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全てはそこから

あいさつ
この前母の病院付き添いで母と歩いていたら道ですれ違った人に「こんにちは」と言われたので「こんにちは」とごあいさつした。しばらくして「あの人だあれ?」と母。「知らない人」と私。
誰でもいいんだ、たとえ知らない人でもね、こんにちはのあいさつなら。

命令
ドラマの中で皇帝が側室に、「理解しろ」「愛せ」
「感謝しろ」と言っていた。命令してもできない、これは。「土下座しろ」「ごめんなさいと言え」は可能だが、大抵の人はそんな命令はしない。

身の丈を知る
身の程を知る
分をわきまえる
人には言わない。
「身の程を知れ」「分をわきまえろ」と人に言うと、言ったその人が「身の程をわかってない」し
「分をわきまえてない」ことになる皮肉。
自分が自分の身の丈を知ることは難しい。大抵は低すぎたり高すぎたりする。どちらかと言うと私は自分を低く見積もることが多かった。自分を低く見積もっているくせに上から目線で接する人を「何様のつもり!」と心の中で憤り腹を立てていた。

余談だが
親に「その態度は何様のつもりなの!」と言われて「お子様のつもり」と答えた子どもは素晴らしい。

話を元に戻すがこれ(私のその態度)はおかしなことだ。相手に腹を立てている場合ではない。自分で自分を低く見積もっているのだから目線が上からなのは当然なのだった。灯台下暗し。
他人の態度にムカついた時ほど自分の態度に目を向けるのは成長のチャンスだった。

そうそう、思い出した。姉妹が自分に合った靴を探す映画「イン・ハー・シューズ」
自分の足にジャストフィットする靴って見つけるのが難しい。サイズの合っていない靴を履いて歩けば靴擦れはするし、痛い。歩くのが嫌になってくる。
やっぱり身の丈を知るって大切。



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