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僕が、ポテンシャル君なワケ。

こんにちは、ポテンシャル君です。
はじめることを勧められながらも、タイミングの合わなかったnote。
なんとなく、今日から始めてみようと思います。


一回じゃ、わからないこと。

今回は、僕がなぜポテンシャル君という名前で活動をするようになったのか。そして、なぜポテンシャルなのか。自分の自己紹介も兼ねて記録に残してみようとおもいます。

僕のこと。

 僕は、アメリカで生まれ育ち、少年時代を大阪、インドで過ごしました。なので、正確な出身地はありません。大阪出身といつも答えますが、関西弁も話しません。なので、いつも自己紹介では出身を説明するのに一苦労をします。
 今は大学を休学しながらアメリカ、ポーランド、宮崎、アルゼンチン等の海外リーグで野球をプレーしながら生活をしています。自称、「フリーランスの野球選手」です。笑

この生活に至った理由。

 僕は根っからの野球好きです。ですが、野球が人生のすべてだとは一度も思ったことはありません。野球は間違いなく僕の人生を豊かにしてくれました。しかし、野球が自分のすべてになることの危険性は子供のころから認識していたためです。
 僕にとって、野球とは一番最初に人生で極めるものであり、そこでの学びを通してその後の活動範囲が大きくかわるものです。何事も、「極める」ことでしか見えない景色があり、ほとんどの世界が「人間」の関係性で成り立っている以上、本質的な部分には大きさ差はないと感じているためです。
 そして、僕には僕にしかない極め方がある。僕はたまたま英語が話せたので、その価値が発揮されるのは海外にあると考え、自らの価値を「海外野球」に見出しました。
 これが、僕が海外で野球をするようになった最初の理由です。理由というのは、最初に思い描いていたものから付け加えられるもので、それを続けていることには様々な理由があり、自分の今後の人生を創造していくうえで重要な経験だと感じたため今もこの活動を継続しています。

ぽてんしゃる、?

 ここからが今回の本題です。なぜ、僕は「ポテンシャルくん」なのか。それは、僕の高校時代の経験に起因します。

苦しかった高校時代

 僕は、高校から本格的に野球を始めました。でも、当時から目標はプロ野球選手です。家庭の事情でそれまで野球をすることができなかったのですが、野球ができていない時も夢はずっと「プロ野球選手になること」でした。
 高校に入学して、最初に守ったポジションは「セカンド」。動きが全くわからず、自分以外のところに打球が飛んだ時に何をすればいいか全くわからない。当時のまわりの同期や先輩は僕のプレーを見て「あいつマジやばいな」そんな声が聞こえてくる。そんな始まりでした。

 そんな始まりでしたが、チャンスはすぐにやってきます。中学時代(インド在住)にインドの壁に向かってひたすらボールを投げていたため、球が強く、でも少し変則気味に投げていたため、ピッチャーとしてマウンドに上がるチャンスをもらえたのです。初めて投げた球種は「ナックル」。無回転で揺れながら落ちる、おそらく日本で投げる人が最も少ない激レアな変化球です。 結果は無失点。好スタートを切ることができ、またチャンスをもらうことができました。二回目の登板で失点はしましたが、そのまま初めての夏の大会で投手番号をもらい、メンバー入りを果たします。夏の大会でチームはべスト16まで勝ち抜き、「もし勝てば、準々決勝でお前が投げる」そう言われたことは今でも記憶に残っています。(残念ながらチームは敗退。僕の登板は幻に終わりました。)

 そうして迎えた新チーム。しかし、僕のマウンドで投げた経験は「たったの2回」です。(しかもチームの方針で練習は野手の練習しかしていない。)期待を少し感じながら迎えた最初の試合で、僕は文字通りの「大炎上」をしてしまいます。その感覚を拭えないまま、すぐにチャンスをもらいますがそこでも力みからストライクを投げることができません。また同じミスを繰り返してしまいます。そこで周りから「お前はコントロールが悪い」という言葉をかけられるようになり、自分でもそう思いこむようになってしまい、苦しい日々が始まったのです。

 チームの方針で、全員野手の練習をします。そのため、投手としてブルペンで投げることは任意です。野手としては、上述したように動きがわからず、またボールを捕って投げるという動作自体もほとんどしたことがないため、エラーばかり。バッティングも素振りしかしたことがなかったため当たっても全く飛びません。なので、当然チャンスは多くなく、試合に出てユニフォームが汚れていたら周りの選手に「今日お前出てたんだ」そのくらいのコメントをもらう程度でした。この言葉は僕にとって、とっても辛い言葉でした。

高校一年生で一人暮らし

 さらに、この経験をしていた時期は高校一年生です。僕は両親がまだインドに駐在していたため、学校の寮が閉まる夏休みの期間で一人暮らしをしていました。帰っても家に誰もおらず、Wi-Fiもない(携帯は月5GBほど)。唯一の心の支えは、テレビドラマをぼーっと観る時間でした。

ドラマと言う名のレッテル

 僕自身、高校時代は周りの思い込みの中に生きてしまったなと強く感じています。よくそれをドラマだと言われていましたが、まさにその通り。ただ、それを指摘されたから改善できるものであれば、何度も言われることはありません。幼少期から親に高校野球とはこういうものだとたくさん言ってもらっていたこともあり、その高校野球のストーリーから抜け出せなかった部分は少なからずあったなと感じています。

 こんな感じで、周囲の定義した自分との葛藤(周囲は本当にそう思っていたのか、余計な意味付けをしていたのかもわからない状態)から中々抜け出せずに高校野球が終わり、残ったのは「やっと終わった」という感覚と、「もう野球はいいかな」というこの二つでした。正直、僕は探求する人間なので、様々な練習メニューを最初は提案していましたが、僕の説明能力不足もあり、周りから理解されず、「よくわからないやつ」そんな風にも思われていたと思います。そしてミーティングで後輩からも「俺は勉強しているのに山内さんは確実に勉強不足」そういわれた時点で完全に心がポきっといったままでした。

高校野球から学んだこと。

 高校野球から学んだこと、それはたくさんあります。しかし、その中でも、僕は周りが定義づけた自分を感じてしまい、そこから抜け出すことができなかった。自分のことを信じ抜くことができなかったのです。
 そこで、だからこそ俺はそんなことを気にしない。最初は変な奴だと思われてもただひたすら毎日自分のことを信じて日々の練習に取り組もうと決断し、大学野球に挑戦することに決めました。高校野球でできなかったことをそのままにしていては、次の人生に進むことができない。まだ何も本当の意味で極めたと言えない。そして、何よりも勝手にグランドに野球が嫌いだと思っても向かっている。野球をしている。これが決め手でした。

それ以降は

 決断し、僕は大学野球部に入部しました。当然、失敗の連続。しかも周りのレベルは高く、周りからのお前はコントロールが悪いといった発言も多くありました。しかし、僕はもう違います。俺は自分ができると信じる。そして一日一日をやり抜く。そう固く心に誓い、日々をやりぬいていきます。そして、「どうすれば幸せに、毎日をやり抜けるか」を探求し続けています。
 こんなことを日々続けていると、次第に周りの自分に対する見る目が変わっていることに気が付きました。そして、高校野球でのまなびは間違っていなかったということに気付きます。
 そうして、毎日をやりぬく中で、大学外でプレーをするチャンスをいただき、そこでもやりぬく日々を過ごしていたら、ご縁がつながり、高校卒業以降6チームでプレーをさせていただくことができました。

だからこそ。

 ここまで、僕の高校時代を中心に描いてきました。僕は、高校で大きな挫折を経験しました。自分のことを本当の意味で信じ抜くことができなかったからです。だからこそ、僕は自分のことを信じ、そして自分の周りの人間を信じ、そして「できるかも」そう思わせてあげることの人間でありたい。そう心の底から強く願っています。だから、僕は「ポテンシャル君」なのです。
 決して僕にポテンシャルがあるとかそういった話ではないのです。みんながポテンシャルくんで、ポテンシャルちゃんで、その「ポテンシャル」の意味を崩したくて、ポテンシャル君を名乗っているのです。

最後に。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。今まであまり多く書いてこなかったことを、あえて文章にしてみました。人生の愛や感謝が芽生える瞬間は、このような瞬間を味わいきった先にあるからです。僕は、この経験ができたことを今、誇りに思っています。それぞれにそれぞれの最高の人生がある。すべては意味付け次第なのです。
 だからこそ、僕は目の前の事象を愛し、そこから学び続ける姿勢を持ち続けたいと思います。そして、そのような仲間と共にこれからも生きていきたいと思います。
 僕が思ったこと、感じたことを、ありのままに、これから書いていきます。よろしくお願いします。





 


 
 



 
 






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