない、それどころかとても憐れみを誘うように、生理用品が必要なんです、とても苦しくて、そのつらい違和は幼い頃から云々……とせつせつと訴えれば
「本物」と認定して擁護してさしあげたのだろうか。

なんてあさはかで傲慢なのだろう。

いっそ、「すべての自認が本物だ。なりすましなんて存在しない!
女性自認する男性はすべて女性として扱うべし!」と言われる方が
まだスジが通っている。

「自分の内心」基準で性自認をジャッジして否定して存在を切り捨てているのは、誰あろうトランスアライだ。

異性としての「らしさ」を求める行動を阻害されると精神不安定になり、性自認を疑われたりまして否定されると命を断ってしまう人も居るんだぞ!とあなたがたは私たちに散々迫ってきたくせに、
アコ氏の性自認を切って捨てられる理由はなんなのか、
ぜひ論理的にお聞かせ願いたいものだ。

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