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コロナのころに


 コロナという名前が浸透して、早いもので4年がたった。は、早すぎる。それまではコロナと言ったらビール、それからチョコクリームの入ったパン(それはコロネ)、それからそれからクリームの入ったお菓子(それはコロン!)だった。今ではいろんなものに接頭語としてコロナがつくようになった。

 小説でも、小説以外でも、コロナが登場するもの何冊も読んだ。ということは、コロナ禍に作家さんは仕事して、本を世に送り出してきたのだ。マスク屋さんやアクリル板屋さんは、急に需要が増えて大忙しになった、はず。そして、いつの間にやら世間はキャッシュレス。その間、私は何をしてきたのかというと、毎日ただ生きてきた。決して食っちゃ寝、食っちゃ寝してた訳ではない。


 自粛期間以外は、普通に出勤して仕事をしていた。リモートワークやオンライン授業など、未だ未経験なのである。我が家で唯一、私だけが未経験である。あー、リモートワーク、オンライン授業してみたい。毎日、電車に乗り通勤し、ご飯を作って洗濯をする。もう一度言う、毎日食っちゃ寝、食っちゃ寝している訳ではない。

 そう、相当な自堕落な生活をしていた訳でもないのに、驚くことに、この4年で二の腕と下腹のお肉のぷよぷよ感が増し増しなのだ。大した不摂生はしたつもりもないのに、なぜだ。この4年に何が起こったのか。新陳代謝の低下と重力に抗えなくなったタイミングがコロナに、重なる。そうか、これもコロナのせいだったのか。これが、コロナ太りというやつだ。こんなところにまで影響しているとは。ただ太っただけでも、コロナ太りなんて名前が付いて。そうです。太ったのはコロナのせいなんです。(新陳代謝の低下と重量に抗えなくなったのは、加齢との説もあり。)合ってるか?

 さて、コロナで忘れられない光景がある。

 マスクが店頭から消えていた時期は、子供達の学校もお休みになっていた。暇になった当時男子高校生の次男、お友達と2人して、朝早くからドラッグストアに並んでいた。マスクを調達するがために。なぜだ、なぜそんな事をするためには早起きができるのだ。いつも何度も起こされてようやく起きるよりも1時間も早く起き、そそくさと6時に出かけて行く。Switchとアウトドア用の椅子を持って。

 私は通勤のため駅までの道を回り道して、ドラッグストアの横を通って様子を見てみる。いるいる、開店待ちの行列が。おじいさん、おばあさんの行列が。

 先頭にはおじいさん、2番目には折り畳みの椅子に座る高校の部活ジャージの男の子。高校名からすると、息子の友達だ。すると、3番目の椅子に座っている、ラクダ色、もといキャメル色の、世のおじいさんの1/2が着ていそうなジャンパーを着ているのが、息子なのか?見たこともないジャンパーだけれども。

おそるおそる近づき、声をかけてみるとやはり我が息子。

 すると先頭のおじいさん、「あ、お母さん?寒そうだったから、俺のジャンパー貸したから」「え、あ、ありがとうございます」とだけ答えて私は出勤するため駅へ向かう。

 その後は店員さんが出てきて「今日はマスク3箱です」と告げる。

 先頭のおじいさん、息子の友達、息子が残り、列の後ろの人たちは次のドラッグストアへといそいそと移動する。おじいさんと息子たちが、「やったな」と目配せするのが目に浮かぶ。

 マスクを買うために、非接触のような接触のような、今はもう懐かしく笑える光景である。

 そして次男は帰宅するとまた就寝するのである。


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