見出し画像

いろいろな形の千羽鶴

千羽鶴というと、最近は「意味がない」「もらっても困る」もの扱いで、はなはだ評判が悪い。

少なくとも江戸時代から続く伝統のようであるが、広島(被爆者佐々木禎子の延命祈願)のイメージが強いので、左翼的で戦後民主主義的な(つまり「欺瞞的な」)アイテムの象徴のように「思われている」。それゆえの右翼現実主義の側からの反発が昨今の千羽鶴批判の要諦であるように思われる。

私はその批判が正しいのかどうかは分からないしそこに興味はない。ただ、「私たちは〈広島〉の磁場に引きずられることで、今まで千羽鶴のポテンシャルを十分に組み尽くせていなかったのではないだろうか」という問題提起に変奏することは可能だとしたら。現代において千羽鶴の力を最大限発揮させるためにはどうすればよいのか。

私はコロナ禍に入ってからしばらくの間「1日1羽」鶴を折ってきた。さすがに1000羽はいかなかったが、計200羽は折れたと思う。

折った鶴の一部

今回「糸で綴じて束ねる」のではない千羽鶴を作ることで、千羽鶴の新たな可能性を探索する。もとより、折り紙はもちろん芸術一般の才無き人間の思い付きに過ぎないが、硬直した「千羽鶴業界(そんなものがあればであるが)」の一助になればうれしい。


1.乱交

うらやましい

鶴のケツ穴に糸ではなく、他の鶴の尾を差し込んでいき、鶴同士を連結させていく。不安定なので、倒して保管しなければならないのがネック。クンニ(ケツ穴にくちばし)もあり。

差し込む

2.組体操

かっこいい

鶴の羽をホチキスで止めて、円を作る。5羽で作った円の上に、4羽で作った円をのせ、その上に3羽で作った円をのせ・・・、テッペンは1羽。
組み体操に代表される学校行事は、「円」という調和を生み出すために、生徒の「羽」の自由を奪っているのではないかという社会批評が含まれている。

3.いらなくなったら捨てられる

使い捨てなのは人間も鶴も同じ

糸を通して纏め上げられ、最後は火葬してもらえるのが「上流鶴」
遊び終わったらゴミ袋に入れられて、燃えるゴミに出されるのが「下層鶴」


「お父ちゃん、お母ちゃん、みんなありがとう。」

佐々木禎子の最後の言葉



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?