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時をこえて記憶をこえてもう一度③

そんな順調な暮らしのある日、アユミにとっては暗い出来事があった。恋人が別の女の子を好きになってしまったという告白をしたのだ。彼は前任の図書館で働いている時の同僚だった。一緒に映画を見に行ったのがきっかけになって付き合い始めて、まだ1年もたっていなくて、デートはしていたけれど手を繋ぐことはなかったし、アユミもあまりときめきがなくて、彼のことを私は好きなのかなぁ…という疑問も感じ始めていたし、たぶん彼はもっとわかりやすくガーリーなタイプの子のほうが好みなのでは…?と冷静に思い始めていたのでそんなにショックはなかったけれど、初めてフラれるという経験をした。

それなりにストレスを感じていたアユミは仕事帰りに久しぶりに缶チューハイを買った。カルピス味とか桃とかいろいろ。ついでにポテチやドーナツ、ピザも買った。
マンションのドアを開けて真っ暗の部屋の明かりをつけると、ソファに倒れこんだ。
「もー、疲れるわぁ…」
のそのそ起き上がると酒を冷蔵庫に入れて、すぐに風呂に入った。ゆっくりめに湯船につかるとようやくリラックスできた。

風呂上がりにご飯も食べずに酒を飲むのは実は初めてかもしれない。それもそのはずで、一人暮らしをはじめてまだそんなに立っていないから。つい1か月前に始めたばかりなのだ。明日は休みだし、このままのんびりしよう。ソファに寄りかかって、テレビのリモコンに手を伸ばした。体がバランスを崩して、ふわふわマットの上にころりと転がってしまった。疲れと、何も食べずに飲んでしまったせいか一瞬まぶたを閉じただけなのに意識が途切れた。

「初めてフラれたんだよ」
「ふうん…でもアユミはその人そんなに好きじゃないかもって言ってたよね」
「あれ…そんなこと言ってたっけ?」
「言ってたよ」
ショウは何でもない事のように遠くの夕焼けを見ていた。
「きっとその人は、その人の会わなくちゃいけない人のところに行くから心配ないよ。アユミも心配いらない」
「そうか…」
アユミも夕焼けを眺めた。生ぬるい風が吹いている。
「なんでここはずっと夕焼けなんだろ?」
「…最後にあった時、夕焼けだったからだよ」
ショウが答えた。アユミはショウの顔を見た。ぼんやりしてよく見えなかった。こんなに近くにいるのに顔がよくわからない。
もう会わなくなって10年以上過ぎたんだから…顔がわからなくなっても仕方ないか…アユミは少しだけ哀しくなった。

急に目が覚めた。視界に入った時計は深夜の1時だった。アユミは夢を見ていたことを覚えていたけれど、内容を覚えていなかった。ただとても哀しい気持ちだけが残っていて切なくなった。

寝転がっていた体を起こした。飲みかけのサワーの入ったコップは静かにそこにあった。もう炭酸もなくなってすっかりぬるくなって静かになっていた。
「…お腹減っちゃった…」
独り言をつぶやいてピザの箱を開ける。ひんやりしたピザになっていた。口に入れると冷たいけど、ピザの味がした。
「チンしよう…」
電子レンジに入れた。温めている間、キッチンの椅子に座った。しんとして静かな夜だった。
ふいに、炎の中を手を繋いで走る二人の人間の映像が脳裏に映った。
「え?」
それは質素な着物を着た男女だった。ふたりとも長い髪をひとつに結っている。周辺は火の海だった。着ている衣類や髪型、周辺の燃えている建物の様子から、近代ではないという事だけはわかった。そしてふたりがもう助からないけれど必死に何かから逃げようとしていることも伝わってきた。そして突然映像は途切れた。

アユミは何が起きたのかよくわからなかったが、このシチュエーションに見覚えがある…と思った。でも同時に、これは何?という気持ちにもなった。何が起きたのかわからないのと、映像を見たショックで動悸が激しくなった。
とっくに電子レンジは止まっていて、シンクから水がぴちょんと落ちる音がした。
「何、これ…」
混乱してテーブルに肘をついた。

ふと、テーブルの上のスマホに目をやると何かが着信しているようだった。
見てみたら、元恋人からだった。申し訳ないという内容のラインだった。気にしているようだ。基本的には真面目な人なのだ。ただ、アユミにとっては申し訳ないけれどそんなに惹かれる人ではなかったから、かえって気を使われると申し訳ないな…と思っていた。と、同時に先ほどのおかしな現象について、ショックが薄れた。現実世界に戻してもらった気がしてちょっとだけ感謝だ。
気を取り直したアユミはテレビの前のソファに腰をおろした。
ピザを食べて、ポテチを食べて、酒を飲んで、録画していたアニメを観て…夜明けになるころようやくアユミは眠りに落ちた。

次に起きると西の窓から陽ざしが入っていて、夕方だった。なんていうことだろう、貴重な休日のほとんどが終わってしまった。ぼーっとした頭のまま、天井を見つめた。
そういえば元恋人の好きな人って誰だったのかなぁ…実はそんなに関心があるわけではないのだけれど、少しだけ気になった。そんなことを考えながらアユミは幼いころ、ショウと遊んでいた伊豆の海と山を思い浮かべていた。ショウの幼い笑顔がよくわからなくなっていることに気が付いた。思い出せなくなっても仕方ない。もう10年以上前に見たっきりなんだから。

それからしばらくは穏やかでこれといって何もない平凡な日々が続いていた。ショウとの夢はだんだん顔がわからなくなっていくけれど、いつもどおり見ているし、仕事も私生活もこれといって大きな出来事はなかった。もちろん新しい恋人もいない。なにより仕事を覚えたし、ひとつだけ上の役職になったし、充実していた。そうしているうちに数年過ぎた。

初夏の日差しがさわやかな季節だった。まだ梅雨になる前のカラッとした天気が気持ちいい。
アユミはいつも通り図書館で働いていた。地味な仕事だけれど本が好きなアユミにとっては居心地のいい仕事だった。午後は貸出窓口に座っていた。ちょうど年配の女性が伊豆の写真集を借りていった。その表紙がいつも訪れていた伊豆の旅館の近くの風景にそっくりで、懐かしい気持ちになった。

パソコンを目次画面に戻そうとしていた時だった。
ふいにたくさんの飛行機が上空に現れて、あっという間に町が火の海になっていく映像が脳裏に流れた。一瞬驚いたが、アユミはもう慌てなかった。これはアユミの過去の記憶。この時、きっとショウがそばにいたに違いない。私たちはもう何回も同じ時間を過ごしてきた…そんな風に思った。
事実なのか夢なのかはわからないけれど。

しばらくすると貸し出しのお客さんが来た。学生服、いわゆる学ランを着た高校生だった。アユミはすぐに気が付いた。彼はこの図書館をよく利用している学生だ。いつも個人机にいるのを見ていたので覚えていた。受験勉強だろうか。
高校生は「宇宙の不思議」という本と「虫図鑑」という子供向けのポケットサイズのミニ図鑑と自分の貸し出しカードを出した。

アユミは瞬間的にいくつかのことを思い出した。

ショウは「虫図鑑」という本を持っていて、昆虫の名前をアユミと探した。
タカヤは宇宙に興味があったようで「宇宙の不思議」という本をよく借りていた。
そして、差し出された図書カードには「ササキ タカヤ」と表示されていた。

高校生は唐突に、でもとてもさりげなくアユミに言った。
「あの、よかったらタイムカプセルを掘り出しに伊豆に行ってみませんか?もう僕3回分の人生無駄にしたくないから…」
高校生の顔はタカヤの面影と同時にショウの顔がなんとなく重なった。
アユミは思わず椅子から立ち上がった。初めて会話しているのに、知っている人のように感じた。
「ショウ?タカヤくん?」
すべてが頭の中でひとつにつながる。
長い時を超えて今目の前で。
夢の中でしか会えなかったキミと、もしかしたら現実で会えている?
アユミは自分でもこんな話おかしいと思うし、ありえないと思うけれど…でももしかしたら…
そんなことを思いながら
「ぜひ行きましょう」
笑顔で答えた。

おわり


曲を聴いたら浮かんでしまったお話シリーズ第3回目

このお話はこれで完結です。
読んでいただいてありがとうございました😊

聴いていた曲です。とても素敵です↓
https://www.youtube.com/watch?v=QOfM_xS4cjw&list=RDHnuWtcu9yIQ&index=2

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