自分とは情報で成り立っている

23日の朝、目が覚めた時、ふいに
娘や家族や周りの人たちからのたくさんの愛が浮かび、感謝が込み上げた。じんわりと幸せな気持ちに包まれた。

朝、先生の音源と共に祓詞をあげようと、
イヤホンをつけて始めた時、
自分に対する見方が変わっていた。客観視のような。
点で捉えて、脳内の情報を祓う、という姿勢になり、
その時、意識もすっと変わった。

私ってどんな私が自分なのだろう?

祓いの前になんとなく問いかけたこと。

祓いが始まると、
あらゆる情報によって自分というものが成り立っていること、
情報によって確立させて、自分という存在を守っている自我に気づいた。

それを自分として、『私』というものを確立させておくために、何度も、私だとする概念観念などの言葉を繰り返し、定着させている。
自分というものが消えないように、
他の個とは違う、という認識ができるように、

それに気づくと、変性意識のようになり、すべて祓う、と、淡々と祓詞を出した。
何の力も入らず
真剣というか、言葉を真剣に祓っている感覚
自分の思いはそこにはなく、自分が祓う、という意識もない。

淡々とあっという間に祓詞が終了した。

個の自分とは、実在していなくて、不確かなものなのだなと。
情報概念をぎゅっと掴んで、これが私なんだと、
過去の記憶を固めて自分というものを成り立たせているだけで、
離してしまうと、バラバラになって空になってしまうようなもので、本来掴んでいられないもの。
情報概念、自分というものは脳内のもの。


この時空間を体験するためのものなのだ。


そんなに個の自分に固執したり、一喜一憂する必要もないものなのだ。
してもいいけれどしなくてもいい。
どちらもOK。




美鶴 mitsuru.🙋✨


みんなが、しあわせでいられる場を作って行けたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。