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親ガチャはあるけど……って話。

未だに「親ガチャ」という言葉を聞く機会がある。
自分の生まれた環境を呪う言葉だ。

確かに、この世にはとんでもない親がたくさんいる。
勉強しろって言いながら、自分はまったく勉強しない親とか。
勉強すると(しないと)虐待してくる親とか。

「それを言ったら子ガチャもあるだろう」と思うが、そういった発想には至らないらしい。
思うに、親ガチャとか子ガチャとか騒ぐ人(とその親類)に足りないのは、ひとえに「相手の立場に立って考える能力」ではないだろうか。
認知能力に問題がありそうだ。

さて、私は過去にこんなことをいって、未だに燃えている。

これ言ったの2年半前なのに、未だにクソリプが来る。
なんでやねん。
20超えて親ガチャだのなんだの文句を言ってる人のことを、僕は割と本気で憐れんでいる。

勘違いしないでほしいが、僕は「親ガチャ」的なことはあると思っている。
生まれた環境によって、天地の差が出る。
それは間違いがない。

僕は親ガチャ当たりである。
確かにお金ではだいぶ苦労したが、僕のために身を粉にして働いてくれたし、欲しいものはなんとか手に入れてくれた。

東大受験すると言った時も反対しなかったし、「勉強しろ」とも言われなかった。
僕は家では一切勉強しなかったので、親には勉強している姿を見せたことが無いのにもかかわらずだ。

これが、「勉強しろ」って言われたら、僕は絶対反発していた。
「大学行かないで働け」なんて言われても反抗していただろう。
それがなかっただけ当たりである。

親ガチャハズレ派の言い分はこうだ。
「自分は努力が認められる環境にいなかった。だから、自分は努力ができないのだ」

まぁ分からん話ではない。
そういうこともあるだろうとは思う。

ただ、「こいつは自分の将来を考えているのか?」とは思う。
ボーっと暮らしていたら、どこかの国の王子様が自分を見初めてくれて、貴族にでもしてくれると思っているのだろうか。

行政は自分から動かない人を助けてくれない。
いろいろなセーフティネットはあるが、どんな手段があるかを調べないと、教えてくれない。
誤解されがちだが、僕が言う「努力」はこういうものである。

どんなに環境が悪くても、できる範囲で足掻くことは、何かしら突破口を開く可能性を広げてくれる。
生活保護になるなら、それはそれでいい。
ただ、「生活保護」という制度があることを知らないと、そんな発想に至れない。
そして、その制度を調べる努力をするのは、自分なのだ。

生きていくには自分の足で立って歩く必要がある。
自立した人には、色々なチャンスがやってくる。
逆を言えば、何もしない人には何も起こらない。

僕が思うに「親ガチャ」という言葉は、人に「頑張らない理由」を与えるものだ。
「あなたは親ガチャに外れたから、なにもうまくいかなくてもしょうがない。努力できなくてもしょうがない」とする言葉だ。

繰り返すが、自分のできる範囲で「努力」をしないと、道は開けない。
うずくまっているだけでは、状況は悪化するばかりである。

成功しろとはいわない。
ただ、いまの環境が悪いと思っているなら、自分でできる範囲のことをやってみるだけで、何か変わってくるかもしれない。
僕がいっているのはそれだけだ。

疲れた時は立ち止まってもいい。
でも、立ち止まっているだけでは、世間においていかれてしまう。
誰も立ち止まっているあなたの手を引いてはくれない。
走らなくていいから、すこしずつ前に進もう。

そうすれば、徐々に人生がよくなっていく。
僕はそう信じているから、そう言い切る。

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