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トリエステ発ミステリートレイン

イタリアの電車はアナウンスもなく黙って発車します。
それも時刻通りではなく30分や1時間遅れなどざら、
時には予定の列車を一本飛ばしたりすることもあるので、
ちゃんと乗車するまで気が抜けません。
しかし遅延であれ運休であれ表示されていれば幸いというもの。
あの時トリエステで起きた1件は、未だもって何だったのか
謎のままなのです。

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ミステリートレイン〜 IL TRENO MISTERIOSO
2007年冬

トリエステに行ったのは初めてでした。クリスマスも近いある週末、
友人のマルッツァがトリエステで過ごすから一緒に行かないかというので、それならばと便乗することにしたのです。
ただし私たち夫婦は、翌日先約の予定が入っていたため、その日のうちにヴェネツィアに戻らねばなりません。トリエステはヴェネツィアから
電車で2時間ほど、やや慌ただしい日帰り旅行です。
急遽思いついて出かけたので、いつもなら念入りにする時刻表の下調べを
しておらず、トリエステの駅に着いて、まずは帰りの電車の時刻をチェック
して手帳にメモしておきました。
最終便は思ったより早く午後9時15分発、11時過ぎにヴェネツィアに着く
急行でした。切符は往復で買ってあるので(これは大事なポイント)
9時に駅についていれば、余裕で間に合うはずです。

トリエステは初めてという私たちが同行することは、マルッツァが
地元の友人たちにあらかじめ伝えてあったようで、先々で名所や名物を案内してくれる段取りになっていました。
いつもながらありがたいホスピタリティーです。
冬のトリエステといえば、山からの強烈な北風BORAボラが吹き荒れるので有名ですが、この日は12月にしては珍しいほどあたたかく、アドリア海も
鏡のように穏やかでした。
同じく海の都市ではあるけれど、オーストリアの領地だったトリエステはヴェネツィアとはまた違った趣きで、世界一美しいと言われる広場や
威風堂々とした町並みは、神々の黄昏ヴィスコンティ的哀愁が漂って
いました。
ILLYの本拠地でもあり、カフェ文化の盛んな土地柄だけあって、あちこちに由緒正しい美しいカフェがあります。トリエステの名物はチョコラータ。
スノッブな雰囲気のカフェに入り、本格的なチョコラータ・フォンダン
(濃厚な飲むチョコラータ)で体をあたためます。
ハプスブルグ家の海の別荘だったミラマーレ城、中央広場のナターレの
屋台市、魚市場を改装した美しいガレリアで開催されていたソットサスの
展覧会(直後にソットサスが死去したためそのまま回顧展になってしまった)など、きっちりと観光して夕刻にアドリア海随一のヨットハーバーに
辿り着きました。

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今宵はここの格式あるアドリア海ヨットクラブで、年度末の表彰式を兼ねたナターレのオフィシャルパーティーがあるということでした。
バンケット会場を覗くと、すでに純白のクロスに銀器とクリスタルのシックなセッティングのテーブルが整然とゲストを待っています。
午後8時をまわる頃には、フォーマルな装いのヨットクラブの会員たち
が三々五々集まり、ラウンジでアペリティーヴォが始まります。
きらびやかではないものの、古きよき時代の伝統を受け継ぐ本物の
ハイソサエティの雰囲気を感じます。何といっても我らがマルッツァは
ヴェネツィアの貴族ビアンキ・ミキエル伯爵家の娘で、招待客のひとり。
彼女の紹介で、実は私たちも出席できたのですが、宴が始まるのが午後9時なので、とても最終電車に間に合いません。涙をのんでアペリティーヴォ
だけで会場を後にすることにしました。

マルッツァの友人のティティアナが車で送ってくれて、駅に着いたのは
8時40分でした。ここで私はちょっとしたミスをしてしまいます。
電車の時刻を9時半と思い違いして、まだ十分時間があるからと
駅近くのピッツェリアで小腹をふさぐことにしたのです。
はじめに店の主人にあまり時間はないと説明し、ビールとピッツァを注文
して着席。すぐに運ばれて来たビールを飲みながら、おもむろに手帳のメモを確認してびっくり。発車まで後15分しかない!
慌てて事情を話し、急いでピッツァをテイクアウト用の箱に入れてもらい、支払いを済ませて駅へ走りました。
ところが何番線かを確かめようと発車時刻の掲示パネルを見ても、
該当するヴェネツィア行きの表示が見つかりません。
というか、まだ9時ちょっと過ぎだというのに何故か案内窓口も閉まって
いて、構内はまるで深夜の気配、乗客どころか人気すらないのです。
プラットフォームに出て見渡しても、それらしき電車は見当たりません。
ない!ない!ない!ピッツァの箱を持ったまま右往左往しているうちに
予定時刻の9時15分はとっくに過ぎてしまいました。
ピンチか?と焦っていると、さっきから奥の番線にじっとうずくまるように停まっていた古びた大型列車から、今どきあまり見かけない古風な憲章の
ついた制服姿の車掌が降りてきました。やっと見つけた人影にかけ寄り、
「ヴェネツィア行きの電車はどこ!」と急込んで尋ねると、向こうも
目を丸くしながら、その暗い青色の列車を指し、とにかく乗れ!という。
訳もわからず押し込まれるようにして乗り込むと、間髪入れずに列車は
動き出しました。

さてこの列車、コンパートメントつきの長距離列車のようでした。
おそらくオーストリアかどこかもっと遠方からやって来てトリエステで
時間調整していたものと思われます。
薄暗い個室には大きな荷物を持った乗客がちらほら、中にはすでに
眠り込んでいる人もいます。
随分古めかしく時代がかった雰囲気で、何だかタイムスリップしたような
奇妙な感覚にとらわれます。本当にヴェネツィア行きなのか半信半疑な
ままですが、もう乗ってしまったのだから仕方がありません。
座席についてもぐもぐ冷めたピッツァを食べていると、さっきの車掌が
検札にやって来ました。
timbro(イタリアでは乗車前に自分で切符を改札機に通すのがルール)していないのでおそるおそる切符を出すと、ラッキーなことに、たった1.6エウロの追加料金を払うだけで、特急列車でヴェネツィアに帰れることが判明。
そう思ったとたん疲れがどっと出て、ふたりとも爆睡してしまいました。

目が覚めたら、ちゃんとヴェネツィアに到着していて、キツネにつままれた
ような気分。しかも夜更けのサンタルチア駅は煌煌と明るく、まだまだ
人通りも多く賑わっていました。
まるで遠くハプスブルグ時代から現代に戻ってきたみたいです。
トリエステの幻影のようなあの列車は、まさにミステリートレイン。
これだからイタリアはやめられないのです。

そして翌日はいつものように

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翌朝、起きるなり「昨日のトリエステはどうだった?」
と例によってマンマの質問攻めにあう。トリエステで見たものすべて、
そしてもちろん帰りの列車の顛末も逐一報告しなければなりません。
カフェの香りが漂う朝のキッチン。懐かしく幸せな思い出です。


デザイナー、美術家、料理家。イタリアはヴェネツィアに通い、東京においても小さなエネルギーで豊かに暮らす都市型スローライフ「ヴェネツィア的生活」を実践しています。ヴェネツィアのマンマから学んだ家庭料理と暮らしの極意を伝えます。