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拝啓自分自身へ

日本でこういうことを言うと「ナルシスト」だ「キモい」だ言われるので誰にも言ったことがないんですけど、私は私が大好きです。本当に。
でも昔からずっと自分が好きだったわけじゃないし、細い子とか可愛い子とか見たらああなりたいって思う。
世の中で私以外のみんなブスだとか、私が1番だとかそう意味じゃなくて本当にただ単純に私は私が好き。
それだけ。

こう思い始めたのは多分高校生の時
私は顔にアレルギーを持ってるし人工的になにかしなきゃ人並みに綺麗な肌なんて手に入れられないの。思春期ニキビが終わる時期になっても肌荒れは酷くて、そんな自分の顔が嫌で嫌いで仕方なかった。吹奏楽っていう人前に立つことをしてるのにブスでデブでホンマにどうしようもない人間やなってずっと思ってた。そんな時中学生の時にめっちゃ聞いてたバンドの曲をもう1回聞いたんよ。「可愛いの基準は人それぞれ」そんなことを訴える4人の女の子たち。変わってると思ったけど頭から離れなくて気づいたらハマってた方達。それからかな「自分は自分でしかない」って思うようになったのは
ある日鏡を見て思った

「一生この顔と付き合っていかなあかんのか、じゃあ好きになった方が人生得じゃね?」

この日の自分にはすごく感謝している。こんな性格だから虐められることだってあった。でも「私は貴方にないものを持ってるし、貴方も私にないものを持ってる。羨ましいよね〜流石に、そら虐めたくもなっちゃうよ、クラスという箱に一緒にいれられなきゃ一生交わることの無いような人種だもんね私達」とか思ってたよね。性格悪いな〜笑
聞こえてるとこで悪口言われたりしたよ。でもこれで不登校になってみ?あんたの思うツボでしょ、意地でも行ったんねんって
良かった笑怖いもの知らずの鋼のメンタルで
あんたにも感謝しなきゃね。おかげで強くなれたよ。ありがとう。

つまり何が言いたいって「なりたい自分になればいい」ってこと。着たい服着て、好きな髪型にして、メイクして、しないという選択もあるよね。ありのままがいいとか。「人間変わろうと思えばいつでも変われるのになぜ変わろうとしないの?」みたいな言葉あるけど、その本質って「変わりたくない」がどこかにあるからじゃないかな。服みたいに着飾るものとか、気持ちみたいに内面的なものとか形は色々やけど多分人それぞれ好きなものって何かしらあると思う。だから自然となりたい自分になってると思う。それがある人から見たら理解されにくいことだってあるやろうけど、それでも変わらないのはどこか変わりたくなくて、今の自分に満足してる自分がいるからじゃないかな。それでいいと思う。本当に。
私は今の自分が好き、いや大好き
去年から変わったこともいっぱいあるしずーっと変わってないとこもある全部含めて今なりたい自分になれてる。それだけで人生幸せよね
1度きりやねんから楽しまんとやね


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