現実を探せない

それは、単なる現実逃避の言い換えかもしれない。

自己主張に労力を馬鹿ほど取られる日々に、久々のシフォンケーキのように軽く甘い対話。
他の人と同じ話が出来ないからこそ、空気にならなければならない時がある。
他の人と同じ話が出来ないからこそ、いつもと違う自分で話したい時に話せる。
コンビニで買うセルフのコーヒーの話で少しばかり共感しあった。加えて今日はラッキー、お笑いの話をした。
自分である必要がない対話が好きだ。
自分を魅せる、その意味とは。
自分を魅せられる人、魅せられない人。
そんな二極化は悲しいだけだ。
普通、他人の人生にジャガイモの面で生きていれば良いだけ。
それでも、唯一の道と認識できる生き方がしたい。
自分の表現、そんなものはまだ存在しない。
そう思い知るたびに無知を晒される気分だ。
何をしたいか、まだそんなものはない。
何を伝えたいか、まだそんなものはない。
本当は何もないけれど、あるふりをする。
本当は何も見えないけれど、見えるふりをする。
嘘を続けたら、いつか本当が分かる。そう信じていたい。
現実を突きつけられなければ、分からない事ばかりだった。
やりたくない事でやらかした時、反省できないのも結果を出せないのも最後まで合理化しようと思う。
元々自分を嫌いで今や自分の何が嫌いか分からないから、どこまでも落ちていける。
弄れていようと、自分に不誠実であろうが、今好きだと思う方向へ進み続けたい。
そう好き勝手して、心が苦しくならないのだろうか。


自分を弱く見せるための歌詞、自分に陶酔するための歌詞、カラオケで歌ってしまう。
この息苦しさは気付かれていないだろう。
私は自分の好かないバンドの曲を歌う友達を嫌いにならなかった。
誰が何を歌おうが1ミリも心も動かさない。
自分のための言葉を見つけなければならない。



何のために塾へ通うのか。
勉強するためでしかないのに、また何の感情も交差しない他人へ吐露する為の場所になっている。
自分の感情を間違っていると思わなくなった。
この先の学生生活、何の成長もない気がする。夢を追いかける事を承諾されて、裏切りたいという欲望に支配される反抗期は終わった。
何も無いのに満ち足りている気分になって、勉強が余計手に付かない。
対話と自己主張で疲れる日々に、何も頑張っていない自分が潜んでいる。
1人になると何もしていない自分が見え過ぎるから、自分を隠したくなる。偽りたくなる。


勉強を頑張っている同世代をSNSで見つける度に心拍数が上がる。
なぜ私は頑張ろうとしないのか。
敗北に弱いだけなのか。
すぐに自己満足してしまうのはなぜ。
普段、こんな面白くない自分は自他共に認めないと思ってしまい、勉強という誰もが辿る個性を見い出せない過程に何の感情も起こらない。
早く自分の必要性を認識したいという切願、とんでもなく恐ろしい。
自分だけが持つ価値を自分に分かるように見せつけたいという、歪な欲望。
どうすれば普通に頑張れるのか。
自分をコントロール出来るのか。
何も分からない。




今、私は幸せですか。

  はい
▶いいえ
 
何のための全部。
何も分かりません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?