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ロジカルシンキングという言葉に引け目を感じるかたへ(準備編)

ロジカルシンキングを身に付けたい(自分には身についていない)と思っているけどどうしたらいいのかわからない、というケースがよくあります。

ありがちなパターンは、「論理的思考の方法」みたいな本を買って「AであればB、BであればC、したがってAであればCと言える」みたいな眠くなる文章を読んで、実際に寝る、というもの。

そして、そこで寝てしまうと引け目が倍増するので、ますます劣等感がつきまとう。

昨日、職場の同僚からこの相談を受けて、この課題をどうしようかと話をしている中で気づいたことがあり、案外、ロジカルシンキングのノウハウ本を読むよりは実践的なアドバイスではないかと思いますので、共有します。

ポイントは2つです。

1つは「分類の軸を持つこと(語彙を増やすこと)」。もう1つは「分類」する訓練をすること。

まず「分類の軸を持つこと(語彙を増やすこと)」というのは、なにかを分類するときに分類するための分け目となる線を「言葉(語彙)」として持っている、ということです。

例えば、ライオンと猿とリンゴとみかんがある(いる)とすると、それをどう分けるか、その分ける「線」はなにか、といえば、まず思い浮かぶのは動物か果物か、ということになります。

この場合、「動物」という単語と「果物」という単語、その語彙を持っている(知っている)ことが重要です。その語彙を知らないと、どうやって分類するかをゼロから考える必要があります。食べられるかどうかとか、生き物かどうかとか、自分で定義を考え出さないといけません。(動物という単語がない場合、ライオンをどう表現するかを自分で考えないといけない、ということ)

ではここに、ダチョウと鳩が加わったたらどうするか。

やはり動物と果物のままにするか、あるいは、動物と果物に分けた上で、動物を4本足か2本足かでわけるか。その場合、4本足の動物と果物を同じレベルで考えていいのか。(こうした「同類感」、「レベル感」は、お役所用語的には「平仄(ひょうそく)」といいます。用例:「おい、この文章はちゃんと平仄をそろえておけ」)

そのように考えれば、さきほどの例でいえば、動物は4本足と2本足、さらに必要であれば2本足の動物(つまり基本的には鳥類ですね)を飛べるものと飛べないものに分けていく、というのが分類の作業となります(見出しのレベルも異なってきます)。

ここでは動物と果物の例を出しました(便宜上の例ですの、動物と果物で平仄が合っているか、という問題は不問としています。通常、動物の対となる概念は植物だと思いますので、本来は動物と植物でないと平仄が合っていない、ということになります)。

こうした分類軸としては、「白と黒」、「メリットとデメリット」、「主観と客観」、「原因と結果」、「目的と手段」、「国内と国際」、「経済と政治」、「民事と刑事」、「事実と提言」、「重要性と緊急性」から、「序破急」、「起承転結」などまで、いろんな軸がありえます。

まずはこうした分類するための軸(語彙)を増やすことが大事です。それが多ければ多いほど、自分でゼロから分類を考える必要がなく、したがって分類作業の労力がずっと軽減されるので、文章作成能力とロジカルシンキングの基礎力が高まります(分類作業の労力が自分にとって過大だとそれをせずに投げ出して(あるいは最初から分類できることに気づかず)、生の素材のまま上司に文書を見せて「もっと整理してからもってこい」と具体性のない指示で怒られて、なにをしたらいいのかわからず途方に暮れる、という状況に陥ります)。

次に「分類」する経験値を高めること。これは軸(語彙)を増やしたあとの実践訓練です。分類前の生の素材を前にして、その素材が自分の持っている語彙の中でどのように分類できるかをあれこれ考えてみる。それぞれの分類軸にあてはまるかどうか、当てはまらなければ別の分類軸でどうだろうか、と悩んでみる。その過程が糧となり、語彙力があればあるほど論理的思考を飛躍的に伸ばす準備が整ってきます。

これだけでロジカルシンキングが身につくか?

それは、論理的思考のためには論理的なもの、例えば「数学は論理的だから」数学の勉強をしたほうがいい、とか、同様にプログラミングをやれば論理的な思考が身につく、とか、果ては「考える力」を得るためには哲学を学ぶ必要がある、などと悩むよりはよほど実践的な手段だと思います。

もし「ロジカルシンキング」という言葉になんとなく引け目を感じているのであれば、プログラミンや哲学を勉強する前に、ものごとを分類する訓練をすることを意識してみてください。そしてそのための語彙を増やす努力をしてみてください。たぶんそれはロジカルシンキングなるものを実践する前の準備段階として大切であり、とても役に立つことではないかと思います、というのが本日の同僚との話でした。

追伸:こうして「分類」という行為を考えると、普段の生活のなかで常時なにかしら目についたものや会った人、感じたことなどなかば自然に無意識的になんらかの分類をしていると思うので、ロジカルシンキングは誰でもできる、要は訓練次第(思考の言語化)の問題であることがわかります。

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