あの頃のアントニオ・ペーニャ'97③
数日後、ヘススに言われた時間に事務所にやってきたが、朝早いためか、扉はまだ閉ざされていて、中には人の気配がない。
「待ったか?今開けるからな。」
数分後、ちょっとだけあわただしく、ビルのエレベーターから降りてきたヘススはドアの鍵を開け、一緒に中に入ると部屋の電気をつけてまわった。
いつものようにソファーに腰掛け待っていると、現在九州プロレス代表である筑前亮太選手がやってきた。
彼はこの時、メキシコに来てまだ数か月しかたっていなかったが、すでにローカルでデビューしていた。
「あれ、どうしたの?」
「ええ、いやあ、試合があるからって言われて……。」
なぜか筑前さんの歯切れが悪い。
話しをしながらも、この日もいつもと同じように、延々と待たされるだけかと思っていたところ、ペーニャが突然ものすごい勢いでオフィスに入ってきた。
これまでも何度かペーニャがオフィスを出入りするところは見かけたが、誰かと立ち話しなどすることは一切なく、いつも足早に過ぎ去っていく。おそらく人に話しかけられて、余計な時間を取られたくないから習慣になっているのだろう。
ペーニャが社長室に入ると同時に、ヘススはボクら二人にも中に入るよう即す。
「日本人か?スペイン語はできないのか?何語なら話せる?ロシア語か?」
ペーニャは機嫌よさそうに冗談をまじえ、ボクたちに話しかけてきた。しかし会話が続かず、すぐにどう対応していいか困った顔になり、内線でヘススを社長室に呼び出した。
部屋に入ってきたヘススがあいだに入り、ペーニャにボクたちのことを説明する。
「よし、ではうちで仕事をするにあたって、契約書にサインをしてくれ。」
契約?サイン?こっちはまだ「仕事ください」ってレベルの話しをするつもりだったのに、こんなに段取りよく話しが進んでいいのか?
目の前で起こっていることが唐突すぎて、現実味がない。
自分の書類にサインをしたあと、筑前さんの契約書と交換して、お互い立会人としてサインをいれ、これにペーニャ、ヘススもサインを入れた。
今まで散々オフィスに通っていたのがウソのように、簡単に事が進んでしまった。
一体ペーニャはどのタイミングで、ボクを試合で使おうと頭を切り替えたのだろう?
「ビザは来週、チュウチョと一緒にイミグラシオン(イミグレーション)に行って来い。メキシコではよその団体のリングに上がることは認めないが、日本に行って試合するのは好きにしていいぞ。」
テレビマッチのマッチメイカーであるマルコス・メディーナが、ペーニャに呼ばれ、社長室にやってきた。
「マルコス、この二人を来月のトルーカ大会でのテレビ収録に使うから、カードに名前を入れておけ。筑前はサングレ・チカナとピクドのトリオで、ゴクウはアグアヨ親子と組ませろ。」
「かしこまりました。セニョール。」
いつもはボクが何を言っても試合を組んでくれないマルコスが、ペーニャの一言であっさりとテレビマッチに名前を入れてくれた。
AAA(トリプレア)はペーニャのワンマンという事実を、身をもって感じた瞬間だ。
「AAAに上がるからには、今までとは違うキャラクターになってもらう。今までについたイメージを、変えないといけないからな。新しいデザインはマスク屋のブシオにやってもらえ。とりあえず、来週プエブラで大きい大会があるから、そこでリングに上がってプレゼンテーションをやろう。新しいマスクはそれまでに用意しておけよ。」
うそのようだが本当にAAAと契約できてしまった。狐につままれた気分だ。
「よかったよね。筑前さんもオフィスに来ていて。」
「いやあ、はい。」
またまた歯切れが悪そうに返事をする筑前さん。この時ボクたちはお互いが偶然その場に居合わせたと思っていたが、実はどちらもヘススに呼び出されていた。それを知らなかったため、よそよそしい感じになってしまったのだ。
後日新しいコスチュームのデザイン画ができたので、ペーニャに見てもらうことになった。
「うん、まあこれでいいだろう。お前はこの緑色のやつだな。これにしろ。」
二人のコスチュームデザインにOKがでた。
「あとリングネームだな。筑前はまだほとんど試合していないから、そのままでいいだろう。お前はよそでやっていたから、名前を変えないとな。」
ボクとしてはルチャができればいいので、コスチュームが変わろうと名前が変わろうと、抵抗はまったくない。そう、この時点まではそう思っていた…。
「マエストロのことは日本語でなんと言うんだ?センセイか?レイは……オオサマか?レイ・センセイ…レイ・オオサマ…」
かなり仰々しい名前になりそうだな。
「エレクトロ・ショックは日本語でなんていうんだ?」
「感電……だと思います。」
もうちょっとかっこいい言い方をすればよかったのだが、感電という言葉しか思い当たらない。ペーニャは小型選手のぼくに電光石火のごとく、すばやく動き回ることをイメージしているのかもしれない。
「カンデンか……、カンデン・センセイはどうだ?」
「あ、はい…」
「じゃあカンデン・キングは?」
ぼくの表情を見て、ペーニャは次々に名前をあげていく。
「スペイン語と合わせた方がいいか…。レイ・カンデン、カンデン・ショック、マエストロ・カンデン……レイ・キング……。」
ぼくの表情は、どんどん曇っていく。
「キン・センセイ……。」
ペーニャがそういった瞬間、ボクのとなりで我慢できなくなった筑前さんが吹き出して爆笑してしまった。ペーニャが楽しそうに、次々とムチャクチャなリングネームを上げていくところまでは耐えていたが、「金先生」なんて名前を出されたらむりもない。
「おいおい、私が何か変なことを言ったかい?」
「いや、あの、日本語としてそれは、いかがなものかと……。」
「そうか、じゃあ、試合までに考えておくよ。」
後日ドキドキしながらオフィスに張り出されたプログラムを確認すると、「GOKU」の名前のままだったので、ほっとしたが、あの時筑前さんが笑っていなかったら、とんでもないリングネームになっていたのかもしれないのだ。
つづく
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