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$戦場カメラマン 渡部陽一

$戦場カメラマン 渡部陽一

$1972年9月1日生まれ。静岡県出身。学生時代から世界の紛争地域を専門に取材を続ける。戦場の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、極限の状況に立たされる家族の絆を見据える。イラク戦争では米軍従軍(EMBED)取材を経験。これまでの主な取材地はイラク戦争のほかルワンダ内戦、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、アフガニスタン紛争、コロンビア左翼ゲリラ解放戦線、スーダン、ダルフール紛争、パレスティナ紛争など。著書に「戦場カメラマンの仕事術」(光文社新書)など。

オフィシャルサイト:http://yoichi-watanabe.com/


$渡部 陽一(わたなべ よういち、1972年昭和47年)9月1日 - )は、日本戦場カメラマンフォトジャーナリストタレント。初代・富士市観光親善大使。所属事務所はビー・セブン。既婚。

来歴

静岡県富士市出身。3人兄妹の長男で、弟・妹がいる。

富士市立田子浦小学校富士市立田子浦中学校卒業。中学時代は生徒会長を務めた。

静岡県立富士高等学校を経て、「バンカラにあこがれて」という動機により早稲田大学を目指し2年間の浪人の末、明治学院大学法学部に進学した。落合信彦の著書に登場する弁護士の存在を知り、「弁護士検察官など、困っている人を助ける仕事に就きたい。」と思い、大学の法学部に入った。大学の一般教養課程の生物学の授業でアフリカの狩猟民族に興味を持ち、全く現地の知識もないまま旅行者としてピグミー族に会いに行くため、アフリカコンゴ民主共和国に行った。しかし当時はルワンダ紛争のまっただ中だったため、ルワンダ少年兵に襲撃され、カメラを含めた私物全てを差し出すことで助かった。帰国後周囲の人間に、その被害と少年兵がいる現実を説明したが、理解してもらえなかったことから、その場の状況を伝えられるカメラの必要性を痛感し、「戦場カメラマン」となることを決意した。大学1年生のときから戦場へ取材に行っており、その影響で大学を2回留年したあと、試験の時のみ一時的に帰国して同大学を卒業。当時は飲食店や写真撮影のアルバイトで貯めた資金で取材をしていた。初の撮影写真が記載された雑誌は『サンデー毎日』である。時に「サムライジャーナリスト」を名乗る。
過去には、平均して1年の半分は海外に滞在して仕事をしており、コロンビア内戦ルワンダ紛争コソボ紛争チェチェン紛争ソマリア内戦イラク戦争など、130の地域の紛争地域を取材している。EMBED(従軍記者)として紛争地域に赴く。雑誌、テレビ番組などで作品を配信しているほか、ラジオ番組でも現地から直接リポートをしている。
2011年3月11日東京都六本木ヒルズ森タワーで、『戦場カメラマン 渡部陽一 & 紙の魔術師 太田隆司 展』についての会見が地震のため、約1時間中断した。「突然で非常に動揺しました。」、首から下げているカメラのシャッターは「状況を見て切らなかった。」と述べた。過去には1999年トルコ大地震に遭遇したことがあり、「当時、一軒家の3階にいて、立ち上がれなかった。広場に避難したのを覚えています。今回の地震とは比べられないが、あの時もすごい揺れだった。」と述べている。
2011年3月から4月にかけて、東日本大震災の被災地である岩手県大船渡市陸前高田市宮古市などを取材している。「津波の被害は本当に想像を絶するもの。そこには世界中まわっても見たことのない厳しい現状が広がっており、僕は言葉を失ってしまいました。」と述べた。
2011年3月27日東京都オリナス錦糸町で、「少しでも役に立ちたい。」と、当初予定していたイベントの代わりに、東日本大震災被災者への募金活動を行った。募金活動には、賛同した山本梓テツandトモも参加した。渡部は「被災者は本当に困っています。ぜひ力を貸して下さい」と大きな声で呼びかけた。

https://twitter.com/yoichiomar?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor



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