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他者(ひと)の概念、自分の志。

生きていりゃ、辛いことなんて山ほどある。
上手くいかないことなんてたくさんあるし、うまくいったと思っても、自分が望んでいたカタチとは違ったりもする。
そりゃ辛いよな。

でも、辛いけど、なぜ鬱になるのだろう?

鬱になるのはなぜだろう?

僕にとって、人生で一番つらかったのは間違いなく高校の3年間だと思う。
それはもう本当につらくて、世の中にいる人を全員恨んでいた。本気で。

 僕は高校から野球を始めた。でも、夢はプロ野球選手になること。ここがぶれることは一切なかった。当然野球の実力は一番下で、高校の監督にちょっと低めに見積もって「大学で野球を続けたいです。」と一年生の時に伝えたら本気で笑われた。そして、「大学のサークルでもなんでもいっぱいあるじゃないか。今のままでは無理だ。」そういわれた。そもそも、家庭の事情で野球を一人でしかすることができなかったため、「今のまま」という言葉は正直、僕にはしっくりこなかった。なぜなら「今から」すべてが始まると思っていたから。

でも、当然監督に言われたこの一言は僕の心のどこかに引っかかっていた。「やっぱり俺は無理なのか?」と。そんなことを考えながら野球をしていると、当然プレーにも迷いが生まれる。そして、その迷いの生まれたプレーに対して惜しみない罵声が浴びせられる。正直、僕はどうしたらいいのかわからなかった。

このプレーを僕はよく「ドラマに入っている」と表現された。確かにそうだなと思っていた。しかし、それ以上にその抜け出し方がわからない。つまり、自分のことをどう信じたらいいのかがわからなくなっていたのだ。

鬱。

正直、僕はそこまで深刻な鬱の症状にはなっていないと思う。それは、なんやかんやで心のどこかで自分のことを信じていたからだと思う。でも、この時の僕の主語は間違いなく「他人」だったと今は思う。それは、監督であったり、チームメイト、そして学校の一部のメンバーもだ。

人を信じれなくなった時。

ちょっとだけ野球から離れた話をしたいと思う。僕には、同級生で気になっている女の子がいた。だから、思い切って話かけてみて、連絡を取り合ったりもしていた。そして、デートに誘ってみようと考えている時だった。野球部のチームメイトから「お前の連絡全部知ってるぜ(直近のトークの内容を全部話された)、○○ちゃんのこと気になってるんだろ。」と突如言われた。その時、僕はその女の子、そしてチームメイトがグルになっていたと悟ってしまい、突如としてパニックの状態に陥ってしまった。
そして、野球部のメンバーだけでなく、学校での時間でも常に「他人の目」を気にするようになってしまった。

他人の目を気にするからしんどいのだ。

今になって思うこと。それは、僕の高校時代は「他人の目」が主語となり、その中で常に生き続けていたということだ。
当然、監督やチームメイトがお前はマジでしょぼい、ダメだ。などと声をかけてくるかもしれない。それでも、それを主語にするかどうかは自分の判断だったということだ。
人がどう思っているかはコントロールすることができない。もっと言えば、相手がどう思っているかなんてことは「自分の思い込み」にしか過ぎない。

そこに気付いた僕は、大学野球では他人がどう思うかではなく、自分がどうありたいかを重要視するようになった。

信じるということ。

大学硬式野球部。それは高校よりも何倍もチャレンジングな環境だった。部員数も多いし、甲子園という華々しいキャリアをもって入部してくる選手だらけ。そんなものは、僕にはない。だから、圧倒的に不利な状況からのスタートだった。
でも、僕にはもう人が自分のことをどう思うかなんて概念は二の次になっていた。「自分がどうありたいか」「どうすればこの大学生活をやり切ったと胸を張って言えるか」これしか頭の中になかった。

だから、毎日練習に没頭した。朝9時にはキャンパスに入り、そこから練習、大学の授業を受けて、20時まで課題をこなした。授業や部活動がない時は、アメリカや社会人野球でプレーする方々にコンタクトをとり、少しでも自分のためになることはないかと貪欲に学んだ。「自分は絶対に何者かにはなれる。」そう自分のことをひたすら信じていたのだと振り返って思う。

今になって思うこと。

昨日、大学野球部の同級生であり、親友の友達と久しぶりに長電話をした。大学に入り、バカにされていた僕を最初からずっと信じていてくれた、僕にとってかけがえのない友人だ。彼の存在があったからこそ、僕は突っ走ることができたのだとも今になって思う。

彼はこういった。
「大学野球部でしんやのこと悪く思ってるやつは誰もいないよ。」と。
続けて、
「大学野球部の奴らにしんやの話をするとみんな目をキラキラさせて話に食いついてくる。そして、みんながしんやは今元気なのか?会いたい!そんなことを言ってたりもする。」そう教えてくれた。

僕は、正直泣きそうだった。

自分のことをただひたすらに信じ続けて、走り続けていたら、こんなにも素敵な仲間に恵まれるのだと思った。

そして、これは大学野球部に留まることはなく、日本の独立リーグでプレーした時も同様だった。

僕は、本当に人に恵まれていると思う。
人の目じゃなくて、自分がありたいと思う自分をただひたすらに追い求め、そして今生かされていることに感謝し、ミスも、失敗も受け入れて次何ができるのかを考え続ける日々は、気づけば僕にとってかけがえのないものを与えてくれていた。

他人。ひと。

人は悪い生き物じゃない。みんな、迷いながら、苦しみながら生きている。
だからこそ、他人ではなく、「自分」が主語で生きていける。

そんな世の中を作っていきたいと僕は思う。

その先には、きっと本来の日本人の姿があるはずだ。






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