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元よしもと・ホリプロ芸人 松稔の芸能裏話3最初の相方 原ひろしと壮絶な弟子修行

元よしもと・ホリプロ芸人 松稔の芸能裏話3最初の相方 原ひろしと壮絶な弟子修行

(3)最初の相方 原ひろしと壮絶な弟子修行
原ひろしと云うのは中学時代から頭は良く、学年でも10番以内に入る 秀才だった。
でも家庭事情がちょっと複雑だったので、高校時代から 愚だした。それと云うのも父親が再婚し、義母と上手く行かなかった。

その上自分のやりたい事が出来なく、父親の後継ぎ新聞配達店をやらされていた。
中学の頃同じクラスでありながら、あまり話しをしなかった。
それは、原は頭が良い文学系、僕は頭が悪いスポーツ系まさしく水と油だった。

そんな原の英語テストのエピソード、『今度のテストで100点取る』と公約した。
しかし一問だけ分からず90点だった。だけど原は全部消しゴムで消してあえて0点 にした。

なんと勿体ないことするやっちゃ、僕なんか必死にやっても10点の時 だったのに・・・どちらかと云えば嫌な奴だった。

そんな原と高校卒業後、ふと町で会った『何やってんの』って云うから、 僕は「デザイナーの卵」『ええなぁ俺なんか新聞配達』「そんな事ないよ デザイナー云うたら格好いいけど、毎日々版下貼りばっかりで何もおもろない」

『なんかええ事ないかなぁ』と二人共やる気のない頃、原が『吉本に行こか』「吉本って僕らお笑い出来へんで」『今からやったらええやんか』「そやけど お笑いなんか人前でせなあかんねやろ」『当たり前や』

「そらあかんわ、 学校の頃から手も上げた事ない暗い性格やのに」『そうか』「それに僕は デザイナーになって、将来情報誌かミニコミ誌を創りたいからやってんねんで、 親が聞いたら泣くわ」

『あほやな情報誌出すんやったらお金要るねんで、お前お金持ってるか』「ない」『そやろ有名になったら何でも出来んねんで』「そうか」『有名になるには吉本しかない』

そんなええかげんな 軽い気持ちで吉本興業に行くことになった。 つらい弟子修行も二人だからやって行けた。

ちょっと慣れてきたある日、有馬温泉の営業(大阪では余興と云う)に4人で 行く事になった。

師匠の車と云うのがダイハツフェローマックス軽の360cc この車で大の男4人が有馬温泉行くのは至難の業、自転車でレインボーブリ ッジを渡るようなもの、そこで僕の持っていたカリーナ1600ccで行く事にした。

その時思った「儲けているんやったら、もっとええ車乗れよ」って、ライバル西川きよし師匠はベンツ。

ある日きよし師匠のベンツと師匠のフェ ローマックスが出会った。 きよし師匠はオートマチックで窓を開けた。

師匠は必死に手動で窓を 開けて挨拶をしていた。弟子としては一寸恥ずかしかった。 
話は戻って往きは原が運転する事になった。

両師匠は免許がなく無茶な事を云う、師匠の云う事は絶対で逆らえない。
黄色ラインに入ってる時、急に『左に入れ』っと云われた、「あの黄色のラインに入ってる時は右も左も行けないんですけど」

『師匠の云う事が 聞けんのか』「いいえ」『入れ!』到底無理だと分かっていたが、云う事を聞いた原はどうなっても良いと思い左にハンドルを切った。

その瞬間ドドーン、急に入ったから後ろからオカマされた。

『あほ何ちゅう運転すんねん』師匠に怒られ、相手の車も『黄色の線から 出て来る奴あるか』と怒鳴られ僕らはパニック!

師匠は『仕事があるから 先に行く、お前らと一緒にいたら殺される。
あとの処理は任すお前らが やったんやからな』っと云いながらタクシーで行ってしまった。

そこからが悲劇の始まり・・・次回につづく

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