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春と日本語と私

皆様こんにちは!
フンコロ、、あ、有限会社美礼です。
いつもありがとうございます。

つい先日、春分の日を迎えましたね。
春眠が心地いい季節の訪れです。
「春眠」なんてワードだけで春の訪れを感じさせられるところは
日本独特だなぁ、なんてしみじみ思いながら春の陽気に眠くなる近頃です。

一人称が英語で言うところの「Ⅰ」だけなのに対し、私、僕、俺、あたし、わい、オラ、某、、とたくさんの種類がある日本語。
日常にありすぎるせいでついつい忘れてしまいがちですが、日本語に触れられるというだけでもこの国に生まれた利点になると思えるほどさまざまな言葉達で溢れています。

四季折々を表す言葉。
相手を傷つけないように察してもらうための京言葉。
他地方では全く伝わらないこともある方言。
これらを感じるだけでも本当に日本に生まれてよかったと思うのです。

ただ、こんなにも言葉達が溢れた日本だからこそ気をつけなきゃいけないこと。

言われないことの品性は、言われたくないことを想像できる知性
何を言うかではなく、何を言わないかが品性

大人になってからふと目にとまった言葉ですが、今では常にこの言葉が頭の片隅にあります。

「あ、今の言葉キツかったかな」
「言いすぎたかな」
「言ったこと自体間違いだったな」
なんていう会話中のトラブルや失敗。
誰しも一度はあると思います。

伝えるべき言葉と、伝えなくてもいい言葉の選択を間違えて相手を傷つけてしまったこと。
言われた側の配慮ができずに軽はずみな言葉を伝えた場合は、想像力の欠如によるものです。
相手は笑って聞いてくれる場合もありますが、「笑顔」と「傷ついてない」はイコールじゃありません。
自分では軽はずみなつもりでも受け取る方はずっと記憶に残り続けます。

なんて偉そうに語っていますが、私自身、言葉をうまく扱えているかと聞かれると自信をもって頷くことはできません。
この世に生まれ言葉を発し始めて何十年と経ってるのにも関わらず、言葉の伝え方に迷うことは日々あるのです。
その度に本当に言葉は難しいなあ、なんて心底思います。

遺族に寄り添う私達の仕事だからこそ、自ら出す言葉を大切に、知能は高くなくとも知性は待ち合わせる大人でありたい。
そんな理想の大人像に近づくべく、今日も私は息子に放とうとする放送禁止用語のオンパレードをそっと飲み込み、やっぱり無理だと大声で放ちます。

🌸平和な日本の春です🌸


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