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自分の楽しさ=自分探し

三連休にはいり、身体がめちゃくちゃリラックスしてるのを感じた。

えっ、と思うほど。

そんなにストレスだったのか?

自分の感覚にこれまで向き合ってこなかっただけ?

ストレス因が人なので、次の日に会わなきゃ、と思うだけで苦しい感じが訪れる。

これまでの生き方では、そんな甘いことは駄目だな、と全力で思ってたから気に留めなかった。もしくは、全力で戦って蹴散らしてたのかもしれない。

戦闘モードは一つの没入に違いない。人は生存本能に火ついたら戦闘モードになる。きっと、その時は自分の姿など見えてはいない。他人の姿が見えるようになったら「目的に向かって一直線の人間って怖いな」が感想となった。昔の自分も同じだったかもしれず。

いまや、そんな場所からは降りているので戦わないという姿勢でいるが、関わらざるを得なくなることもある。闘争ではなく逃走するか。

ここのところ、自分の見つけた楽しさに没入することが、いろいろな感情を消し去ってしまうことを身体感覚で捉えられている。これまで、あまり無かった経験。

けれども没入してる時は、いっときのこと。その時間が過ぎれば、リアルな現実が甦り縛ろうとしてくる。

一瞬一瞬に没入しつづけることが答えかも。

こうやって考えることも没入の一種か。人によって何が楽しく、没入できるのかは様々。自分の楽しさを見つけることが1990年代に流行った自分探しの答えであるならば、自分は、残りの人生を学び直しの時期として、自分の頭で考えることを続けていこう。

もうしばらく考えをぼんやりと遊ばせておこう。



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