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あの頃のウルティモ・ゲレーロ’95④(終)

その翌年である99年2月にボクは最後の試合を行うため、CMLL JAPANのツアーに参加すると、そこにはゲレーロの姿もあった。

プロメル時代は3バカトリオと言っても、実際うるさかったのはパンテリータとレベルデの二人で、ゲレーロはいつも口数が少なくおとなしい。
丸二年ぶりの再会だったが、ぼくも積極的に話をするタイプではないので、一緒にコンビニに行く際や食事の時も、昔のことを話題にするわけでもなく、最低限の会話だけで巡業日程を消化していった。

京都大会でツバサとのマスカラ戦に敗れたボクは、その日のメインで行われた時間差バトルロイヤルに素顔で出場。大勢の選手がリング上でもみ合う中、目があったゲレーロがこちらにおそいかかってきた。
コーナーに押し込まれると、ゲレーロが叫びながらボクを殴りだした。

「プロモ・アステカ!プロモ・アステカ!」

おまけで参加したと言ってもいいバトルロイヤルのリングでの、まさかのゲレーロの言葉に、驚きと同時に懐かしさとうれしさがこみあげた。
ならばと、ボクも反撃にうってでた。

「リカルド!リカルド!」

当時のプロモ・アステカの代表の名前を叫びながら、お返しを浴びせる。
これを最後に引退するボクにとって、この一瞬のリングでの再会は予期せぬサプライズであると同時に、ゲレーロからの最高の餞別となった。

現役を退き、メキシコに戻ったボクは、ルチャの取材活動をするようになった。
もっとも多く取材で訪れたアレナ・メヒコでのこと、ある時控室前を通りかかると、見覚えのある顔がそこにあった。素顔のパンテリータだった。

「おお、ゴクウ!久しぶりだな!」

「プロモ・アステカがなくなってだいぶたつけど、どうしてたの?」

「しばらく故郷のゴメス・パラシオに帰っていたんだけど、ゲレーロがCMLLのオフィスに仕事ができるように話をしてくれたんだ。今日は挨拶に来たんだよ。」

またある時はリングサイドで試合の写真を撮っていると、1本目と2本目のインターバルの間に、試合中の選手が声をかけてきたことがあった。

「ゴクウじゃないか、元気か?」

目の前にいるフーリガンという選手は、この日初めて見る面識のないマスクマンだった。怪訝な表情を浮かべるボクに対し、彼は言葉を続けた。

「おれだよ、ウルティモ・レベルデだよ。プロモで一緒だっただろ?忘れたのか!?」

まったくの別キャラに変身していたので気づかなかったが、これはルチャの世界ではよくあることだ。
ゲレーロはかつて苦楽を共にした同郷の仲間を忘れることなく、CMLLで試合ができるようサポートしていたのだ。

ある年の年末のこと、家でテレビ中継を見ていると、珍しくゲレーロとフーリガンがコンビを組んでいる姿を見かけた。
このころのゲレーロはスペル・エストレージャで、フーリガンは前座が定位置だった。通常ではコンビを組むことはありえない。
しかし多くのエストレージャたちが、クリスマスシーズンで休みをとっている間、枠が空いたところにゲレーロが強引にフーリガンをパートナーに組みいれたのだろう。
そんな裏事情を想像すると3バカトリオのつながりが感じられ、懐かしく思えた。現在パンテリータはエフェスト、フーリガンも別キャラに変身し、スペル・エストレージャとして活躍。タイトル戦線にくい込み、日本にも遠征している。

そしてゲレーロは、2014年のアニベルサリオで行われたアトランティスとの一戦に敗れ、19年守ってきたマスクを失った。
「世紀のマスカラ戦」として世界的に注目されたこの一戦は、プロモ・アステカ時代に強引に組まれた「処刑台」としてのマスカラ戦ではなく、ゲレーロをさらなる高みにステップアップさせるためのものとなり、その舞台は昔メキシコの地方巡業中にホテルの一室で話した、ボクらとのマスカラ戦とは比べ物にならない規模のものとなった。

「チキティ・ブン・ア・ラ・ビン・ボン・バ、ゲレーロ・ゲレーロ・ラ・ラ・ラ」

バックステージで、アトランティスに敗れたゲレーロが記者団の取材を終え、控室に帰ろうとした時、周りにいた関係者からゲレーロを讃えるコールが送られた。

立ち止まってそれを聞いていたゲレーロの目には、涙がうかんでいる。

それはゲレーロがCMLLで闘い続けてきた、18年のキャリアを積み重ねていく中で芽生えた気持ちなのかはわからない。しかし素顔になったゲレーロからはマスクに対し、深い愛着があったのだろうということが伝わってきた。

おわり


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