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似た者

最近、元パワハラ女が私の親に似てると思うようになった

  • はっきり指摘せず嫌味や物にあたって不満を示そうとする

  • 下の者に注意するのが嫌みたいで本人に指摘せず陰で別の人に「あの子いやだね~」と言いふらして賛同を得る

  • 会話のほとんどが悪意を含む。無事に楽しく会話を終えられることが滅多にない

そして、今の職場でパワハラされても平気だったのは何10年も親にやられて慣れたパワハラだったからだと気づいた。
 だから、正直にいうと私の後にはいった人が、無視されたり物に当たられたりしただけで参っているのがピンとこなかった。
しかし、私は自分の価値観が一般的でないことを分かっていたので理解できないなりに
「かわいそうにな」
と思っていた。
よく、自分が耐えられたことを耐えられない人の事をバカにする人がいるけど、そうはなりたくなかったのもある。
まあでも、理解はできなかった。
きっと、一般的な人はこんな扱いを受けることがないんだろうと思う。私の後に入った新人さんは私に比べて覚えもよく、常識的なこともよく把握してるので、
「この人に理不尽な八つ当たりをしたら誰がみても八つ当たりした側が異常者に見えるだろう」とは思った。
しかし、彼女は通例通り?パワハラ女の餌食になり、無視されたり、(話題にはいろうとすると「あんたは関係ない」とか言われる)怒りながら物で大きな音をたてたりされたらしい(聞いた話で私はほとんど見てない)
数か月で「辞めたい」と思ったらしい。
「私なら後輩にあんなことできない」
と憤ってもいた。
恐らくそれが一般的な人間の感覚なんだろう。
私はなんだか諦めてしまっていた自分に気づいた。
「他人と分かり合えるわけ無い」
当然のようにそう思っている。
他人は私が躊躇してできないことを平気でするし、逆に私も他人が常識的に考えてしないことを平気でするらしい。どっちにとっても当人には「当たり前」なのだ。
思えば親世代の若い頃はパワハラなんて概念はなかった。仕事をすぐやめることは絶対の悪だった。
今はパワハラは訴えれば上司だろうと失脚させられるほどタブー視されるし、仕事だって「合わなければやめろ」が主流の考え方だ。
時代がガラリと変わったのだ。
もう後輩を叩けば強制できたのは昔の話、家電も後輩も叩いても自分の思うようには直せない。
私は暴力と指導の差はないと思っていたが、「私がこんなに厳しくするのは愛情から」と言われると、それに反論する者が魔女狩りのように叩かれるから否定も肯定もせず涙を飲んでやり過ごした方だ。
上司なんかにこちらは愛情はないし、そもそも愛情だから叩くというのはこじつけだとずっと思っていた。
実際自分が上の立場になったら私も私的感情でかなり辛辣なことをしたが、それは私が悪かったのであり、愛情なんかなかったとはっきり覚えている。私は思いどおりに動かない後輩に腹が立ってパワハラしたのだ。そして、後輩が嫌いだったから謝りたくもなかった。
そう思うことによって「愛の鞭」なんてふざけたことをいっていた親や上の者とは違う人間になることも望んでいた。
私は自分のした過ちを自覚したい。
愛情とすり替えたくない。
私は後輩程度、仕事程度の関わりで愛情なんか持たない。

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