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第6回「野口晴哉先生がされていたことを理解するためにエドガー・ケイシーを読んでいました」三枝龍生先生

三枝 龍生(さえぐさ りゅうせい)

1954年東京生まれ。病弱な少年時代を野口整体とマクロビオティックで克服。その後、自衛隊パラシュート部隊、野口整体内弟子を経て1984年独立。その後は海外で指導しながら模索を続け、2009年、合気道と野口整体と易学を同時に学ぶ「天心会」を発足。
近著として「最後に残るのは、身体だけ」(講談社α新書)がある。

公式サイト:https://nihonjin.or.jp/people/

テンプル――
ご著書を拝見すると、野口整体を知ったきっかけは中学のときに発症したご病気だったとのこと。筋無力症というのはどのような病気で、三枝先生の症状はどのようなものだったのでしょうか?

三枝――
13才ですから、中1のときです。突然、鉛筆が持てなくなりました。黒板に板書された字をノートに書き写そうとすると鉛筆が持てない。 歩けるけど、物が握れない。先生に怠けていると思われるし、アチコチの病院を廻ってもなかなか病名が分からず、辛かったですね。

おそらく自分の記憶を隠蔽してしまっているんですね。さきほどご質問をいただいてからずっと思い出そうとしているんですが、当時のことは混沌としていてほとんど思い出せません。ただとても辛かったことは憶えています。

最終的に慶応病院で病名が判明したときの嬉しさ、でも治らないと言われたときの愕然とした感じ・・・。

例えば、皆さん60才くらいのときにガンだと言われておろおろするけど、10代の子どもが「もっても4年」と言われるとすごいショックですよ。

テンプル――
ご両親もお辛かったでしょうね。

三枝――
両親はまた面白い人たちでね。「そうですか」とすぐに諦めてしまいましたね。僕は諦めきれなかったけど、両親はすぐに諦めました。

テンプル――
そのご病気をきっかけに野口整体に出逢われたのだと思いますが、それはどのような経緯があったんですか?

三枝――
実は野口整体を知ったのは、筋無力症を発症する前なんです。僕は将来、科学者になろうと思ってい たくらいなので、数学が大好きだったんです。忘れもしない、ある時、数学の西先生が野口整体の自動運動―今でいう活元運動のお話をして下さったんです。さらに西先生ご自身の体験として「あるとき膝のお皿が割れて、通常の医学だったら一生足をひきずるようなことなのに野口先生のところに行ったら治った。ガンになったときも野口先生のところに行ったら治った」と言われたわけです。

そのとき、周りの誰もそんなことは信じませんでした。でも僕はそんなことがあってもいい。西先生が言うように「ノーベル賞をいくつも取ってもおかしくないような人」がこの世にいてもいいのではないかと思いました。

それで、その話を聞いたあと職員室に一人で行って「さっきの話は本当のことですか?」と、野口先生のことをもっといろいろ西先生から教えてもらい、さわりだけですが、活元運動の誘導法も習ってきました。

テンプル――
それはご病気になられる前の出来事だったんですね。その後の展開を考えると、ものすごく意味のあるお話ですよね。大いなるものに導かれているというか・・・。

三枝――
そうですね。でも病気になったときは悲しかったですね。13才のとき、夜空を見ながら「自分の命はあと4年か。17才だなぁ」と。親はすぐに諦めましたが、自分は諦めきれなかった。

テンプル――
でもその時に「ガンでさえ治すことができる野口先生という人がいる」ということを知っていたからこそ、大きな希望が生まれたわけですよね。出逢いの順番を考えると凄いですよね。

三枝――
その情報が無かったらもしかしたら違っていたかもしれません。子どもの頃から仙人の存在は当たり前のことと信じていましたし、常識ではない世界がある、ということはなんとなく思っている子どもでしたからすんなり信じられたんですね。

テンプル――
子どもの頃から見えない世界に興味があったんですか?

三枝――
バリバリにありましたね。中学のときには地震は普通に予知をしていました・・・。病気がちな子どもって、そんなところがありますよね。小さいときには線が細く、弱い子どもでした。絵を描くのが好きでしたね。また両親が仲が悪かったので「なんで自分は生まれてきたんだろう?」みたいなことを考えたり・・・。

テンプル――
そして中学時代に野口整体を学びはじめ「背中にしか興味のない中学生」になられたそうですが、背中の何をご覧になっていたんですか?

三枝――
「大人は信じられない」っていうのがあるじゃないですか。大人というのは、その人の前ではいい顔をしているのに、その人がいなくなったら「あの人、大っ嫌い」と言ってみたり。だから何を信じたらいいんだと思っていたわけです。

そんなある日、野口先生が脊椎のことを話されたんです。腰椎の3番、お臍の裏側の背骨が曲がっている人は捻れ体質で、おしっこが真っ直ぐに飛ばないでどちらかに曲がってしまうと。それである時からしばらくの間、三鷹駅前で、お弁当を持って大きな公衆トイレに行って、1日中トイレの前に立ったんです。

腰椎の3番が曲がっている人が来たらすぐに分かります。歩き方とか肩の振り方とか。それでそんな人が来たら一緒にトイレの中に入っていき、当時の公衆便所は金隠しが無かったので、隣に立って小便するふりして見てました「あ、やっぱり右におしっこが飛んでいくな」と。人が隠しているようなことも背中を見ていたら分かるんだと僕はおしっこが飛ぶ方向を見ながら実感したわけです。

テンプル――
お手洗いだけではなく、普段の生活の中でも背中を見ているだけで、この人はこんな人だろうなぁというのは、ある程度分かるようになるものですか?

三枝――
背中を見なくてもみんな分かっていますよ。本にも書きましたが、お茶の出し方1つで、その人が「早く帰ってほしい」と思っているのか「ずっといて欲しい」と思っているのか、みんな分かるんです。だけどみんなそれを隠蔽しているだけです。言葉で感覚を封鎖してしまうわけです。だから僕は「インディアンと背中は嘘つかない」と思って背中に関心を持ち続けています。背中は分かりやすいということですね。

テンプル――
歌手の大貫妙子さんは中学の同級生で、女性代表として大貫さんの背中を触らせてもらったとか・・・?

三枝――
もちろん服の上からですよ。男性の場合、あとは銭湯ですね。昔は背中を流させてもらえたので、人の背中を流しながら観察していました。もうこれで食べていこうと思っていましたしね。

テンプル――
でも、高校卒業したら自衛隊に入られましたよね?

三枝――
それはこういうことです。高校卒業して18才のときに山根寛子さんという野口整体の先生のところに弟子入りしました。野口晴哉先生は近衛文麿さんの娘さんと結婚されて皇室にとても近いこともあり、ちょっと畏れ多かったんです。直弟子になるのも金銭的に大変だったので、優秀なお弟子さんを紹介して下さいということで山根先生のもとで勉強することにしました。

当時はまだ筋無力症の症状が「消えてはぶり返し、消えてはぶり返し」を繰り返していたんです。それで「治してもらえたら弟子入りします」という交渉のもと整体をしてもらい、結果弟子入りすることになりました。

ところが病気が治ってみるとつまらないんです。そこに来るのは病人ばっかりですし、まだ僕も若かったですから・・・。それで「1年だけ外に出てきていいですか?」とお願いして自衛隊で一番厳しいと言われた空挺部隊に入りました。最初は1年の約束でしたが結局1年3ヶ月いて、山根先生のもとに戻りました。ところが戻る2日前に山根先生はくも膜下出血で倒れ意識不明。僕が戻ったあとに意識は取り戻しましたが半身不随になられたので、山根先生から何かを学ぶ、というよりは看病をするほうが多かった気がします。

でもそこには膨大に古い野口先生の資料がありました。最終的な操法になる前にどういった操法を経てきたのか、そういったことを勉強させてもらいました。

テンプル――
野口先生からの直接の教えというのは受けられたんですか?

三枝――
講習会とか毎月の勉強会とかですが・・・。でも野口先生の整体は巧すぎて見てると弟子はみんなガックリくるわけです。先生のされることが神業すぎて誰も真似できない。

テンプル――
技術ではないところで人が治っていったわけですか?

三枝――
技術以前ですね。オーバーに言えば、患者のほうが野口先生に合わせてくれるくらいの雰囲気です。

テンプル――
野口先生の前に行っただけで治る、みたいな?

三枝――
そうですね。

テンプル――
野口先生は何歳でお亡くなりになったんですか?

三枝――
65歳です。1度自分のブログに野口先生の死因を書いたら、そのブログが炎上してしまったことがありましたが、先生は、くも膜下出血で亡くなられました。指先に力をこめる人は首の後ろに圧が来るんです。僕も2度ほど死にそうな思いをしたことがあります。ですから整体師はカルシウムを取るなど自衛をしたほうがいいです。野口整体は一瞬グッと親指の先に力を込めますからね。

テンプル――
私は野口整体と野口体操を混同してしまっているところがあります。ここで少し野口整体と野口体操の違いを少しご説明していただいていいでしょうか?

三枝――
以前朝日新聞で「二人の野口先生」という特集を組んだくらいこのお二人は重要な方々です。姻戚関係はありません。ただ偶然、二人も名前が野口で時期も重なっています。

野口整体を作られた野口晴哉(はるちか)先生は日本屈指の身体思想家です。古今の東洋医学のメソッドを自分の整体法に取り入れ、気の流れを調整することで人間が潜在的に持つ自然治癒力を呼び覚ますという独自の整体法を確立されました。いわゆる一般的な「整体」や「整骨療法」といった物理療法とは違います。

野口体操を開発されたのは野口三千三(みちぞう)先生といいます。芸大で長く体操を教えられていた人で、身体のパフォーマンスを研究して「野口体操」を創始されました。芸大時代、坂本龍一さんも野口体操を習われているそうです。野口晴哉先生がされていたことは言語化できないんですが、野口体操はある程度は言語化できるのが特徴だと思います。実は、野口三千三先生のご自宅の近くに住んでいたので、野口三千三先生のところでも勉強させていただいています。

テンプル――
(三千三先生の直筆の書類を見ながら)これは貴重な資料ですね。

三枝――
中学のときにだいたいこういう方向に進もうと思っていたとおりに、物事が進んで行っていますね。

マルクスの本も読みましたし宮沢賢治の本も読みました。様々に本を読むなかで、一番心に響いたのは実は野口晴哉先生の考え方でした。

テンプル――
高校時代などは同級生から「整体して」という依頼はあったんですか?

三枝――
高校ではなく、中学のときからずっとしてましたよ。学校の先生にも。

テンプル――
では整体師としてのキャリアはもう45年くらいになりますね?

三枝――
実のところ、僕は治そうとは思ってないんです。これは弟子にも言っていますが治そうとすることが治ることではない。倒そうとすると抵抗するように、治そうとすると人は抵抗するモンなんですよ。病気になった原因が必ずありますから「その病気は治りましたが死にました」「手術は成功、でも死にました」ってこともあるわけで。

話は前後しますが、エドガー・ケイシーとの関わりを少しお話すると、野口晴哉先生が亡くなられた後、治療についてどう模索していいのか分からないところがありました。野口先生にもやはり超能力的な力はありました。そうでなければ治療なんてできませんから。ですから野口先生がされていたことを理解するためにエドガー・ケイシーを読んでいました。

背中が直角に曲がった老婆がいたとします。その老婆が亡くなったとき、その曲がった背中をみんなで伸ばすのかといったら、死んだとたん背中は身長まで伸びてきます。死んだら伸びる背中ならば生きているとき伸びていてもいいものを、生きているときには曲がっている。

人間というのは死んでキレイになるから成仏というんです。でも生きているときには自分の妄想も含め、何かにしがみついている。生きていて、でも何に対しても囚われのない身体になるというのが野口整体の目標なのではないかと思ってやってきています。

それから「治す」ということよりも「観察」のほうが先ですね。観察が成功すれば治療は成功したと言えます。最近は遺伝子とかDNAとか全てを分解、分析して本質を知ろうとするなか、私は人間そのものを観察するということが大切ではないかと思っています。野口晴哉先生も素晴らしい観察者でした。

テンプル――
先ほど少しエドガー・ケイシーのお話が出ましたが、ケイシーとの出逢いや時期についてお話いただけますか?

三枝――
中学の頃からケイシーの本は読んでいました。顔を見るといわば聖者のお顔をされていますし、本を読むとケイシーは誠実のかたまりのような人ですよ。そのケイシーを凄いなと思うと同時に、彼の能力を容認し、財団をつくるアメリカも凄いなと思いました。

テンプル――
三枝先生が中学の頃ということは、まだケイシーの本がほとんど出版されていない頃ですよね。

三枝――
そうかもしれません。でも当時、野口整体をやっているような人の間では、ケイシーはよく話題に上りました。僕は今でもそれほどケイシーさんの本を読んでいるわけではありませんが、ケイシーさんには憧れていましたね。

テンプル――
野口整体を学ばれていた方がケイシーの本を読まれていた、というのはとてもうれしいですね。ところでケイシー療法で取り入れていることなどありますか?

三枝――
東洋医学で1つだけ残念だなと思っているのは、お互いの交流がないことなんです。自分の先生のやり方が一番、といった感じで横の繋がりを持ったり他の勉強をしない人が多い気がします。西洋医学というのは学会があったりして、お互いの意見や情報を交換しあったり勉強しあったりするじゃないですか。僕はボクシングも空手も柔道も合気道も全部やっています。やった武道は全部、有段者ですが、自分がやっていることを1つ極めるのもいいけど、他を学ぶことによって分かることもあることがあるんじゃないか。それが僕の持論です。

治療も「この人にはこの治療や食事療法がよい」だけであって、いろんなモノを見て学んでおく必要があると思っています。ケイシーさんも晴哉先生も三千三先生も、それぞれやっていることは違っているかもしれないけど、人間を対象としている限り、地下水脈で皆、繋がっています。他を学ぶことは今やっていることをより深く理解できることになる、ということをずっと思っています。

それに「こういう時には背骨の何番を圧しなさい」ということを教えてくれるから、それを鵜呑みにすると言うのではなく、試行錯誤しながら自分でその方法にたどり着いたほうが応用の利く技術になるわけです。

話を元に戻すと、僕がケイシーさんの本を読んで学んだのは瞑想でした。今も治療に入る前には必ず瞑想をするようにしています。

それは何故かというと、例えば整体操法の現場においてある人に突拍子もないようなことを言うことがあります。でもその突拍子もないことが、その人にとっては一番重要な事柄だったりします。

野口晴哉先生もたとえば、整体中、突然、会員さんに「おばあちゃんに借金を返さないのはまずいよ、借りたものは返しなさい」「見えないかもしれないけど、あそこでおばあちゃんが立ってるよ」と言うことがありました。あるいは「遠くアメリカにいる息子さんが調子悪いの?写真はあるのかい?」と会員さんから息子さんの写真を受け取ってしばらく指でなぞった後「電話してごらんなさい」って言うから電話すると息子さんが治っていたり・・・。

テンプル――
え~!それはもはや神業ですよね。そうなってくると、野口整体はマニュアルや技術では全然ないですよね。

三枝――
野口先生は鈍い弟子のために「操法の型」を残し、置いていっただけであって、野口先生自体はそれを必要としなかったようにさえ感じます。会員さんには記念に触っていただけでね。

さっきの話に戻しますが、ケイシーさんのそういった不可思議な部分をインテリジェンスを持って研究し、財団を作ってしまったアメリカを羨ましく思っています。

テンプル――
ケイシー没後70年近くたった今でも、新しいリーディング研究がなされていますからね。

三枝――
そっちのほうが興味ありますね。

テンプル――
さて、先生の書かれた「最後に残るのは、身体だけ」の本の中に「カーテン・パンティ法」というものが紹介されています。これがとても興味深かったんですが、これについてご説明いただけますか?

三枝――
それはこういうことです。ある時、膠原病だという30代の女性が来られました。それで「あなた、車の免許持ってないでしょう?免許とったら治りますよ」と言ったわけです。でも、そんなの誰も信じないですよね。「ただし、ご主人に内緒で取って下さい。絶対にばれないように、細心の注意をして免許を取って下さい」と。その後その方は無事免許を取られたので、「病院に行ってご覧なさい。」と。すると「はい、治っていました」と。ここで重要なのはご主人に内緒で物事を行う、ということなんです。この手はだいぶ使いましたが、今のところ、全部、効きましたね。

カーテン・パンティ法も、本人が「ちょっといやらしい」と感じるようなセクシーなヒモパンみたいなのをはいて、例えば、日頃いいなと思っていたような若い男性の美容師さんのところで髪をセットしてもらう。でもそのヒモパンは家に帰ったら絶対にご主人から隠さなければならない。その他のことは何にもしないんですよ。単にちょっとセクシーなパンツをはいて頭をカットしてもらうだけです。それだけでも身体は変化します。

(ここで、何故このカーテン・パンティ法が効果を生むのか、健康が回復するのかの解説をしていただいたんですが、理由がわかって実行すると効果がなくなるということなので、具体的な理由は秘密です・・・)

テンプル――
ではカーテンを変えるというのは何故ですか?

三枝――
カーテンっていうのは、高級なものはとっても値段が高いじゃないですか? 例えば多額に収入が入ったとして、その自己表現の1つとして高級な服を買って着飾ったりする人もいるけど、周り近所の人にすぐに自分がお金持ちだと分かるようなものを買うのではなく、あえて外からは見えない部屋に高級カーテンをかけてみる。見えないけれど、とてもお金がかかっているものが内側にあると思うだけで、人の意識って変わるわけです。

テンプル――
カーテンは高級な値段の高いモノ、パンティはちょっとエッチな高いものをする、というのがここでの秘訣なんですね。

三枝――
高校のとき女性の生理に興味を持って、友達で産婦人科医の息子の家に行って、分娩台に乗せてもらったことがあります。下着を脱いで分娩台に上がって足を広げて足置きに足を乗せて、カーテンがお腹のところにかかって・・・。「本当に女性はこんな格好をするのか?」と。

テンプル――
衝撃ですよねぇ。

三枝――
衝撃です。それに女性は生理用のナプキンをするじゃないですか。あれはどういうことなんだと。僕は生理がないし、身体の前には溝はないけど、肛門あたりにはあるから、そこにナプキンを当てたらどうなるかやってみようと、1日中、股の後ろ側に生理用ナプキンをあてて過ごしてみたことがあります。

高校のときですから、恥ずかしいんですよ。せめて、ヘアースタイルだけはキチンとしようと、床屋に行ったりしたけど、肛門にはナプキンを当てているわけです。交通事故には絶対に遭いたくない。もしズボンを脱がされたらナプキンを当てているし、変態って思われたら嫌だなとか、もう大変なんですよ。ですから、見えないところを変える、というのは、見えるところで何かをするというよりも遙かにエネルギーを必要とする場合があるんです。

テンプル――
カーテン・パンティ法を発見されたのは、高校時代のその経験からなんですか?!

三枝――
ナプキン大事件ですよ。

テンプル――
(大爆笑)多感な高校時代によくやられましたよねぇ・・・。

三枝――
赤ちゃんの気持ちを知るために紙おむつもやりましたよ。当時はおとなのおむつがないので、赤ちゃんのおむつを切ってサイズをつくり、それを当てるとどうなるか試しました。

テンプル――
高校生でよくそんなことをやりましたねぇ。大人が仕事のいっかんとしてやるならまだしも、男子高校生がそれをやったなんて・・・。

三枝――

時代背景もあると思いますよ。余談ですが、高校のとき国連の資料を取り寄せ「終末世界観」としてレポートにまとめたことがあります。CO2の問題とか核や人口問題、DNAとか遺伝子操作だとか、2000年頃には世界は危ないんじゃないか、といったくらいのことは発表していました。当時は安田講堂事件とかあった時代ですから、周りも皆、政治意識が高かったんです。大学受験のさなかでしたが、地球の未来のほうが重要だと受験勉強そっちのけで研究してました。
その頃、世間はどういう状況だったかというと、万博で浮かれていた時代です。

テンプル――
40年以上も前に、地球の未来に危機感を抱いて自主的に地球環境や遺伝子操作について研究されたなんて、先見の明があるというかなんというか。一方で女性用のナプキンやおむつを体験された・・・。並の高校生ではないですね。

話題を進めますと、同じご著書に、それまで通っていた床屋さんより値段が高い床屋さんに行ったら運気が落ちた方のエピソードを紹介されています。なぜ安い床屋から値段の高い床屋に行ったら運気が落ちたのか、よく理解できなかったんですが。

三枝――
値段やグレードの高い床屋に行ったから運気があがるというわけではありません。相性の問題です。相性が合うところであれば、たとえ安い床屋でもいいんです。結婚もそうですよね。お金持ちのところに嫁ぐよりも相性のいい人に嫁いだほうが晩年はいいわけで・・・。人間関係は足し算、引き算でなく、永遠のかけ算なんです。かけ間違うと、ドンドン、矛盾がひどくなります。

美容院でも床屋でも「髪を切る」場所というのは重要です。女性は美容師さんが移るとその人が移った次の美容院に行くじゃないですか。東京から名古屋まで行ったり・・・。髪をいじられるとはそれだけの意味があるんです。

テンプル――
そういえば、同じ人でも、長い髪を短く切ったらサイキック能力が落ちたという報告があったような気がします。

三枝――
髪を短くすると決断が早くなります。だから軍人は髪を短くします。戦場で「撃つか撃たないでおくか」なんてゆっくり考えている暇はありません。一方、イギリスの裁判所などは髪の長いカツラをかぶっていますよね。それは熟慮しています、じっくり考えていますよということを顕しています。

アンテナみたいな役割が髪の毛にはあります。ただし髪の毛先は邪気が溜まりやすいので女性は毛先だけこまめにカットすることをお勧めします。

テンプル――
床屋や美容院以外に、相性が重要だという場所はありますか?

三枝――
直接身体に触れるところですね。整体もそうですね。ただ、ヘアースタイルは目に見えるだけに影響力が意外に長く続きます。だてに「かみ」と言わないんですよ。髪は神ですから。

テンプル――
サンプラザ中野くんみたいに頭をツルツルに剃って髪がない人はどうなんでしょう?

三枝――
彼は頭は剃っていますがサングラスをかけていますよね。サングラスをかけることで自分を追い込んでいるんです。矢沢永吉さんや宇崎竜童さんもそうですが、ロックをやっている人は、ものすごく内向的な人が多い。そんななか、無理矢理自分を出してロックをやっている。皆、台本が必要です。自分を追い込む設定、舞台装置として、服やヘアスタイル、あるいはサングラスで自分を作ってロックをしているわけです。

テンプル――
女性も化粧をすることによって外向きの顔を作っていますからね。

本に書かれている「外経絡(がいけいらく)」という概念がとても面白かったんですが、その外経絡を発見された経緯を教えていただけますか?

※外経絡:人間は身体の外にも、その人特有の気のネットワーク(衣食住、環境、家族、知人、ペットなどの空間、過去、未来の時間も含む)を持っており、それを三枝整体では「外経絡」と呼んでいる。

三枝――
3年日記を書くことによってですね。28歳からずっと書いてきて3年分をまとめて読み返すと、この時期には同じようなことが起きているとか、あの人に会うとこんなことが起きたとか、3年目からだんだん法則があることが見えてきたんです。それがもう30年分溜まっていますからある程度の統計がとれてきています。

人間、同じようなことを繰り返していますからね。10年前からやろうと思っていたことをまだやっていなかったり。人間はどうでもいいことはやるけれど、誰も命じない大事なことはやらないんですよね。それは日記を書いているとよく分かります。

テンプル――
それが外経絡と、どう繋がるんですか?

三枝――
ある法則が見えてきます。この服を着ると変なことが起きるとか。外経絡で内経絡は変わるんです。人間は外側と繋がっているということですよね。人とも時間とも空間とも。

テンプル――
男性の場合は、会社帰りに行きつけのバーで一杯飲んで帰ったり、同僚と新橋に寄ったり・・・。

三枝――
というより、家に帰る前に嫌なことを落として帰らないと碌なことがありません。会社もお芝居、家もお芝居で、一番自分がニュートラルになる場所が居酒屋だったりしますね。イギリスの方が書いていましたが、日本人には精神分析家はいないけれど居酒屋の女将がその代わりをしていると。居酒屋は日本の大切な文化ですよね。「もう飲まなくていいから、いい加減に帰りなさい」と言ってくれる女将なんて他にはいないでしょう。そういう女将もだんだん少なくなってきつつありますが・・・。

テンプル――
次に合気道についてお聞きします。

三枝――
合気道は面白いですよ。人間だけですよ。「おさるのチンチン電車」みたいに真ん中にハンドルがなくても車を運転できるのは・・・。動物は右や左にハンドルが寄った車では運転できません。自分を中心にせず、車を中心に運転する、というのはもの凄い離れ業なんです。

例えばこういう感じです(※と、デモに入る・・・。三枝先生の腕を持ち、動かないように力をこめて立つよう言われる)。

このとき自分を中心に相手を動かそうとすると、こんな感じに相手は動かないわけです。ところが2人の間に「中心」を置いてダンスのように動かすと、もはや抵抗できません(※力をこめて抵抗しても、あっけなく倒されてしまう)。ダンスのようにすると、相手はセコムを解除するみたいに敵対心を解除してしまいます。

テンプル――
それは意識を真ん中に置く、ということですか?

三枝――
自分もここに参加する、ということです。自分中心に相手を動かそうとしないことです。つぎに、自分軸ではなく相手の軸で動いてみる。すると、さらにあっけなく相手が動いてしまうので、まるでやらせのように見えるけれど、やらせではなく、本当に相手が動いてしまうんです。

相手を居着かせるのが合気道。相手が判断保留になると居着いてしまいます。分からないことに対しては居着いてしまうんです・・・。まるで今の日本の国民みたいですよね、分からないから居着くなんて。判断保留状態です。敵と思った人が今までと同じなら、抵抗できるけど、自分の中心にしてくれる敵愾心を感じない相手だと、何がなんだか分からなくて相手の為すがままになってしまいます。

自己中心的な人は合気道ができません。いくら「相手のことを思って」と口で言っても自分を中心に相手を動かそうとするから相手は動かない。先ほど整体についても話しましたが、「相手を治そう」とか「自分が治ろう」ではないんです。合気は相手を「倒す」のではなく、相手が「自らが倒れる」のを導くだけです。

テンプル――
合気道を学び始めるのに年齢はないですか?

三枝――
全く無いですね。死ぬ2日前からでも来て下さいと言いたいです。人間の運動神経はほとんど何に使われているかご存じですか?それは「立つ」ことなんです。まっすぐ立たないと合気道というのは始まりません。バレエもそうですね。

そういった意味でいうと、エドガー・ケイシーさんはすごくキレイな立ち姿ですね。いろんな写真を見るとスーっと天地の中心線が繋がっていますよね。そうでなければ直感は来ないと思います。ケイシーさんの写真を見ているだけで勉強になりますよ。天地が繋がっていますから、ケイシーさんは。違う言葉でいうと人は「見た目」です。見たまんまです。

テンプル――
全身の写真を見ずとも分かる人には分かるんですね。

三枝――
分かります。僕は競輪とか競馬とかを見るのが好きで、競輪なんてルールは分からないまま行った時代がありましたが、競輪場に行っても予想屋の背中だけ見て、その日、良さそうな人がいたらその人の予想で買います。買ったら競技は見ないで、そのまま出て行って喫茶店で本を読んでから、レースが全部終わったら集金に戻るわけです。

テンプル――
株はどうですか?

三枝――
株は、バブル時代は頼まれて預かったお金を倍にしてお返しました。そして、全株は、1989年末にすべて売却しました。翌年の初めから、バブルははじけました。野口先生もほとんど株で生計を立てていた時代がありましたからね。機運とかそういうのは皆感じているはずですよ。人間には察知能力があるから、右に行くべきか左に行くべきか、人は察知しているはずなんです。ところが、みな頭で考えてしまうんですね。頭で考えることなんて過去のデータにしか過ぎません。株の予想はまさに外経絡の話です。株は面白いです。

テンプル――
では次回株を買うときには、ご指南のほど、どうぞよろしくお願いします(笑)。さて、唐突な質問ですが、人間の身体を見つめ続けた三枝先生からみて、人間とはどういう生き物だと思われますか?

三枝――
僕は人の間に外経絡をみるわけです。人間は人と人との間でしょう?人と自然との間でもあります。その関係性によって、最高から最低まで人生の分かれ道ができてきます。だれと関係を結ぶか、その結びを大事にするかでも違ってきます。縁もそうですよね。ほとんど無いに等しい縁を大事に育む人もいれば、濃厚な縁があったのに何も結べず離れていく人もいるし。

人の身体は可能性の固まりです。立つことも歩くことも四つん這いになることも、逆の四つん這いで歩くこともできます。そんなことができる動物は他にいませんからね。いろんな可能性があるからこそ選択を誤るととんでもないことになってしまいます。その選択のチェックは自分の身体に聴く。その方法として瞑想があります。

テンプル――
先生がもし1つだけ健康法を人に勧めるとしたら、どういったことをお勧めになりますか?

三枝――
1つ言うと「冷えは怖い」ということですね。5本指ソックスとか足湯、腰湯などをして身体の中の冷えを取る。もう1つは対人関係ですね。人間関係は1つ間違えると、発ガン性物質になりますからね。発ガン性関係ですよ。

テンプル――
先生は瞑想以外に何かご自身の霊性を高めるようなことを実践していらっしゃるんですか?

三枝――
単純な言い方をすると、できるだけ嫌なことはしない。何かをしなければならない時は義務では行わない。なんとかして「したくなるようにして」から行います。僕は努力が見えると怒ったりします。努力が匂うと嫌なんです。一所懸命やっているから許されるという発想はないです。しかも人に見せるかのように努力をしているのは罪人ですね。うちの会社は「努力禁止令」を出しています。長嶋茂雄さんも見えないところで努力しましたよね。人間は軽やかで楽しくなくっちゃ。

テンプル――
最後になりますが、これからの時代、どのように生きたいと思っていらっしゃいますか?

三枝――
僕はこれまで、気とか「見えないもの」を追っかけてきました。これからは見えるものより見えないもののほうが大きい時代になってきました。放射能の問題も多くの方は見えないから「結果がでるまで動かない」という感じになっていますよね。

例えば死ぬまであと2ヶ月しかないと思えば「今のうち会っておきたい人に会っておこうか」と思いますよね。そして会っておきたい人に会って2ヶ月間を生きるのと、死ぬまで何もしないで生きるのとどっちがいいか。福島の事故からもう1年以上も経ち、猶予期間もありました。自分を励起するためにもこの時間を有意義に使って、ケイシー的な表現を使わせてもらえば、霊性を高めるきっかけにしたいと思っています。

3.11の時は、仕事の合間に帰宅難民になった友人、知人を送っていったりして3日間一睡もしないで動いていました。福島にもすぐに行きましたし、しばらく毎週のように福島まで車で往復していました。僕はミッション(使命感)で動くタイプなんです。58年生きてきて、今、ようやく自分の役目を果たせる時期が来たと感じています。おかげさまで政治家との繋がりもありますし、彼らに働きかけたり、周りの人に自分の知っていることは開示して、少しでも多くの方が生き残れるよう自分ができることはやっていこうと思っています。

今日は素敵なお話をたくさんしていただき、本当にありがとうございました。2012年
インタビュー、構成:光田菜央子

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