旅行業に従事して。3

  記憶を思い出しながら、書いています。 数えきれない程の、手配ミスを
してきました。 今の時代だったら、とっくに業界からリタイヤしないと、いけないレベルでしたが、まだ末席にいます。 幸運なんでしょうね。
 あの失敗事件も、いま思い返すと馬鹿でした。 モスクワ駐在員の奥様と、子供さんがご主人にもとにいくのを、手配したのですが査証書類は、全て完璧でした。 当時、私は査証担当から離れて、営業担当に異動しており査証手配担当者に、全て書類を渡して申請に行って貰いました。
 奥さんの旅券に、子供さんも併記されている旅券でしたが、査証申請は奥さんのぶんしか、用意していませんでした。 当時、私は子供さんは併記されてるから、自動的に査証は許可される。 申請書は不要と理解していたのです。 馬鹿ですね。
 領事館から、担当者から連絡あり「領事から、子供の査証はいらないのか?」問い合わせきています。 言われたが、自動的に発給されると理解していたので、断りました。
 出発当日、伊丹空港から連絡あり。子供の査証がないから搭乗できない。連絡ありました。最初は、意味不明でしたね。 上司がすぐ電話かわり一端、帰宅して頂きダッシュで、吹田の自宅へいきお詫び。お金はいからかかってもかまわないから、領事館に泣きつき即日で発給して貰い、翌日の便でモスクワへ行かれました。
 あれから、勿論暫くは落ち込みました。 思い込みはだめを、理解して
いちから、飛行機も査証も、何度も必要な事を確認する様になりました。
後年、その駐在員が任期終わり帰国され何度か?冷やかされたのが、思い出します。
 青春時代の失敗談でした。。

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