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【シリーズ第54回:36歳でアメリカへ移住した女の話】

 このストーリーは、
 「音楽が暮らしに溶け込んだ町で暮らした~い!!」  
 と言って、36歳でシカゴへ移り住んだ女の話だ。
 前回の話はこちら↓

 シカゴに来て、絶対に会いたかった人がいる。
 日本人代表ブルースピアニスト、有吉須美人さんだ。
 
 有吉さんの演奏をはじめて観たのは、1990年7月、「大阪花の万博博覧会」に出演されていた時だ。
 有吉さんのバンド、”アリヨズ・シャッフル”に、バレリー・ウェリントンを迎えての演奏だった。

 有吉さんの演奏は鮮明に覚えている。
 
 「あんなに華奢やのに、すごいエネルギー!」

 彼のパワーと、その演奏に魅了された。
 
 「あの人は、アメリカで演奏してるねんで」

 と連れて行ってくれた人が教えてくれた。

 日本人がアメリカで、しかも黒人と一緒に音楽を演奏する?

 すっごーーーい!!!
 

 有吉さんは、1983年にシカゴへ渡った。
 はじめてシットイン(飛び入り参加)したバンドで、すぐに雇われたそうだ。
 その後、ジミー・ロジャース・ブルース・バンドで、全米やカナダをツアー。
 1985年には、ロバート・ジュニア・ロックウッドと、日本公演に参加。
 1987年、シカゴ・ブルース・フェスティヴァルに、東洋人としてはじめて出演。
 1988年に、オーティス・ラッシュのヨーロッパ公演に参加。
 その後、一旦、日本に帰国され、次に渡米するのは2000年だ。

 私が有吉さんのステージを観たのは、帰国後、日本で活動されている時期だったようだ。
 この期間、憂歌団、ウエストロード・ブルース・バンド、近藤房之助、上田正樹、甲本ヒロト、多くのミュージシャンたちとセッションをされている。

 2000年に再渡米されてからは、ハーモニカプレイヤーのビリー・ブランチが率いる、ビリー・ブランチ&ザ・サンズ・オヴ・ブルースのメンバーとして活躍。
 現在は、バンド、そしてソロでも、アメリカ、ヨーロッパ、中国、南米、世界中で活躍されている。
 
 と、さらっと書いたけれど、有吉さんのヒストリーは、10行程度で終わるようなものではない。

 さて、私が有吉さんにお会いしたのは、渡米から数か月経った頃だ。
 その日、ビリー・ブランチ&ザ・サン・オヴ・ブルースが、ローザズ・ラウンジでショウをすることを知り、ただちに出動した。
 
 このバンドは、シカゴでも大人気。
 ローザズ・ラウンジに到着すると、店内は、すでに多くの客であふれ返っていた。
 言葉が通じない+人がでかい+人が多い、という状況は、それだけで緊張する。
 恐る恐る中に入ると、入り口近くに、目的の有吉さん発見!
 日本人のお客さんと談笑している。

 ・・・どうやって話しかけたらいいんだろう?
 話しかけられたら、もちろん大喜びで話すけれど、自分からミュージシャンに声をかけたことがない。
 憧れの人たちだし、仕事中だし、知り合いじゃないし・・・私の中に、色々な理由があり、話しかける勇気がない。

有吉さん発見! 

 けれどもこの日は、有吉さんの後輩、私の日本の友人から、

 「有吉さんによろしく言うといて!」

 と伝言を頼まれていた。
 だから、私は有吉さんに話しかけなければならない。
 勇気をふり絞り、私は有吉さんに近付いた。
 内容は覚えていないけれど、きちんとご挨拶をし、友人の言葉を伝えた。
 おかしな日本人が来た・・・と思われたのだろう。
 私でも思う。

 「あんたも大変やな」

 と有吉さんはおっしゃった。

 ・・・こんな伝言、聞かんかったことにして、違う話をすれば良かったやーん!!!

 と今なら思う。

 「1990年の大阪の万博で、有吉さんの演奏を聞いて、感動しました!」

 とか、他にも色々あったはずだ。

 私のアホーーーッ!
 
 お話した後は、ずーっと恥ずかしいような、情けないような気持ちで、演奏を楽しむ余裕すらなかった。
 ショウが終わると、すごすごと家に帰った。

 とはいえ、有吉さんは、とても気さくな方で、その後は、普通にお話させて頂いている。
 ビリー・ブランチのショウに行って、有吉さんと雑談する。
 これは、なかなか贅沢だ。
 その頃の私には、関西弁で話をする相手がいなかった。
 さらに、その相手は、有吉須美人さんだ。
 
 シカゴに来て良かった🎵

 とつくづく思う。

 ビリー・ブランチ&ザ・サン・オヴ・ブルースのビデオ⇩

 ビリー・ブランチは、ウィリー・ディキソンのハーププレイヤーを経て、1970年代には自身のバンドを結成。
 エミー賞受賞、グラミー賞には3度ノミネートされている。

 Billyのバンドメンバーは、ほとんど変わらない。
 ドラマーのモーゼ・ルチューズ、ギターリストのニック・チャールスが他界され、今は新しいメンバーになっている。
 有吉さんが一番の古株だ。
 ホームページには、モーゼとニックもメンバー紹介の中に入っていて、ちょっと嬉しかった。
 ビリーは、メンバーを大切にする人なんだろうな、と私は思っている。
 
 ビリーと言えば、子供たちにブルース、音楽のルーツを教えるブルース・イン・スクールだ。
 子供たちは音楽を通して、文化、創造力、チームワーク、様々なことを学ぶことができる。
 しかも、教えてくれるのは、ビリーさんや有吉さん、ワールドクラスのミュージシャンだ。 

 ロックやヒップホップ、様々な音楽のルーツはブルースだ。
 ルーツを学んだ子供たちが、新しい文化をクリエイトする。
 なんだかワクワクするプロジェクトだ。
 Billyは、この活動を30年以上続けている。

 そんなビリーのバンドで、有吉さんは20年以上活躍されている。
 体力的なことだけを考えても、大変だと思う。
 ツアーといってもアメリカは広い。
 移動距離は半端じゃないし、国内だけでも時差がある。
 シカゴで演奏するときでも、仕事終わりが早くて朝の2時、3時。
 キングストン・マインズは、朝の5時までだ。
 その翌日に、ニューヨークや、ヨーロッパに移動というスケジュールも珍しくない。
 日中にレコーディングや、フェスティヴァルのイベントが入ることもある。
 黒人とアジア人で体力の違いがあるかどうかは、黒人になったことがないのでわからないけれど、大変な仕事だと思う。

 さらに、黒人のカルチャー、黒人の音楽を、黒人の中で、黒人の客の前で演奏する。
 
 「素晴らしいーーーっ!!!」

 純粋に思う。
 けれども、有吉さんの立場になって考えたら、想像できないようなプレッシャーもあるんじゃないだろうか?

 有吉さんの後輩、私の友人が、シカゴを訪れた時のことだ。
 有吉さんは、私たちをショウに招待してくださった。
 アメリカで音楽をすることに興味を持っていた友人は、有吉さんに、色々質問をした。
 黙って横で聞いていたけれど、

 「どんなにがんばっても、俺らは黒人にはなられへんねんで」

 という、有吉さんの言葉は、とても印象に残っている。

 「そんなんわかってますよ。当たり前ですやん」

 という、友人の答えも正しい。
 彼は黒人になろうと思っているわけではない。

 けれども、有吉さんが言った、”黒人にはなられへん”は、もっと深いものなんじゃないかな?
 この国で暮らし、黒人たちと一緒に演奏してきた有吉さんにしかわからない、有吉さんが導き出した答えのように感じた。

 私は、同居人のことを何も知らない。
 言葉が通じない、育った環境が違う、お互いに相手のことを知らない・・・理解できなくて当然だ。
 ”黒人にはなられへん”、の意味を理解するには、まだまだ時間はかかる。
 けれども、どうしようもない何かがあることは感じる。

 英語も話せて、黒人社会のことにも詳しい私の友人が、黒人ヒストリーに関する本を読んでいたとき、お友達の黒人が、

 「こんな本一冊で、俺らのことを理解されてたまるか」

 と言ったそうだ。
 そりゃそうだよなぁ。 

 有吉さんは、どうしようもない壁があることを知っている。
 それでも黒人の中で、黒人音楽を演奏し続ける。
 ブルース、黒人音楽に対する、有吉さんの、止めることのできない愛なんだろうなぁ。

 2017年、有吉さんは、「シカゴ・ブルースの殿堂」入りをした。
 
 他には、カルロス・ジョンソン、リル・エド、カール・ウェザーズビー、シャーリー・ジョンソンなどなど、素晴らしいシカゴのブルース・ミュージシャンが名を連ねている。
 アメリカ人でもなければ、黒人でもないのは、有吉さんだけだ。

 嬉しいーーーーー!!

 有吉さんのブルースへの愛とリスペクト、そして彼ら黒人が、そんな有吉さんを理解し、リスペクトした証明のように感じた。

 ⇩このビデオは「594マイルス・フロム・シカゴ」というショート・ビデオ。
 アーティストが3つの質問に答えるというシリーズだ。
 有吉さんのピアノをバックに、おしゃべりする有吉さんが見れる、嬉しい映像😁

 2017年にブルースの殿堂入りをしました。
 ブルースの歴史に名前が刻まれたことを、とても誇りに思っています。
 ブルースのルーツを守る、このドキュメンタリー、プロジェクトは素晴らしいと思います。
 そして、ドキュメンタリーの出演アーティストのひとりに、はるか東の国からやって来た私を選んでくれたことに感謝します。
 ブルースには色々なタイプのブルースがあります。
 自分の好きなブルースを見つけて、楽しんでください。
 そうすれば、ブルースのルーツが断たれることはないでしょう。

 といった内容です。

 美しい奥様と、愛息に支えられて、有吉さんは異文化の中に入り込み、エネルギッシュに演奏し続ける。
 シカゴに来て、有吉須美人さんと出会えたことは、私にとって宝物みたいに素敵なことだ。
 日本公演をされる時はもちろん、シカゴに来られるチャンスがあれば、是非是非有吉さんの演奏を聞いて欲しい🎵

 2016年、オーティス・ラッシュ氏のトリビュートイヴェントが、シカゴ・ブルース・フェスティヴァルで行われた。
 有吉さんのピアノが、気持ちいい。

 


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