見出し画像

【絵恋ちゃんとぞくぞく海賊パイレーツアーネタバレ】 マジで分かっちゃいました。 14

海賊とは

海賊(かいぞく、英語: pirate)は、海上を航行する船舶を襲撃し、暴行や略奪など航海の安全を脅かす行為をする者のことである

Wikipedia

「海賊」そのものの意味としては、海上で犯罪行為を行う者のことであり、はるか昔から現代まで続いています。海賊の歴史は長いですが、海賊行為は「人類共通の敵」と言われるほどの国際犯罪です。

海賊の黄金時代

1650年から1730年までは海賊の黄金時代と呼ばれ、「キャプテン・キッド」や「黒髭」など現代にも名が残っている著名な海賊もここで生まれます。また、多くの映画や小説などエンタメ作品の舞台になるのもこの時代であり、今回の「絵恋ちゃんとぞくぞく海賊パイレーツアー」(以下、パイレーツアー)の舞台もこの時代をモチーフにしていると考えられます。

『宝島』

『宝島』は1883年に発表されたロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説です。宝探しの旅、✗印の書かれた地図、船上の戦いなどエンタメ作品における”海賊”のイメージを形作ったのはこの作品であると言われています。さらに、パイレーツアーのテーマソングでも使われている「ヨーホーホー」は宝島に登場するキャラクターが歌う海賊の唄に登場する有名な一節です。

死人箱島に流れついたのは15人
ヨー、ホッ、ホー、酒はラムがただ一本
あとは皆、酒に飲まれ悪魔に食われ
ヨー、ホッ、ホー、酒はラムがただ一本

宝島

また、宝島に登場する海賊船の船長ジョン・シルバーは肩にオウムを乗せており、パイレーツアーのオウムはこれをオマージュしていると考えられます。

エレーン船長とエレーン海賊団

※エンドロールに表記はありませんでしたが、エレーン海賊団なのでエレーン船長ではないかとの推測と、区別のため絵恋ちゃんが演じた主役はエレーンと表記します。

パイレーツアーの舞台設定は、宝島の影響を受けていることから海賊の黄金時代であり、オウムというモチーフを携えていることから”本物の”海賊ではなく、ファンタジーとしての”海賊”を表現しているといえます。一方で、宝探しの旅という大筋のストーリーも宝島と一致するものの、エレーン船長とエレーン海賊団のキャラクター設定は、絵恋ちゃんの性別や生い立ち、展開からモデルとなっている実在の海賊が浮かび上がってきます。

アン・ボニー

アン・ボニー

アン・ボニーは実在した海賊の黄金時代を代表する女性の海賊です。100巻を超え最終章に入った『ワンピース』という壮大な物語においても、現在ストーリーの中心になっているのは「ボニー」という名前がつけれらたキャラクターであり、”海賊”を象徴する人物であることがわかります。
アン・ボニーは弁護士の私生児として生まれます。父と妾のメイドとの間の子でしたが、ボニーの出生後は父が離婚し、ボニーの母親の女性とともに暮らしたため、裕福な暮らしをしていました。しかし、ボニーはやんちゃで、父が良い縁談を探している間に若い船乗りと結婚。さらには海賊と不倫し、その海賊と駆け落ちして自身も海賊になります。そして、駆け落ちした2年後の1720年に捕まり、死刑宣告を受けますが、妊娠していると訴えたり、弁護士である父の影響で処刑を逃れ、その後の消息は不明となっています。

絵恋ちゃんはイベント等で話している通り、政治家の孫であり「実家が太い」と公言するほど裕福な家に生まれています。そして、普通ではない「アイドル」という生き方を選んでおり、アイドルを海賊に置き換えたとき、アン・ボニーとの共通点が見えてきます。また、今回の物語では終盤にマイクの悪魔に連れ去られたエレーン船長が消息不明になっているという点でも一致が見られます。

さらに、アン・ボニーは私生児であるという出生の曖昧さや、処刑を免れたあとの消息が不明であったり、そのキャラクター性などは海賊の伝記集『海賊史』に唯一記されていますが、これはかなり脚色があるらしく、虚実があいまいな人物像となっています。絵恋ちゃんもアイドルという現実なのかファンタジーなのか曖昧な存在であり、エレーン船長のモデルがアン・ボニーであるのはしっくりきます。もちろん絵恋ちゃんはアイドルなので、不倫して駆け落ちはできず、攫われたという形になっていますが。


わがります

ジョン・ラカム

エレーン船長のモデルがアン・ボニーであるならば、エレーン海賊団はアン・ボニーのいた海賊団ということになり、それは駆け落ち相手である「キャラコのジャック」ことジョン・ラカムの海賊団になります。

ジョン・ラカム

そして、エレーン海賊団がジョン・ラカムの海賊団であることが、エレーン船長のモデルがアン・ボニーであることをさらに裏付けてくれます。
物語の中盤、エレーンちゃんの乗っていた海賊船が敵船に襲われます。その際にピギャラフたち海賊団のメンバーは戦わず、さらには船長は逃げ出してしまいます。しかし、エレーンちゃんは一人奮起し、敵船と戦います。

実はこれは本当に起きた出来事です。

1720年末にアン・ボニーが捕まりますが、このときジョン・ラカムの海賊団は、ジャマイカ総督からの命を受けたジョナサン・バーネット船長に追い詰められ、攻撃を受けます。その際に、ジョン・ラカムと乗組員たちは船底に逃げ込んでしまい、甲板にはアン・ボニーと親友で同じ女海賊のメアリ・リードだけが残され、二人で激しく抵抗したとされています。

さらに、戦闘シーンの描写で「そこ!面舵いっぱいで敵船の後ろに回り込んで。」という描写がありますが、ラカム海賊団は『そのすばしっこさゆえに各国の海軍はなかなか捕えられない厄介な存在であった』とあるように、機動力に定評のある海賊団でした。この戦闘シーンではその要素を表現しており、ここでも裏付けられます。

実際にはここでアン・ボニーもジョン・ラカムも捕まってしまいますが、パイレーツアーでは敵船を退け、エレーンちゃんが船長となり、エレーン海賊団が誕生します。ここは史実と異なりますが、ジョン・ラカムの海賊団がモデルであるもう一つ大きな裏付けがあります。
ジョン・ラカムの海賊旗はドクロの下に”カットラス”(海軍専用の剣)をクロスしたデザインとなっています。通常の海賊旗であれば骨をクロスしたものになるはずです。しかし、エレーン海賊団の海賊旗も同様にクロスしているのは”カットラス”です。つまりこれは、船長であったジョン・ラカムからエレーンちゃんに船長が変わったことを象徴するデザインとなっており、エレーン船長のモデルはアン・ボニー、エレーン海賊団のモデルはジョン・ラカムの海賊団ということを示しています。

海賊旗比較

”海賊”と”アイドル”のリンク

アン・ボニーがエレーン船長(=絵恋ちゃん)のモデルであるという点から、この物語においてはアン・ボニーの属性である”海賊”と絵恋ちゃんの属性である”アイドル”がリンクする形になり、海賊を通してアイドルを表現していると考えられます。

ピギャラフ「船長が逃げちまった。おれたち、これからどうすれば?」
エレーンちゃん「うん、わかってる。エレーンが船長になるよ。海賊のみんな、エレーンの歌を好きだと言ってくれたし、今となっては家族みたいなものだよ。次はエレーンがみんなを支えたい。もうけっこう死んじゃったけどさ。他界せずに残ってくれたみんなを幸せにしたい。」
ピギャラフ「ようし!そうと決まれば、おれたちはエレーンちゃんについていくのみだ。野郎どもよく聞け!これからはエレーンちゃんが俺たちの船長だ!」
エレーン船長「みんな、いいよね?海賊歌姫にエレーンはなる!」

本編より

船長になったエレーンちゃんは海賊歌姫を目指します。海賊=アイドルであるならば、”アイドルであり、歌姫を目指す”という宣言と捉えることができ、これが後の展開に関係してきます。

いい海賊とわるい海賊

歌姫の黄金マイク『イエロー・トルマリン』を守るマイクの悪魔に襲われた際にこういった会話があります。

マイクの悪魔「このマイクの持ち主は海賊に捕まり、一生故郷に帰ることはなかった。自由を奪われ、最後まで海賊を呪いながら死んでいったのだ。だから、海賊がこのマイクを手に入れられることなど決してない」

エレーン船長「そんなのひどいよ。確かに、わるい海賊はいる。でも、いい海賊だっていっぱいいるんだよ。現にエレーン海賊団のみんなはいい人だもん。ね?みんな?」

本編より

海賊稼業が盛り上がりを見せた一因に「私掠船」があります。私掠船とは、国から敵国への海賊行為を認められた海賊船です。これは自国から見れば敵国を倒してくれる”いい海賊”ですが、敵国にとっては本当にただの”わるい海賊”です。一方、ここでいう”いい海賊”も、奴隷貿易や密輸で稼ぎを得ていたりと、やってることはやっぱり海賊で、海賊は海賊なのです。

海賊=アイドルですが、エレーン海賊団のモデルもラカム海賊団であることから、少し範囲を広げて海賊団=アイドル現場という見方もできます。アイドル現場の中で”いい”・”わるい”という話もありますが、外から見たらアイドル現場はアイドル現場で平等におかしな世界なのでしょう。

記憶を失ったエレーン船長

マイクの悪魔に歌姫であること認めさせるも、マイクの悪魔はエレーン船長が海賊であるゆえに、歌姫の黄金マイクを渡すことを拒みます。そして、エレーン船長の記憶を奪います。

マイクの悪魔はエレーン船長を歌姫と認めていますが、海賊を認めません。このことから、このときに奪われた”記憶”というのは、エレーン船長が目指していた海賊歌姫の”海賊”の部分を奪われたことになります。つまり、”アイドル”を奪われています。
そして、エレーン船長は消息を絶ち、エンドロールが流れます。

『仮舟のカンタータ』

エンドロールとともに『仮舟のカンタータ』という曲が流れます。
タイトルに「舟」と入っており、歌詞にも「船長」「舵取り」「奴隷」「呪われた」「唄」「首飾り」など、海賊を連想させるワードが入っていますし、今回のパイレーツアーで初披露となっているため海賊をテーマにしていると考えられます。

全体的にダークな雰囲気の曲で歌詞も「殺めた奴隷の諢名を 酒に混ぜ 今宵は幾度酔おう?」など、暗くて怖い表現が多くなっています。海賊という観点であれば、非情な”わるい海賊”たちの唄に聞こえます。しかし、この曲を歌っている人は海賊たちの愚かさを皮肉っているように聞こえるので、海賊たち本人ではなく、海賊達を近くで見ていて、憎んでいる人なのではないかと思われます。”わるい海賊の近くにいて” ”憎んでいる人"と考えると、「自由を奪われ、最後まで海賊を呪いながら死んでいった」と言われる初代歌姫の歌なのではないでしょうか。

一方で、海賊=アイドルであり、絵恋ちゃんが作詞していることを考慮してメタ視点でみると、かなり現実的にも重い曲になります。
「殺めた奴隷の諢名を 酒に混ぜ 今宵は幾度酔おう?」
”諢名”はあだ名で、アイドルは芸名や愛称で呼ぶことが多く、さらにツアーが始まる前のトークイベントで絵恋ちゃんが「我々は酒だ」という話をしていました。そうすると、”殺めた奴隷”は誰なのか。殺めたのも誰なのか。そして、”奴隷”は「どれい」ではなく「ひと」と歌っています。また、これは1番のサビの歌詞ですが、その前に「踊るタロットで 船長がターン」という歌詞がありますが、この”船長”は「かのじょ」と歌っています。

「つかむ縄につかまれ がんじがらめ」
「優雅なデカダン」
「もがいて 叫んで 全部盗られても」
「可愛い奴隷に逢おう ロマン知らずピカロ」
「カンタ・ランタン 呪われた」
「恋した奴隷は変わり果て 首飾りになって」

仮舟のカンタータ

全部書くのは避けますが、考えることが多すぎますね。
これはただの感想ですが、絵恋ちゃんがいなくなってこの曲が流れたので、もう"おしまい"なのかなと思いました。

エレーン海賊団の復活

色んな意味で”おしまい”の曲が流れましたが、再度復活したエレーン船長が登場します。

かなり年月が経っている様子だったので、エレーン船長の子孫というのも考えました。海賊といえばディズニーランドのカリブの海賊が思い浮かびますが、カリブの海賊を案内してくれるキャストは海賊の子孫という設定だそうです。なので、そこをオマージュすると子孫というのもあるのかなと思いました。(すいません、これは最近知った披露したいトリビアでした)
しかし、

エレーン船長「あれ?なんだかお前見たことあるような?ピギャラフって名前じゃない?」

本編

というセリフから、子孫ではなく本人であることがわかります。記憶を失い、アイドルを形作るオタク(海賊団)を失っても、エレーン船長はまたゼロから海賊団を作り上げ戻ってきたのです。
以前、小日向由衣さんとのトークイベントで「客席が全員無表情無感情のかぼちゃになってしまったらどうするか」といった話題になった際、小日向さんは「その人たちの前じゃ歌えない。ちゃんと顔を見て感想を言ってくれる人たちの前で歌いたい」という回答で、絵恋ちゃんは「かぼちゃにも感情を芽生えさせてみせる」といった回答でした。
(ちょっと意味不明な話題ですが、この話の詳細は以下のインタビューで・・・)

オタクがゼロの状態からでも絵恋ちゃんがいれば何度でも現場を作れる。もし今のオタクがいなくなってしまっても、絵恋ちゃんが続けている限り絵恋ちゃん現場は続く。今いるオタクからしたら少し寂しさも感じますが、今回のこのシーンはそういったスタンスや覚悟の提示なのかなと。普段から「何年後でも来たいと思ったときに来てくれればいい」といったことを話してるように、支えなきゃ!と無理しなくてもいいんだよという優しさにも感じます。
その上で披露された『イエロー・トルマリン』は、『仮舟のカンタータ』のような未来や状況を受け入れた上での覚悟の唄に聞こえました。
(この解釈も期待なので、縛りとなる呪いかもしれませんが)

『劇画・絵恋ちゃん』と『ぞくぞく海賊パイレーツアー』

絵恋ちゃんが消失してのエンドロールは『劇画・絵恋ちゃん』を彷彿させます。

しかし、比較してみると、この2つの作品では絵恋ちゃんが戻ってくる流れが異なります。
『劇画・絵恋ちゃん』では、「一人でも来てくれる限り、アイドルやり続けるからね」というセリフから、オタクが誰もいなくなった結果、絵恋ちゃんとしての役目を終えて消えてしまいます。しかし、オタクは遅れていただけで、あとからオタクが来たことで絵恋ちゃんが復活します。
一方、パイレーツアーでは、絵恋ちゃん自らの力で再度オタクを獲得することで復活します。そうすると、同じ演出ですがこのシーンから伝えたいことも変わってくるのかなと

  • 『劇画・絵恋ちゃん』

    • アイドルを継続する上で応援してくれる人たちの重要性

  • 『ぞくぞく海賊パイレーツアー』

    • どうなってもアイドルを続ける姿勢

という形で、外に向けてのメッセージか、自分の在り方を表明するメッセージかに違いがあると思いました。

「海賊」と「アイドル」

海賊が発展した背景として私掠船もありますが、カリブ海の島々は欧州の植民地であっため、各島々は本国の影響を強く受けます。また、欧州各国が激しく戦争をしていた時代なので、支配国がコロコロ変ったり、本国が追い詰められると植民地への支援がなくなり物資不足に陥ることになりました。そうなると自分たちで物資を得なければなりませんが、隣の島は敵国であり公に貿易もできませんし、いつ攻めてくるかもわからない。そうしたときに、物資や資本を得たり、島を守るための軍事力として頼ったのが海賊でした。植民地総督は海賊がもたらした盗品や密輸品が合法の市場に流通することを許していましたし、必要に応じて私掠船として海賊を雇っていました。不安定な世の中に対して必要とされたのが海賊という存在だったのです。

アイドルは「心が弱ってるときにアイドルにハマりやすい」とも言われ、何もすがるものがない、頼れる人もいないという状況で、自分を保つためにアイドルを必要とする人が多くいます。
不安定な状況でなんとか成り立たせてくれる存在として、「海賊」と「アイドル」には類似性があるように感じました。

海賊から考える人生

海賊という生き方

これを読むと、家族ももたず、仕事より現場を優先したり無職だったりと社会を捨ててるようなアイドルオタクというのは海賊に近いしいものを感じます。

オタクという生き方

しかし、これはあくまでこの歴史家の表現であって、実際にどうだったかというと、この言葉とは裏腹に結婚して家庭を持っていたり、地域社会と密な関係を築いていたり、社会的地位の高い人も多くいたそうです。特に家庭を持っている人たちは多く、それはなぜかというと、先程書いたように不安定な世の中で合法の職につけなかった人たちが、家族を養うために取れる手段が海賊しかなかったためです。とはいえ、アン・ボニーなどぜんぜん海賊になる必要がないのに海賊やってるような人もやっぱりいて、まぁほんとに色んな人がいて、それがみんな海賊をやっているというのはアイドルオタクと一緒かもしれません。

1650年から1730年の海賊の黄金時代、それは自分や家族がよりよい生活をするため、よりよい人生を送るために「海賊」という選択肢が身近にあった時代なのかなと思います。しかし、記録に残ってるような大海賊たちの最後は無法者らしく、処刑されたり仲間に裏切られたり獄中で病死したり、ろくな死に方をしてないことが多いです。それは海賊という選択をした当然の帰結ですし、選択の代償は自分に返ってくるという単純な話だと思います。ただ、その選択のおかげで後世まで名が残り、生存中は巨万の富を築きました。
選択肢には良いも悪いも正解も不正解もなく、ただ選択して生きていき、その責任は自分で負うというだけなのでしょう。

次回

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?