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ロスアンジェルス暴動 #6(最終回)

 4月29日から始まったロスアンジェルス暴動は、6日後の5月4日に終わりを迎えた。

メディアのパワー

 「トラブルメーカーの暴徒を逮捕し、我々は状況を支配した。暴動は鎮静に向かった!」

 ロスアンジェルス警察が発表した。
 逮捕者の51%がヒスパニック、36%がアフリカンアメリカン(黒人)、女性は12%だった。
 そのうち3割以上が証拠不十分で釈放、多くの殺人が未解決のまま終わった。

 ヒスパニックが51%?
 実は、1970年代以降、黒人は警察官のハラスメントから逃れるために、他の町へ移り住み、サウスセントラルには、ヒスパニックやアジア人のギャングが増えていた。
 ワッツ、クレンショウ、ミッドシティなど、いくつかのエリアを除いて、ヒスパニックの比率が黒人より多い状態だった。

 暴動はそれぞれのコミュニティーで起きた。
 映像を見ると、略奪している人の多くがヒスパニックだ。

 けれども、世間の人々は、「暴徒の大半は黒人」というイメージを抱いた。
 暴動の発端がロドニー・キング事件の判決だったこともあるけれど、メディアが黒人にフォーカスして報道したことが原因だ。

暴動後のサウスセントラル

 LA暴動の後、5月4日には学校や仕事が再開された。
 けれども、職場は破壊されたり、燃やされたために、何千人もの人々が職を失った。
 ロスアンジェルス市は、

 「復興のために60億円の予算を立て、次の5年間で7万4千人の雇用を実現する!」

 と発表した。

 「ロスアンジェルス警察は、このエリアを統制し、サービスを提供できるシステムを確立する。
 できる範囲で復興やクリーンナップもサポートする」

 ボソボソと答えたのは、ロスアンジェルス警察チーフのダリル・ゲイツだ。
 彼は、この暴動での対応の悪さ、遅さに対し、世間から激しい批判を受けていた。
 彼の頭の中には、この状況を耐えしのぎ、6月の定年を無事に迎えることしかなかった。

 クリプスとブラッドのギャングは団結し、サウスセントラルをひとつのコミュニティーに作り上げる!と盛り上がった。

 とはいえ、そう上手い具合に物事は進まない。
 進まないどころか、1年以内にこの復興計画は立ち消えた。
 市に見捨てられた彼らは、自力で町を復興するしかない。
 けれども黒人に対する保険料、銀行の金利は通常よりも高く設定されている。
 簡単に、ビジネスや生活を立て直すことはできず、多くの黒人は、この地域から出て行くことを選択した。
 1992年以降、サウスセントラルの黒人人口はさらに減少した。

 しかしながら、ここから出ていけない人たち、変われない人たちもいる。
 変わることが難しい場所もある。
 団結を約束し、ギャング生活から足を洗おうと試みても、彼らには逮捕歴があり、仕事が見つからない。
 仕事を見つけても解雇される。
 仕事はなく、行政のサポートもなければ、彼らは自分たちの知っている方法、盗みやドラッグ売買で、家族を養うしかない。
 結局、暴動前のギャングライフに逆戻り、抗争を再開した。

刑務所ビジネス

 「逮捕されるようなことをしたのだから、仕方がない」
 
 と言う人もいる。
 けれども、ここにも罠がある。

 刑務所は、米国の巨大ビジネスだ。
 刑務所には、囚人の食事、衣類、生活用品、水道、ガス、電気などが必要だ。
 つまり、刑務所の存在が、それ以外の会社組織や自治体に恩恵を与えることになる。
 事実、ニューヨーク証券取引所にリストされる刑務所ビジネスは、シェアホルダーに莫大な利益をもたらしている。
 したがって、これらシェアホルダーは、市長選挙や州知事選挙で「世間から犯罪を失くすために、刑務所を増やす」とスピーチした候補者に投票する。 

 けれども、彼らの利益のために、犠牲になっている人々がいる。
 黒人だ。

 1985年、レーガン政権は、違法薬物削減のために「麻薬戦争」政策を発表した。
 この政策の本来の目的は、麻薬撲滅ではない。
 黒人を犯罪者に仕立て上げ、黒人コミュニティーを撲滅することだった。
 レーガン政権は、メディアを買収し、「クラック(コケイン)の元凶は黒人」というイメージを作り上げた。
 その結果、ドラッグ使用者の80%は白人だったにも関わらず、「麻薬戦争」の矛先は、完全に黒人へ向けられた。

 車のテールランプが壊れている、ウィンカーを出し忘れた、小さなこと、時には何もしていなくても、黒人は警察官に停止を求められる。
 とりあえず職務質問をして、逮捕できる「何か」を見つける。
 見つからなければ、そーっと、車のシートにドラッグを置けばいい。
 少し抵抗でもしてくれたら、「何か」が見つからなくても、「公務執行妨害」で逮捕ができる。
 警察官の目的は、刑務所を満員にすることだ。

 ロスアンジェルス暴動は、その結果だった。
 けれども、暴動後もその状況は変わらない。
 2003年の黒人投獄者数は、政策前の7~8倍に増加した。
 黒人男性4人に1人の割合だ。
 しかも、逮捕者の28%が無期懲役だ。
 女性の囚人数も、カリフォルニア州が全米一だった。
 その多くの女性は若く、小さな子供の母親だ。
 こうして、父親のいない家庭、両親のいない家庭が誕生する。

 2007年、カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツネッガーは、

 「74億円をかけて、州刑務所に4万3千ベッドを増加する!」

 と発表した。
 犯罪者が増えたのではない。
 白人社会の金儲けのために、犯罪者を増やすことが目的だ。
 刑務所ビジネス成功のためには、所内に千以上のベッドがあり、90%以上の収容率を20年以上維持しなければならない。
 微罪でも懲役10年、20年、無期懲役にされる理由だ。
 警察官は黒人を刑務所に入れるために、今日もがんばっている。
  
 ロスアンジェルス暴動の根本的原因は、高い失業率、不十分な教育システムと生活環境、そして警察官の暴力だった。
 1965年のワッツ暴動の時と、何ひとつ変わっていない。
 この国では、黒人が変わろうとすると、それを阻止する、大きな力が彼らを押しつぶす。
 
 「また暴動は起こると思いますか?」

 という質問に対して、レジナルドさんを襲った男は言った。

 「歴史は繰り返される」

 2003年「サウスセントラル」というイメージを払拭するために、サウスセントラルは「サウスロスアンジェルス」に名前を変更した。
 名前は変わったけれど、黒人の環境は変わらない。
 現在も、サウスロスアンジェルスで暮らす45%が低所得者だ。
 450組のギャングが存在し、4万5千人がそれら組織で活動している。

 最後に、「ワッツタックス」の映像です。
 1973年、ワッツの人々を励ますために、スタックスレコードはロスアンジェルスのメモリアル・コロシアムでコンサートを行った。 このコンサートでは、フィールドへの侵入が禁止されていた。
 けれども、ルーファス・トーマスは、黒人たちにフィールドで踊ることを促した。
 フィールドに降りた彼らを見れば、踊りたくてウズウズしていたことは一目瞭然だ。
 彼らは規則を守り、フィールドに降りず、ずっと我慢していた。

 規則を破ることはいけないこと?
 
 確かにそうだと思う。
 けれども警察官は、黒人というだけで彼らに暴力を振るってきた。
 この国は、彼らの自由や平等を奪うために、あらゆるシステムを作り上げた。
 彼らは踊っているだけで、誰も傷つけていない。
 彼らはこの後、指示に従って、客席に戻った。
 ほんの数分間だったけれど、「踊りたい」という欲求を満たすことができた彼らのことを考える。
 この映像を観るたびに、胸がいっぱいになる。  


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