人生の意味とは

人生の意味を考えている人は多いと思う。しかし、その答えを見つけている人は稀だ。それはなぜか。そもそも人生の意味、という言葉が曖昧すぎるし、言葉そのものが絶対的なものではなく、漠然と空間を埋め尽くす靄のようなものだからだ。

言葉とは人工物だ。人工物ではあるが、言葉に人類は絶大な信頼を置いているし、これがばければ人々は暮らしていけないだろう。人々が言葉に絶大な信頼を置いているのを示す例がある。例えば、”死ね”という二文字。これを言われた相手は顔を真っ赤にして怒るだろう。もしくは涙を流して傷つくだろう。この言葉はとても相手を傷つける言葉なのだが、”しね”という二つの音にそう言った意味があるのではなく、その音を聞いた人間がそう言った意味が含まれているのだと解釈するのだ。その言葉自体には意味がなくても、それを解釈する人間側がそこに意味を見出している。

映画、小説、漫画などなど。エンタメと言われるものは全て人工物であるのだけど、みんなそれを見て怒ったり、涙を流したり、喜んだり、笑ったりしている。以上からわかるように、人間は自分たちが作り出したものに対して、こんなにも本気で接するのだ。

何が言いたいかというと、人生の意味なんか分からなくても、自分で作ってそれを信じ込めれば、100年ぐらいは本気で縋れるということだ。人生の意味が、たんぽぽのように道端に咲いているわけでもなく、太陽のように空を見上げればいつもあるのではなく、自分で作りだすものだと思う。それを、自分で作ったから、自然と見つけられなかったから、と意気消沈するものではない。みんな自分で作ったものに本気で接する、ということは日常茶飯事でやっている(少し日本語がおかしいが許して欲しい)。人生という百年ぽっちの時間なら僕らは意味をでっち上げてそれを信じることができるんだ。

これを誰かに言いたい。今、人生の意味とかに悩んでいる人がいたら届けたい。これを見て少しでも楽になれるといいな。ちなみに私は人生の意味を特に考えていない。自分の今抱えている問題があって、それを解決しようとしている。やりたいことがあって、それをやろうとしている。ただ、それだけ。

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